芥川賞作家・花村萬月が書き下ろし! 新感覚時代小説【くちばみ 第18回】
道三は小見の方の眼前で、平然と我が娘である帰蝶を、織田の虚けにくれてやると口にした。
帰蝶は、妾の腹を痛めた大切な大切な娘でございます。よりによって虚けに嫁がせるなど、あまりといえばあまり。あれほどいとおしんだ娘は、貴方様にとっては、ただの調略の道具でしかないのでございますか。
父、母、子──。
閨で道三が語った荒ら屋の無能な領主であった父。その父を見限って出奔した母。父にすがらねば、待っているのは死であるからこそ、必死に油売りの父に従った幼き道三。
戦は、常に家の内から、身の内から起きるものである。家は最小の国家であり、火の手は必ず身内からあがって、その焰はすべてを焼き尽くす。
幸あふれる家など、あったものではない。幸あふれる家など、どこにも、ない。妾の生まれ育った家も──。
嫁ぐ帰蝶を笑顔で見送る己が見えた。小見の方は、胸中にて絶望した。命の糸が切れる心持ちであった。
実際、このあと小見の方は病に倒れた。
*
病床の小見の方を見舞った深芳野は、小見の方の眼差しから無情を悟った。すべては、酷薄である。
人は生まれるときに笑って生まれるのではなく、泣きながら生まれます──小見の方の言葉である。
人は生まれた瞬間からあらゆる苦痛を背負い、死に向かって一直線に歩むしかない。
我が子義龍は、深芳野の見るところ押しも押されもせぬ斎藤家の主である。周囲も土岐頼芸の血を引いていると了解して、商人あがりの道三よりも義龍に付き随う気配である。
道三もどうやらそのことを込みで、義龍に家督を譲ったようである。それは権威というものを排除できぬ道三にとって、さぞや苦い決断であったことだろう。
土岐頼芸の血を引いている──。
だが深芳野は頼芸と閨を共にしていないのである。孕みようがないのだ。加えて内腿のの形の痣を鑑みれば、道三と深芳野の子であることは一目瞭然である。
けれど、世間というものは、多少早産であったというだけで、義龍は頼芸の血を引いているということの絶対的な証しをそこに見てしまう。
「拗ねた思いをお持ちのようですが、義龍殿は己が左内腿の痣に気付いておられますか」
「痣。知らぬ」
「淡いものではございますが、の字の、松波家、すなわち斎藤家に生まれたる子供に代々伝わる徴でございます」
深芳野はまっすぐ息子の目を見て続ける。
「父上にも、見事なの字をした痣がございます。即ち義龍殿は、父上の御子でございます。どうかいまこの場でお確かめください」
「無体な。母上の前できんたまを曝せと申されるか」
「なにもそのようなことは」
「だが、内腿であろう」
「ならば、お一人のときに──」
「痣であろう。もし、あるならばとうに気付いているはずだ」
「──やや淡いものゆえ」
「ふん、龍重や龍定にも、その徴とやらはあるのか」
「小見の方によれば、ございます」
「さぞやくっきり美しい痣であろうな。父上が龍重と龍定をいとおしんだわけが重々わかり申した」
義龍は母に、売女にでも向けるかの蔑みの眼差しを投げつけ、その場を立った。もちろんそれは義龍の虚勢からきたものである。派手に音を立てて襖を閉め、一歩踏み出したとたんに、義龍は中空を睨みつけ、あたり憚らぬ大声で喚き棄てた。
「いまさら、なにもかもが遅いわい」
泣きだしそうな小声で、付け加える。
「痣のあるなしでは、ない。血のつながりでもない。慈しまれたか、無代にされたかだ」
深芳野は俯いたまま、顔をあげられぬ。義龍が幼きころ、痣に対する道三の異様なまでの執着に、逆に白々したものを覚え、以来一切触れずにきた。
血だのなんだのと男はじつに騒々しい。無様でもある。加えて側室であるという遠慮もあったし、まさか本当に道三が義龍を斎藤家の当主に据えるとは思っていなかった。深芳野は道三の言葉を、側妻である己に対する慰撫に過ぎぬとどこかで捉えていたのである。
嗚呼──。
深芳野の膝に涙が落ちる。
その年の暮れも押し詰まったころ、深芳野は道三が止めるのも聞き入れず、正法寺にて剃髪し仏門に入った。
*
翌年二月、帰蝶は信長に嫁いだ。
信長よりも一つ年下の満十四歳にすぎぬ、父に溺愛されて育った、まだ幼き面影を宿したうら若き乙女であった。
巷間語られる、一朝事あらば父から与えられた一振りの短刀をもって信長を刺せなどということもなく、父と母から離れたくない帰蝶は、俯き加減でしずしずと涙を流して道三のもとから去っていったのだった。
*
道三のすすめに従って、義龍は朝倉と即座に講和した。
美濃に帰されて大桑城にもどされた土岐頼純は、いきなり病死した。喀血、赤斑と散々な死に様であった。義龍は道三の倅である。やると決めたら躊躇しない。
頼純を毒殺して、義龍の内面が大きく変わった。強かさを増し、激烈さを増し、狡さを増した。後顧の憂いなきよう斎藤家の重立った者を消し去る決意をした。それには、当然のごとく父道三も含まれていた。
帰蝶を差しだしたことによって織田信秀との講和が成った。織田に匿われていた土岐頼芸は哀れにも行き場を喪い、義龍と道三の温情によりふたたび大桑城に入り、守護の座についた。もちろん頼芸にとっては絶望的な傀儡として、である。
斎藤家と織田家は帰蝶を人身御供としたことで強固な同盟関係を結んだ。ところが頼芸は織田家の閨閥とは無縁であった。頼芸は己が身のみの丸裸と相成った。
織田家が動かぬと見切った道三のすすめに従って義龍は、即座に大桑城の頼芸を攻めたてた。頼芸は這々の体で国外に脱出した。命を取らなかったのは、あの愚鈍には可愛げがあるという道三のひと言に縛られ、義龍は刃の振るいようをなくしたからである。もちろん自身の父親である可能性を棄てきれぬということも、義龍の攻めの最後の詰めを甘くさせ、頼芸の命に幸いした。