芥川賞作家・花村萬月が書き下ろし! 新感覚時代小説【くちばみ 第18回】

古く蝮をくちばみという。戦国時代、「美濃の蝮」と恐れられ、非情なまでの下剋上を成し遂げた乱世の巨魁・斎藤道三の、血と策謀の生涯を描く! 油売りから身を起こし、策と毒を用いて美濃国の守護代にまで登りつめた道三は、ついに守護・土岐頼芸の追い落としに打って出る。美濃を手中に収めるべく、土岐一族を根絶やしにしようとする道三。しかし、共に戦う長男・義龍は、自分は道三の子ではなく、土岐頼芸の胤であるとの噂に心を奪われていた……。

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 道三、五十五歳の春、唐突に家督を義龍(よしたつ)に譲り、自身は鷺山城に隠居した。
 鷺山城の比高は四十七メートルほど、難攻不落の稲葉山城は三百八メートルもあったから、美濃を遥か眼下に見おろしていた稲葉山の城から、平地にある小振りな乳房のようにまろやかな丘に道三は引っ越したわけである。この高さが身の丈にあっておると笑う道三に、小見(おみ)の方は小さく肩をすくめた。
 そんな鷺山城に義龍が足繁く通ってくる。それほど母に逢いたいのかと道三はからかうが、もちろん義龍の目当ては母ではなく道三である。義龍は道三からすべてを吸収したいと念じていた。それがいきなり眼前から消えてしまったのだ。
 もっとも稲葉山城と鷺山城は長良川を隔ててせいぜい一里半といったところ、義龍は鷺山城を見おろしていると、なんともいえない気持ちになって、馬に鞭をくれて父を訪ねるのであった。
 まさか、これほど早く家督を譲られるとは思ってもいなかった。国内の反道三勢力を完全に沈黙させ、美濃の実権を握って名実ともに大名として君臨しているというに、二年ほどですべてを見切ってしまったがごとく、おまえがやれ──と義龍にすべてを託してしまったのである。
 父はじつに飄々としたもので、つい先頃までみせていたくちばみならではの隙のない気力、胆力、智力、洞察力といった諸々を、柔らかな笑みと共に消し去ってしまった。
 義龍がまず第一に訊きたいのは、何故これほど早く、あっさり家督を譲ったのか──であった。けれどそれを問うことはなんとなく憚られた。
 ──この御方には、たいした理由などないのだ。あるいはその思いが深すぎるので、凡人には計り知ることができぬ。義龍はそう己に言い聞かせていた。
 稲葉山城にて一人思いを巡らすとき、義龍は若干狼狽(うろた)え気味に、俺はひょっとして幸人(さちびと)だったのではないか、父に愛でられていたのではないか──と、以前とはまったく逆の疑念を抱いて、落ち着かぬ気持ちをもてあましていた。いまも鷺山城をおとなった義龍は、膝で(にじ)り寄る勢いで問う。
「ですから、これから先々の()(じょう)を」
「御諚ときたか。それは主君の(めい)のことだ。斎藤家の主は義龍、おまえだ。俺がおまえに諚など発することができようか」
 義龍がいくら迫っても、こういう具合にはぐらかされてしまうのである。院政を敷く気など毛頭ないのだ。手助けならば、なんなりとしようと言うだけである。
「ならば、戦の大局をお教えくだされ」
「また、いきなり、なんとも大仰な。必要な戦は、つまり必要な喧嘩は、とことんしてよい。だが戦は、できうる限り避けるべし。いかに損を出さぬか、それを常に心懸けよ」
 父の戦は迎撃が多い。だが義龍は迎え討つという戦い方、ひいては謀略、調略が苦手であった。出来る出来ないではなく、したくなかったのだ。
 武人である。商人ではない。損得もわかるが、そればかりではない。真正面からの武威を誇示せぬ武士など無意味だ──と先年の織田信秀迎撃までは固く信じていた。
 用意万端怠りなく整えた信秀が美濃に侵攻してきたとき、懲りぬ男だと道三は力みなく苦笑いした。苦笑とはいえ、なぜ笑っていられるのか。義龍はなんともいえない奇妙な気分を味わったものだ。
 緒戦は乾坤一擲の信秀の大軍に大垣城を奪取され、後退を余儀なくされた。織田一族の諸氏を総動員し、前回、稲葉山城を攻めて、退却を余儀なくされた屈辱を晴らす勢いであった。なんなく奪取した大垣城に信秀は織田播磨守を入れ、それを中継ぎおよび牽制として怒濤の勢いで稲葉山城に攻め寄った。
 ところが、義龍は気付きはじめていた。いま思えば、父はわざと大垣城を信秀に与えたのではないか──と。
 大垣城を得た信秀の軍勢は勢いに乗って稲葉山城を攻めんとした。
