◇長編小説◇飯嶋和一「北斗の星紋」第12回 後編
大金を投じて新造した弁財船には次々と海難が──
あの台風の夜、新三郎は樹脂をよく含んだエゾマツの樹皮をその鉄筒いっぱいに詰め、鉤縄を長くして円を描くように大きく振りまわした。雨は激しかったが、強く振りまわすと遠心力が働いて筒底の火だねが確保され、鉄筒の炎は消えることなく火光を放ち続けた。降ってきた火の粉で新三郎の髪はかなり焦げたものの、闇のなかで奇妙に輝く彗星のように鉄筒は炎の尾を発して燃え続けた。何度も樹皮を詰め替え、番人と交替で一晩中回し続け、最後に船頭の平助が浜に上がるまでそれを燃やし続けた。
伊豆新島の出身で八丈島渡海船にも乗っていた船頭の平助は、「長いこと船に乗ってきたが、あんな強風と大雨のなかで燃えている火を見たことがない」と、新三郎の何の変哲もない鉄筒を何か恐ろしいものを見たようにつぶやいた。
閏十月八日、東蝦夷地での越冬も覚悟した新三郎らの前に、巨大な弁財船が現われた。逆風ゆえに帆を半分に下ろし、北のバラサン沖まで進み何とか反転してニシベツ河口の沖に投錨した。新たに松前で雇い入れた永寿丸だった。
運上小屋に残っていた塩鮭や干し鱈、煎りナマコなどを艀を使って積み込んだものの、やはりかなりの量を残さざるをえなかった。新三郎と破船した五社丸の平助ら船乗り、支配人やアイヌ語通辞、番人の果てまで、ニシベツに残っていた日本人は、永寿丸に乗船してアッケシへ戻るようにとの皆川の指示を文書で受けた。
運上小屋はすべて戸前を釘打ちし、鮭切り小屋も閉鎖した。ニシベツの運上小屋に新三郎らの食糧として残っていた米と酒をニシベツ先住民の乙名(おとな)に渡した。帳面には荷積みの人件費として付けた。薪も新三郎の判断ですべて先住民に与えた。彼らがいなければ五社丸の船乗りたちも生きて戻れたかどうかわからなかった。彼らは強風と大雨のなか、荒れ狂う海をものともせずに丸木舟を出し、浸水の始まった五社丸から脱出した船乗りたち全員を救い上げた。
閏十月十日、ニシベツに残っていた者たちは、艀を使い次々と永寿丸に乗り込んでいった。最後に新三郎が、帳面を小脇にかかえ、ほのかに煙を上げている鉄筒を左手に下げて、艀に乗り込もうとした。
「北橋センセイ」と呼ぶ声に振り向くと、いつぞやアッケシの海岸で出会った先住民だった。アッケシから北西に見える富士によく似た山の名を「ピンネ・シリ」と教えてくれたあの男だった。アッケシから陸路で三日かかるニシベツで、また出会うとは思わなかった。あの山のほうには和人との接触を断ち、彼らだけで暮らしている先住民がいると教えてくれたのを思い出した。
「ピンネ・シリのことは忘れません。お元気で」そう新三郎は言った。男は小さくうなずいて「ご機嫌よろしゅう」とあの時と同じことを言った。
艀から縄梯子を登り、永寿丸に乗り込んで新三郎が海岸を見渡すと、ニシベツ先住民の男や女たち二十人ほどが見送りのために立っていた。そのなかにあの男の姿は見当たらなかった。
碇を上げ、永寿丸はノサップ岬を越えるべく野付水道を北東に向かった。
(連載第13回へつづく)
〈「STORY BOX」2020年2月号掲載〉