◇長編小説◇飯嶋和一「北斗の星紋」第8回 後編

◇長編小説◇飯嶋和一「北斗の星紋」第8回 後編

佐藤玄六郎は蝦夷地から江戸に戻る。
勘定奉行の松本秀持の目を引いたものは──。

 それにしても百十六万六千四百町歩という大規模な新田開発は、窮乏する幕府財政を好転させるだけの充分な可能性を秘めていた。蝦夷地での開墾が順調に進めば、米の大増産は間違いなく、この年も凶作で苦しむ奥羽や南部、津軽など東北地方も、中国地方同様の豊かな国柄となるに違いなかった。

 問題は開墾に当たる人だった。佐藤玄六郎らの報告書によれば、蝦夷地に住む先住民は約十万人だという。彼らに種米と農具を与え栽培の仕方を教えたとしても、それぐらいの人数では土地が広すぎて開墾できない。本土からかなりの人数を入植させなくてはならないが、天領や旗本領、大小名領の農民を動かすわけにはいかない。

 松本秀持の脳裏に浮かんだのは、長吏を支配する弾左衛門(だんざえもん)のことだった。弾左衛門は、武蔵、上野、安房、上総、下総、伊豆、相模、下野、常陸、陸奥、甲斐、駿河において三万三千余人の長吏を支配していた。しかも、弾左衛門が、どこか手あまりの荒れ地などがあれば、自分のところで引き受け、ぜひお役に立ちたいと常々話しているのを耳にしていた。

 松本秀持は、弾左衛門を早速呼び出し、開墾場所は伏せておいて、「広大な未開の原野があるが、配下の者を入植させ開墾に当たる意思はあるか」と尋ねた。それに対して弾左衛門は「自分の支配下のうち七千人を移住させ開墾に当たらせます」と答えた。

 松本が「とてもその人数では足らない」と告げると、弾左衛門は「もし、わたくしに改めて全国の長吏の支配を認可してもらえますならば、全国のおおよそ二十三万人のうち六万三千人をつのり、現在支配するうちの七千人を加え、合わせて七万人の者をわたくしが自ら率い、その新開地にて村や住宅、そのほかの必要なものはすべて引き受けまして、農業の仕方はお指図いただき開墾に当たりますので、ぜひお取り計らいをお願いいたします」と答えた。それに関連して弾左衛門は「身分の願い筋」を申し入れた。松本秀持は「その件に関しては町奉行にもかけ合い、可能なことは努力する」と答えた。

 佐藤玄六郎は、蝦夷地開墾はあまり時間をかけず、人口の増加も八、九年で成し遂げたいと松本に語った。

「蝦夷本島の手つかずとなっている広大な原野を開墾できますれば、諸国からの商人も多数蝦夷地に移り住むようになると思われます。人口が増えることになりますれば、異国への渡航口を厳重に警備できるようにもなります。そして、幕府の勢力をもって、西は山丹から満洲、東はオロシャ本国まで征服し服属させることができますれば、北方における永久の防衛も可能となるに違いないと考えます」と言い切った。

 開墾にかかるであろう莫大な資金や人件費の捻出については、翌年また蝦夷本島に佐藤玄六郎が行き詳しく調査してから考えるという現実離れしたものだった。いかにも山師的な思いつきに過ぎなかったが、松本秀持までもが酔いしれた。松本は田沼意次にここまでの検分結果をまとめ上申することにした。

 

     二十七
 

 田沼意次率いる幕府権力の低下は、「天下の台所」を自任する大坂の地でも明らかとなった。

 十二月、田沼腹心の大坂西町奉行、佐野政親(まさちか)は、鴻池(こうのいけ)など豪商の手代を奉行所に呼び出し、その六十名に御用金を命じた。御用金は、幕府や諸藩が財政不足を補うため町人と農民に上納を命じた臨時の借り上げ金で、低い年利で年賦により返済されるものだった。

 このたびの御用金令は、諸大名の資金不足を救済するために発せられた。諸大名は、大手の両替商から大金を借りておきながら元利をきちんと返済しないため、両替商が融資を渋るようになり、御三家を始めほとんどの大名が資金不足に陥っていた。

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飯嶋和一(いいじま・かずいち)

1952年山形県生まれ。83年「プロミスト・ランド」で小説現代新人賞を受賞しデビュー。88年『汝ふたたび故郷へ帰れず』で文藝賞、2008年『出星前夜』で大佛次郎賞、15年『狗賓童子の島』で司馬遼󠄁太郎賞を受賞。18年刊行の最新作『星夜航行』は、第12回舟橋聖一賞を受賞。

鈴木健一『不忍池ものがたり 江戸から東京へ』/上野の池をめぐる歴史と文学を、活殺自在に描き切った労作
◎編集者コラム◎ 『錯迷』堂場瞬一