樋口一葉に聞く!聞き手・井上ひさし

ユーモア溢れる内容の作品と筆致で人気の作家・井上ひさし。そんな井上が、なんと、あの樋口一葉にインタビューしていた! 一葉に聞きたかったことを赤裸々に尋ねる井上と、率直に答える一葉の、軽妙かつ貴重なやりとりは必見です。

はじめに

まずはじめに、わたしはどのような方法で樋口一葉女史とのインタビューに成功したかについて、書かなければならない。

一葉女史との接触を心掛けはじめたのは十年以上も前である。小説の腕前がちっとも上らないのにほとんどあきれ、かつ絶望したわたしは、ある日、一葉女史にどうしても会いたいと思い立った。彼女が小説に手を染めたのは十九歳の五月、その處女作はまことに稚拙である。ところがそのわずか五年後、すでに彼女は「大つごもり」や「たけくらべ」を書きあげ、「にごりえ」にとりかかろうとしていた。短期間にこれほど急速に腕をあげた小説家はめずらしいのではないか。「腕をあげた」とは俗っぽくて、いやしい表現だけれど、とにかく信じられないほどの大躍進であり、大進歩である。そこでわたしは一葉女史に面会して「どうしてあなたはそんなにお上手になられたのですか」ときいてみたいと思ったわけだった。

最初にわたしは、「お目にかかりたい」という趣旨を礼儀正しい候文で綴り、何喰わぬ顔で彼女の最終居住地「本郷区丸山福山町四番地」にあてて速達便で送った。どさくさにまぎれて彼女の手許に届くかもしれないと考えたのである。「それはどういうどさくさか」ときかれると、ちょっと答えようがないのだが。わたしの速達便は、数日後、表に、「現在では本郷区という区名はなく、丸山福山町という地名もありません」と記された符箋がつけられて舞い戻ってきた。さらにその下にもう一枚、符箋がついていた。それに曰く、「樋口一葉さんはもう亡くなられたのではないですか」と。わたしは近ごろの郵便局の親切なことに感じ入ると同時に、(やはり、どさくさにまぎれて、というのは通用しないらしい)と悟った。

つぎに試みたのは、全国の樋口姓のお宅へかたっぱしから電話をかけ、相手が出たら、「一葉さんはもうお帰りになりましたでしょうか。お帰りになっておいででしたら電話口へおねがいします」と告げる方法である。何喰わぬ顔で言えば、なにかのまちがいで一葉女史が電話口に出ないともかぎらない、と考えたのだ。三番目にかけた樋口家ではやくも反応があった。その樋口さんは数秒の間をおいてから、こうおっしゃったのだ。

「一葉はただいま北海道へサイン会に出かけております、とお答えしたらどうなさいますかな」

「ぜひお目にかかりたいと言っていたとお伝えいただきたく思います、と申しあげたい……」

「なるほど。いや、よくわかりました。ときに、わたしはあなたに非常に興味がありますのじゃ。これからすぐおたずねしたいのだが、よろしいかな」

「はあ……?」

「じつはわたし、さる精神病院の事務長をしておるのじゃが……」

「あ、突然ですが失礼します。いま、うちが火事になりましたので」

わたしは送受器を戻しながら、(なにかのまちがいというのも、なかなか起るものではないらしいな)と、またしても悟ったのだった。

これは前口上であるから、一葉女史との接触に成功するまでの苦心談はいい加減に打ち止めにしなければならないが、とにかくわたしは百数十通りの方法を試した末、最後にマラヴィラス法にたどりついた。これは、ナポリ王国親衛隊大尉だったスペイン貴族ドン・アルヴァーレ・マラヴィラスが用いた精霊への接近術である。マラヴィラスはナポリ郊外の崩れ落ちた廃墟へ出かけ、地面に棒の先で描いた円の中に入り、

「ベエルゼビュート」

と呪文を唱えて精霊を呼び出したという。べエルゼビュートとは意味不明だが、精霊を呼び出すのになくてかなわぬ神秘学の用語だそうである。

昨年の十一月二十三日、すなわち一葉女史の命日の夜、わたしは近くにある下総国分寺しもうさこくぶんじの墓場へ出かけ、小砂利に覆われた小道のほどよいところに立って、来る途中で拾った棒で自分を中心にして円を描いた。おりから空には居待いまちの月がかかり、木枯しがその月を吹き落そうとでもするように強く吹いている。東洋の果てのこの日本国でベエルゼビュートでもなかろうと思ったから、

