芥川賞作家・花村萬月が書き下ろし! 新感覚時代小説【くちばみ 第19回】

古く蝮をくちばみという。戦国時代、「美濃の蝮」と恐れられ、非情なまでの下剋上を成し遂げた乱世の巨魁・斎藤道三の、血と策謀の生涯を描く! 油売りから身を起こし、美濃国の守護・土岐頼芸を追い落として、一国の主となった道三。ほどなく長男・義龍に家督を譲るも、義龍の心中には、幼い頃から抱き続けた父への反感が渦巻いていた。娘・帰蝶を嫁がせた尾張の大うつけ織田信長と対面を果たし、その傑物ぶりに惚れ込む道三に、ついに義龍が牙を剝く……!

 

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 道三が信長と会見して二年ほどは、表面上とはいえ穏やかな日々が続いた。
 されど義龍よしたつは着々と牙を磨いでいた。くちばみこと道三は、土岐とき頼芸よりなりたねを宿した拝領妻を厭な顔ひとつせず迎えいれて、血のつながりのない俺を甲斐甲斐しく育てあげたばかりか美濃国主の座に就けた忠臣中の忠臣である──などと皮肉交じりに吹聴することもあって、美濃のくにしゅうは道三よりも義龍に傾斜していった。
 国衆のなかには当然ながら自分の立場をよくしようという悪知恵を働かせる者もおり、美濃をものにした道三がたった二年で義龍に家督を譲った理由をもっともらしくでっちあげて、当の義龍に耳打ちする者さえあった。
「権を施すという立場をあっさり義龍様にお譲りなされたのは、道三殿の支配徹底の策略にてございます」
「どういうことか」
「権を世襲させるということ、いにしえよりその国を真につかさどっているのは、それを為さしめることのできる者、すなわち己であるということを、広く世に知らしめるための方策でございます」
 道三にそのような意図など欠片もないことを知りながら、義龍は自分にとって都合のよい文言を躊躇ためらわず取り入れ、有利な立場を構築していく一方で、道三に対する憎しみと怨みの心を昂進させていく。
 それに付け込んで、道三が義龍のことをれ者と嘲笑していたと作り話を吹きこむ者さえいた。長井道利──道三が若かりしころの庶子である。耄れ者とは愚か者、莫迦者のいいである。それを聞いた義龍は怒り狂った。
 さらに長井道利は、道三が正妻である小見おみの方の子である龍重に従五位下きょうのすけを名乗らせ、義龍を廃嫡し、龍重に跡を継がせようとはかっているとまで讒言ざんげんした。
 たしかに龍重、龍定の義弟たちは義龍を露骨に軽んじる。だが、それもこれも義龍自身が己は土岐頼芸の子であると吹聴してまわっているからである。
 龍重と龍定は父道三が大好きで、異母兄どころか道三の胤でさえない義龍が斎藤家を継いだということに耐えられない思いを抱いていたのである。
 それを誰よりも素早く敏感に悟った長井道利が、いかにも義龍のことを心配しているふうを装い、義龍の不安を倍加させるようなことばかり囁くのである。
 長井道利が庶子としての屈辱と苦労を重ねたあげく、道三をひどく逆恨みしているということ、さらには土岐家の胤である義龍に美濃の国衆がなびいていることを目敏く読んで、自身の出世の道を拓くため、ついしょうと噓で塗り固めたあれこれを吹きこんでいることに思いが到らぬのは、所詮は総領育ちの読みの甘さであるが、たとえそれが噓であると気付いても、義龍は己の逆心を鼓舞してくれるものであるならば委細構わず飛びつくのだった。
 義龍は母であるよしに指摘され、内腿に淡いものではあるが、まちがいなく65267cf267d2de787b09aac70a9352cbの形のしるしが浮かびあがっていることを当然ながら慥かめているのである。
 だからこそ、自らを奮激させるためには、どのような讒言でも受け容れる。俺は道三の子ではない。土岐頼芸の子である──という虚構を補強するためである。
 また家督を継いで、かたちだけでも皆が頭を垂れるようになると、もともと胸の裡でたぎっていた権勢慾に加えて名誉慾とでもいうべき得体の知れないこれまた虚構に囚われて、事実真実などいかようにも曲げ、自らに都合のよい言説だけを取りあげて、平然と周囲を睥睨するようになった。
 ──俺がいま為すべきことは、斎藤道三の一族を、くちばみの一族を、こそぎにすることだ。下賤の成りあがりから、名門土岐家に真の美濃支配を取りもどすのだ。
 父だってさんざん毒を盛ってきた。俺も土岐頼純を毒殺してから、肚が据わった。毒でも調略でも欺きでもたぶらかしでも、なんでもする。くちばみの血よりも、土岐の血だ。綺麗事では生きていけぬ。最後に息をしている者こそが勝者だ──。
 権力を握っている者が、知らぬ存ぜぬで通せば、取り巻きから下々までもやもやしたものを抱えはするが、時間がたてばなんとなく収まりがついてしまうことを、義龍は悟っていた。
 論理が破綻していようが、無理があろうが要は、俺は土岐氏の正統な血筋であると言い募ればよいのだ。

