【著者インタビュー】岡本真帆『水上バス浅草行き』/短歌ファンの間でいま注目を集める話題の歌人の第一歌集

「ほんとうにあたしでいいの?ずぼらだし、傘もこんなにたくさんあるし」など、日常をすくい取り現代人の共感を呼ぶ短歌を発信する、いま最注目の歌人・岡本真帆氏にインタビュー!

【ポスト・ブック・レビュー 著者に訊け!】

SNSで発表する歌には多数の共感の声と「いいね!」が。話題の歌人、待望の第一歌集

水上バス浅草行き

ナナロク社 
1870円
装丁・装画/鈴木千佳子

岡本真帆

●おかもと・まほ 1989年生まれ。3歳から高知県中村市(現・四万十市)に育ち、大学進学で上京。卒業後は広告会社のコピーライターとして働く傍ら、作歌を開始し、「うたらば」等に投稿。知る人ぞ知る存在に。現在は(株)コルクで所属クリエイターのPRを担当する傍ら、歌人として活動。未来短歌会出身。「傘の歌以来、『あの傘がいっぱいある人ね』と言われるのが癪で、今は意地の傘1本生活です。これしきの小雨じゃ濡れても買わないぞって(笑)」。170㌢、O型。

自分が今持っているものがいかに素敵かそれに気付く方が幸せになれる気がする

〈一見無駄のように思える、なくても生きていけるもの。そういう存在が、私を生かしてくれている〉と、〈あの短歌のひと〉、岡本真帆氏は第一歌集『水上バス浅草行き』の後書きに寄せている。〈水上バスは、浅草に急いで向かうための乗り物じゃない。むしろ、乗らなくてもいい。そんな乗り物。〉と。
「あの」とあるのは、昨今裾野が広がりつつある短歌ファンの間で彼女が注目の存在だから。それこそ卑近過ぎて取るに足らないようなモノやコトを、岡本氏は効率性重視の日々を生きながらも丁寧にすくい取り、短歌の形に留めおくのだ。
〈ほんとうにあたしでいいの?ずぼらだし、傘もこんなにたくさんあるし〉
〈平日の明るいうちからビール飲む ごらんよビール これが夏だよ〉
 等々、それは作者固有というよりは、誰もの記憶やきずを広くくすぐる、開かれた装置だったりする。

 歌人の普段の顔は会社員。前職のコピーライター時代にたまたま手に取った歌集に魅せられ、以来、短歌は日常の一部になった。
「特に笹井宏之さんの『えーえんとくちから』と木下龍也さんの『つむじ風、ここにあります』ですね。当時、社会人3年目で、コピーの仕事では死ぬとか妬むとか、負の表現は積極的には使えないのに、短歌はなんて自由なんだと。笹井さんの歌は独特の世界観を現出させる詩の力が物凄く、自分も是非やってみたいと、見様見真似で作歌を始めたのが2014年頃でした」
 元々表現に興味はあったものの、学生時代は手法を見出せず、模索を重ねた。
「私は絵が描けるわけでも、写真がうまいわけでもない。表現したいのに何も持ってないと思って、コピーライターの養成講座に通ったりしました。あとはツイッターです。140字の中で映画や本のここが好きとか、自分の考えや思いをどう表現すれば届くのかを考えるのが楽しくて、一時はツイ廃(ツイッター廃人)同然にハマっていました(笑)」
 その140字が、短歌の31文字に移行するのも時間の問題だったという。
「ほぼ同時期に歌集を出された上坂あゆ美さんと、毎回あるお題を短歌にする『生きるための短歌部屋』という場を設けているんですけど、短歌を作ることは1日をよりよく生きることと密接に繋がっている気がします。生きるためが先か、詠むためが先かは微妙ですけど、日々をよく生きることといい歌を作ることは、ほぼイコールなんです」
 例えば「安全な場所」と題された計10首の連作には、〈ていねいなくらしにすがりつくように、私は鍋に昆布を入れる〉〈回送の電車の中でねむるときだけ行き着けるみずうみがある〉などなど、都会に住み、働くことの、孤独や疲労が滲む。
「これを書いた頃は本当に仕事が忙しくて荒んでいて、鍋に昆布をやたらと入れていましたね。そういう1個1個の小さな魔法が自分を救ってくれると、信じたかったのかもしれません」
 また、〈息をする航空障害灯たちが鼻筋赤く照らすベランダ〉は「いつか忘れる」、〈もう君が来なくったってクリニカは減ってくひとりぶんの速度で〉は「街で暮らす」に分類され、〈混ぜる人見る人うまく返す人 きょうは豚玉そとは五月雨〉に始まる「これが夏だよ」のような楽しげな歌も含め、著者はいつかは忘れ、終わってしまうことばかりに、目を凝らすかのよう。夏や恋や、その一瞬だけ輝いた刹那すぎる光も然りだ。
「確かに私の場合、今この瞬間を詠むというよりは、いつかはこれも『いいことあったな』と肯定的に思い出せるんじゃないかという、過去の瞬間をより多く歌にしている感じはしますね。
 私は昔から物凄く楽しかったり美しいものを見た時ほど、『ああ、これもいつか過去になるんだ』と、夏休みやお祭りの最中から思ってしまう部分があった。だからこそ今、この瞬間を楽しもうとも思うんですが、その感覚が作歌にも現われてしまうのかもしれません」

光っているモノの断片を拾って歩く

 歌の作り方も結構いろいろあるのだという。
「例えば多摩川を通った時に見たキラキラ光る川面とか、あ、歌にしたいなと思うものをメモしたり、下の句だけ書いておいたものをどう定型に作り、読む人の共感や驚きをどう引き出すかとか、吟味して構成したり。つまり俳句の『ここで一句』みたいに即興で詠むのは絶対無理(笑)。
 そして独り善がりは避け、『あ、なんかわかる』『なんか気になる』とより多くの方に共有してもらえるよう、他者の視線を常に意識するのが、私の詠み方なんです」
 例えばある一首に触れて、「そういえばこんなこともあった」と笑い話にするなど、過去を肯定するきっかけにも短歌はなりうる。
「自分にないものを数えるより、今持っているものがいかに素敵かに気づく方が幸せになれる気が私はするんです。いつかよくなるという成長の話、、、、より、何に夢中かという話、、、、、、、、、、を私はしたいし、役に立とうと立つまいと何かに夢中になってる状態そのものが、生きてるってことなのかなあと。
 私自身、〈教室じゃ地味で静かな山本の水切り石がまだ止まらない〉のように、何かが光っている人やモノに惹かれがちで、日々そうした断片を拾って歩いている。だから些末な歌が多いんですけど(笑)」
 そうした一瞬、一瞬を、もちろん心身に余裕がなく、大事にできない時期はある。が、「いつかまた大事にしたくなったら戻ればいいし、戻ってこそ発見も多い」と彼女は言い、それを短歌に留め、みんなのもの、、、、、、とするのだ。

●構成/橋本紀子
●撮影/国府田利光

(週刊ポスト 2022年4.22号より)

初出:P+D MAGAZINE(2022/04/19)

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