 だが義龍が見るところ、父は大垣城を与えて信秀を調子づかせ、深入りするように仕向けたのだ。なにしろ体裁を整える程度に軽く戦わせ、即座に撤退である。自軍の兵の損耗はほとんどなかったのだ。
 それをさりげなく訊いたところ、道三は幽かに笑んで、呟いた。城など、とっとと引きさがれば焼かれずにすむ。焼かれたとて、また建てればよい。が、熟達の将兵はそうはいかぬ。大垣の城から即座に退かせた俺の兵どもが稲葉山城下の戦いにて存分に働いたことは、義龍もよくわかっておるだろう。ま、損して得取れということだわな──。
 伏兵を主体にした父の奇襲による挟撃は尋常でなかった。一息に攻めて、深追いせずに即座に引く。けれど大地には血の臭いが立ちこめ、散乱した信秀方の無数の将兵の(むくろ)が、屍肉に飽いた鴉に雑に(ついば)まれるといった有様であった。
 そればかりか信秀の弟である信康、清洲三奉行の織田因幡守といった織田家にとって最重要な者たちが次々と討ち死にし、あげく尾張撤退の信秀の軍勢は、波状帯状に迫りくる道三の追撃の兵に(へい)()倥偬(こうそう)をきたし、増水していた木曾川に追い込まれ、突き落とされたのである。下流では淵などに重なり合うようにしてたまった大量の水屍体が腐爛し、嘔吐を催す悪臭を放ち、民草の飲み水にまで影響がでた。
 信長公記には、この戦における信秀側の討ち死には五千に及ぶとあるが、織田家の公記である。少なめに見積もってあるとするのが正しいが、織田信秀の生涯において最大最悪の惨敗であった。
 織田信長の父である。智力胆力も並みでないどころか、過剰なまでに豪胆な男として知られる。それが呆然とし、悄然として将兵らの御霊を鎮めるために織田塚をつくり、祀ったほどである。
 道三の死後、織田信長が稲葉山城を我が物とし、岐阜城と改名して居城としたのも、父信秀が常日頃、稲葉山城の堅固と、道三の巧みな誘引および尋常ならざる反撃の凄まじさを語っていたからである。信長は、心(ひそ)かに道三に憧れていたのだ。
 それは(さて)()き、義龍は突っ張る気持ちをきれいに棄て去って、人生最大の師である父に今後の方策を切実な眼差しで求めてくるのである。なにしろ自軍の将兵の死を最低限に留めおく道三の戦い方は、つぎの戦に備えるという見地からも、じつに理に適っている。
 父に対する帰依に似た態度は、(きょう)()からくるものではなく、斎藤家の主としての自覚から、場合によっては迎え討ちどころか謀略調略も厭わぬという決意を秘めて、つまり最善最良の途を求めてのことであった。
 そんな義龍を道三は愛おしげに見つめ、己の好きなようにすべしと頷き、言外に、おまえは俺と()(よし)()の血の最良の結実であり、俺を凌ぐのは当然であるという思いをにじませて呟いた。
「義龍。おまえはもう一人でも充分やっていけるのだがな」
「買い被りです。これからの指針を。今後、どうしたらよいか御教示を」
「だが、俺の遣り口は、おまえにはおもしろくないだろう」
「父上から美濃を任されて、おもしろいとかつまらないといった(いわ)けないあたりから、ようやく抜けだすことができました」
「どうしても、言わせたいか」
「是非とも」
「──和議和睦」
 和議和睦。義龍は口のなかで繰りかえす。これを聞くのは、はじめてではない。
「俺だったら、こうするということだが、あえて事細かに言うのも僭越だ。和議和睦だけで悟れ。俺に喋らせると長いからな」
 小見の方が横目で道三をちらりと窺って、そっと袂を口許にやる。よくぞ御自分のことをわかっていらっしゃる──という思いから(うか)んだ親愛と幽かな苦みを含んだ笑みを隠すためである。
 義龍にそのような笑いを見せたくなかったのだ。実母深芳野がこの場に同席していないことの理不尽さが、女の置かれた立場の不条理が小見の方の胸中に微妙なささくれを刻む。
「生憎、この義龍、少々頭が足りませぬ。ゆえに嚙んで含めてお教え(ねが)います」
 食らいつく義龍の(したた)かさに満足げな笑いを泛べ、道三は具体的なことを述べた。
「他国にいられては、毒を盛ることもできぬということだが──」
 おまえに出来るか、と、くちばみの眼差しで義龍を一瞥する。
「まずは朝倉と和睦すべし。頼純には(おお)()城を返してやろう」
 義龍から視線をはずし、節榑(ふしくれ)の目立ちはじめた己の手指の先を見つめつつ、呟くように言う。
「次に織田信秀と和睦しよう。この頃には、もう頼純はこの世におらぬ。そこであの愚鈍を呼びもどす」

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