   *

 これは現代の政治における廉恥に欠ける二世、三世議員にも通じることである。なにしろ日本語もまともに喋れないのだから、如何ともしがたい。二世三世は、そのまま二流三流に通じるのだ。
 二世もだめだが、三世ともなると取り柄の欠片もなくなる。
 義龍の息子である龍興たつおきの代になると酒色に溺れるばかりの暗愚ぶりが知れわたり、それを諫めるために軍師として知られる家臣、竹中半兵衛がたった十六人を率いて龍興の稲葉山城を奪取してしまった。いかに軍略に長けているとはいえ、たかだか十六名を率いているだけの半兵衛と一戦も交えることなく龍興は揖斐いび城に逃げたのである。
 竹中半兵衛は政務を顧みず遊興に耽るのみで、それを許容する一部の佞臣ねいしんだけを重用する龍興に造反したのであるが、いかになんでも美濃一国の主が籠もる鉄壁の城がわずか十六人に奪われてしまったというのだから、その臆病さも含めてじつに無様で呆れ果てたものである。
 半兵衛は半年ほど稲葉山城を占拠し、けれど龍興が支配する美濃に先はないと見切り、あっさり城を龍興にもどし、そして斎藤家を去ってしまった。
 それを大局から見おろしていた信長は、あまりの龍興の間抜けぶりに、方針転換した。力攻めをやめ、調略によって着々と美濃国人を寝返らせていくのである。
 最終的に稲葉一鉄ら美濃三人衆が、信長の舅である道三の弔い合戦に味方致したし──と都合のよい理窟を捻りだして信長に内応したため、美濃衆は雪崩を打って信長方に従うこととなった。
 この美濃調略を一任されて見事にやり遂げたのが、木下藤吉郎であった。
 さらに藤吉郎は信長の命により、三顧の礼をもって栗原山の長享軒という庵に隠棲していた竹中半兵衛を訪れ、軍師として尾張に迎える算段をした。
 だが半兵衛は藤吉郎の資質を見抜き、信長に仕えることは拒絶し、かわりに自ら申し出て、藤吉郎の家臣となったのであった。

   *

 道三の庇護のもと、押しも押されもせぬ美濃国主となった義龍であったが、道三の抱えていた切実な衝動と行動を理解せず、二世ならではの遣り口、その表面だけをなぞって安直安易に己を土岐氏の権威に結びつけていく。
 その義龍が病に倒れた。
 十月下旬に年号が天文から弘治に改元されたのだが、それからたいしてたたぬ十一月中旬、父に促されて龍重と龍定は見舞いに稲葉山城を訪れた。
 寝具に横たわった義龍に、龍重と龍定は儀礼的に頭をさげた。
 抜刀したまま衝立の背後に隠れていたふたりの刺客が無音で迫る。
 背後から、いきなり斬りつけられた。
 龍重も龍定も後頭部をざっくり断ち割られて、振りかえる余地もなかった。
 日根野弘就ひろなり他一名の刺客は、まさに手練れであった。龍重と龍定は頭をさげた恰好のまま、真っ二つにされた髷から散る頭髪をはらはらと舞わせ、義龍の上にくずおれてきた。
 背後に立つふたりの刺客は、刀身にまとわりつく血だけでなく、絡みつく脳を落とさぬよう刀の保持に気配りし、黙礼すると退出した。噴いた血はともかく、刀からはひとしずくの血さえ垂らさずに去った刺客たちの背を見送って義龍は呟いた。
「畳を汚さぬ配慮はよいが、俺がまみれだわい。息せぬ者とは、やたら重いものだな」
 軀の上にのしかかって事切れている龍重と龍定を早く片付けろと暗に仄めかして言い、入ってきた長井道利を見やる。
 が、即座に視線をはずし、寝具に散った刺客の刀に附着していたものと同様の脂身じみたものをつまみあげる。
 しばし凝視していたが、薄笑いをうかべて、その細片を口にほうり込んだ。
 二人の屍体が片付けられるまで、義龍は口をひらかなかった。道利もやや距離をおいて畏まって座り、黙っていた。
 風呂は面倒だと渋面をつくり、女中に全身を甲斐甲斐しく拭かれながら、義龍は大欠伸をした。
「端緒をひらく、というやつだな」
「はい」
「道三に宣戦布告だ」
「はい」
「ん、なにが知りたい」
「さすが御屋形様。見抜かれましたか」
 長井道利は義龍の分厚く血色のよい唇を見つめ、消え入るような声で呟いた。
「味を」
「味」
「龍重殿、龍定殿、どちらのものか判然とは致しませぬでしょうが、脳味噌の味を」
「知りたいか」
「はい」

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