「かんじーざいぼーさつ、ぎょうじんはんにゃはーらーみーたーじー……」

般若心経はんにゃしんぎょうを唱えた。呪文は知らないし、お経もこれしかわからない。そこで心経を唱えるしかなかったのである。だが、じつはこれが正解だった。あとで知ったことだが、日本国で精霊を呼び出すには、呪文は心経が一番有効なのだという。まだ全部唱え終らないうちに月は雲のかげに隠れ、木枯しはなぜだか湿って生温なまあたたかい南風に変った。気味が悪くなって逃げ出そうとしたとき、目の前の墓のうしろから、馬頭の鬼がスーッと顔を出した。馬頭の鬼は、奇妙なことに、わたしが地面に描いた円を見てぶるぶるふるえている。

「なにか御用でしょうか、ご主人様」

「わたしがおまえの主人だと、どうしてわかるのだ?」

とさぐりを入れてみた。

まるの中で座禅をしてらっしゃるのだから、おいらのご主人様にきまってます」

座禅に見えたのは幸運だった。じつは腰を抜かしていたにすぎない。

「あなた様の前にひれ伏して御御足おみあしの裏をお舐め申すのが従者の作法。しかしあなた様のまわりのおそろしい円を、おいら、またぐことができません。どうか従者の作法はごかんべんくださいまし」

「かんべんできん」

向うの弱味につけこんて、腕をのばして馬頭の鬼の足許にひとつ小さな円を描いてやった。 「キャーッ」

鬼は五歩も六歩も後退し、土下座した。

「もう円は描かないでくださいまし。一億円持ってこいとおっしゃるなら持ってまいります。小野の小町でも出雲の阿国おくにでも笠森お仙でもお好みの女性を連れてまいります。ですからどうか円はお許しを」

笠森お仙ときいてすこし心は動いたが、昭和ヒトケタはやっぱりくそまじめ。

「樋口一葉女史にあいたい。あわせてくれるなら、もう円は描かない」

言い終らぬうちにわたしはもう家の中にいた。六畳間のまんなかに坐っていたのである。天井から洋燈ランプがぶらさがっているが、その灯より明るいのは月光だ。縁先へ出て空を見あげると、脚立きゃたつに乗った馬頭の鬼が満月を宙に吊っている。

「満月はサービスでして……」

やがて鬼は脚立をかついで庭の奥へ消えた。庭は小さい。縁先に三坪ばかりの池がある。どこかで太鼓が鳴った。ひょっとしたら自分は本郷区丸山福山町四番地の一葉女史最後の借家に来ているのかもしれないぞ、と思った。庭に池があったのは丸山福山町の借家だけだし、いまのは近くの精神病院の時刻ときを報せる太鼓の音にちがいない。一葉女史の通夜の席で、かの斎藤緑雨は「アラレる田町に太鼓聞く夜かな」という一句を手向けたが、いまのはその田町の精神病院の時報兼夜警の太鼓だろう。とするとこの六畳は、幸田露伴や泉鏡花が坐ったあの六畳か。思わず坐りなおした。池でパシャという水音がした。見ると銀色の月光を浴びながら緋鯉が一尾、水面から一尺ぐらいのところに跳ねて浮いている。緋鯉が言った。

「これもサービスで。へい、ご主人様」

言い終ると緋鯉はまたパシャと音をさせて水面に落ちた。いつの間にか自分の膝の前に茶がおいてある。啜ってみると茶ではなく砂糖入りの麦茶むぎゆだった。砂糖入りの麦茶は一葉女史の好物だった。こういうものを飲んでいれば小説がうまくなるのだろうか。そんなことを考えながら麦茶を舐めていると、色黒いろぐろで、猫背で、猪首いのくびの、小柄な女が入ってきた。着ているものは銘仙である。こっちの顔をじっと覗き込むようにして見ている。ひどい近眼だ。色黒、猫背、小柄、その上、近眼。一葉女史にちがいない。わたしは挨拶もそこそこに質問を発し、こうして本誌独占、世紀の大インタビューが開始されたのであった。

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