第161回芥川賞受賞作! 狂気の源泉がわからない怖さ/今村夏子『むらさきのスカートの女』
近所の安アパートに住み、パートの職を転々とする「むらさきのスカートの女」が気になってしかたがない“語り手”。自分が勤める清掃会社に彼女を誘導し、ふたりは同じ職場で働きはじめるが……。文体からも“語り手”の異様な狂気が滲む、第161回芥川賞受賞作!
【ポスト・ブック・レビュー この人に訊け!】
鴻巣友季子【翻訳家】
むらさきのスカートの女
今村夏子 著
朝日新聞出版
1300円+税
装丁/田中久子
装画/榎本マリコ
「信用できない語り手」の狂気をもぼかす筆の精度が怖い
狂っているのは、語るものか、語られるものか? 読み手によって、相貌を百八十度変え得る作品だ。
ある町に、「むらさきのスカートの女」(以下「むらさき」)と語り手が呼ぶ女性がいる。安アパートに住み、パートの職を転々としているが、語り手にして自称「黄色いカーディガンの女」(以下「黄色」)は、彼女が気になって仕方がない。彼女が誰かに似ていると言って、姉や小学校の友人やTVのコメンテーターやレジ係などを挙げまくるのだが、要は誰を見ても彼女に見えるぐらい固着しているのではないか。「むらさき」は「黄色」が勤める清掃会社に採用されるのだが……。
冒頭近く、「むらさきのスカートの女は、一週間に一度くらいの割合で、商店街のパン屋にクリームパンを買いに行く。わたしはいつも、パンを選ぶふりをしてむらさきのスカートの女の容姿を観察している」とある。もうここだけでおかしいと思う人は思うだろう。尾けてでもいない限り、こんなことはできない。けれど、あまりにも当然のように書いてあるから、気づかないのだ。この文体が今村の大きな武器で、あとから破壊的な効果を生む。たとえば、「『黄色』は突如、暴力衝動がおきて『むらさき』に体当たりをしようとするが、何度も失敗した挙句に店のショーケースを大破した」などと書いてあれば、この人の異様さがわかるだろう。
また、「変さ」というのは相対的なものである。癖で爪をかむ者の前に、盗癖のある者が出てきたら、爪かみの異様さは薄れるだろう。今村は語り手の周囲の人々の「変態癖」や「手癖」をクローズアップし、結果、本当の変さを曖昧にぼかす。語り手は「むらさき」のことならなんでも見てきたように記述する。その書きぶりはじきに、リアリズムの許容範囲を逸脱していくのだが、その暴走ぶりよりも、この「信用できない語り手」の狂気の源泉がさっぱりわからないから、本作は怖いのだ。
作者の筆の精度も怖い。
(週刊ポスト 2019年7.19/26号より)
初出:P+D MAGAZINE(2019/07/24)