◇長編小説◇飯嶋和一「北斗の星紋」第10回 前編

◇長編小説◇飯嶋和一「北斗の星紋」第10回 前編

ラッコ猟をめぐる先住民とオロシャ人の衝突──
徳内はオロシャ人から三年前の一件を聞くが…

 マウデカアイノは、先住民から尊敬を集めるばかりでなく、オロシャ人からも信頼されるだけの器量を備えた人物と思われた。そしてハウシビは、「イトコイが日本人を連れて間もなくエトロフ島に来ると聞き、オロシャ人たちはそれを心待ちにしている」と告げた。

 先住民アイヌとオロシャ人とのかかわりで徳内は気になる話を耳にしていた。去年、イトコイやクナシリ(国後)の乙名ツキノエらがクナシリ島に集まって、オロシャ人との対応について合議したとのことだった。何について話し合ったのか徳内はイトコイに直接尋ねてみたが、彼は「ウルップ島での狩猟に関してのことだ」と答えただけで多くを語らなかった。徳内はその件についてハウシビに問うてみた。

「去年、ホロムシル島の乙名からクナシリのツキノエに、オロシャ人がことのほかアイヌに腹を立てている、との伝言があったので、今春のウルップ渡海は見合わせ、クナシリでオロシャ人の様子をよくうかがい、オロシャ人が危険でないとわかったならば交易荷物を舟に積み、ウルップへ渡ろうとの評議をしたのだ」とハウシビは答えた。

 ホロムシル島は、カムチャッカにほど近く蝦夷本島から数えて第十一番目の有人島にあたった。徳内は、「なぜオロシャ人がそれほどまでアイヌに腹を立てているのか」と問いただした。

「三年前、ウルップのアタットイにオロシャ人の死体がひとつある船が漂着した。エトロフのアイヌたちが積んであった荷物を奪い、その船を焼き払ったためだ」とハウシビは答えた。

 徳内には、何があったのかはよくわからなかった。その件も、シャルシャムにいるというオロシャ人に問えば詳細がわかるかもしれないと思った。しかし、オロシャ語の通辞ができるハウシビの弟は遠い島に出かけたままで、しばらくは戻らないという。

 ラッコの捕れるウルップ島では、これまでもラッコ猟をめぐって先住民アイヌとオロシャ人が何度か衝突していた。

 明和七年(一七七〇)、ウルップ島でイトコイ配下のアツケシ先住民がラッコ猟をやっていた時、大船に乗ってやって来た八十余人のオロシャ人が襲ってきた。オロシャ人たちは、鉄砲を放って猟場を奪い、アイヌたちが捕獲したラッコまでを持ち去った。

 翌年、クナシリとエトロフ、アツケシの先住民は、オロシャ人に報復しようと五十余艘の舟でウルップ島に向かい待ち伏せた。そして、オロシャ人たちが大船で到来し、島に上陸したところを一斉に弓矢で襲撃した。百人余のオロシャ人は、十余人が即死し、残りの者たちは船に逃げ帰った。先住民はそれを舟で追撃し毒矢で二、三人を殺し、オロシャ船は多くの負傷者を出してたち去った。先住民も四、五人が鉄砲で射殺された。

 紛争の結果としてオロシャ人と先住民は和解し、ウルップ島は両者共有の入り込み地となった。

 明和七年の紛争の発端も、先住民はラッコ猟をめぐって偶発的に起こった武力衝突のごとく幕府普請役に語ったが、実はオロシャ人が「ヤサーク」と呼んだ毛皮の現物税にからむ話だった。カムチャッカから千島列島を南下してきたオロシャ人は、国王の命令のもとに高価なラッコ毛皮で大儲けを狙う商人たちで、シベリアや極東の先住民からも現物税として毛皮を徴収しようとした。南下してきたオロシャ人は、蝦夷本島から数えて第四島のシムシリ(霜知)島までをすでに統治下に置き、第三島のウルップ島でも自分たちの支配領土のごとく現物税の徴収を強行しようとして起きた紛争だった。

 三年前(一七八三)に起こった「オロシャ漂着船」の一件も、東蝦夷地の先住民とオロシャ人とが以前から猟場を共有するウルップ島で起こっていた。先住民が盗賊まがいのことをするはずがなかった。オロシャ人がウルップ島支配を強め、その反発として起きた事件のような気がした。

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飯嶋和一(いいじま・かずいち)

1952年山形県生まれ。83年「プロミスト・ランド」で小説現代新人賞を受賞しデビュー。88年『汝ふたたび故郷へ帰れず』で文藝賞、2008年『出星前夜』で大佛次郎賞、15年『狗賓童子の島』で司馬遼󠄁太郎賞を受賞。18年刊行の最新作『星夜航行』は、第12回舟橋聖一賞を受賞。

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