芥川賞作家・三田誠広が実践講義!小説の書き方【第13回】ただの自然主義ではないすごい小説

芥川賞作家・三田誠広が、小説の書き方をわかりやすく実践講義!連載第13回目は、中上健次の『岬』について。芥川賞を受賞した、「血の宿命」を背負った青年の葛藤を描いた作品を分析・解説します。

【今回の作品】
中上健次『岬』 「血の宿命」を背負った青年の葛藤を描く

「血の宿命」を背負った青年の葛藤を描いた、中上健次『岬』について

しばらく直木賞作品を採り上げてきたので、今回は芥川賞作品についてお話しします。高校野球が盛り上がるように、新人のヘタクソな作品でも、芥川賞は世間の注目を集めます。無名の書き手が急にテレビに出たり新聞に原稿を書いたりするようになる。まさにシンデレラですね。芥川賞が新聞などで報道されるようになったのは、石原慎太郎くらいからだと言われています。当時の石原慎太郎は一橋大学在学の学生でした。やっぱり若い人が出てくると、文壇もマスコミも活気づくのですね。
中上健次『岬』は、初めて「戦後生まれ」の受賞者が出たということで話題になりました。いまの若い人にはこの「戦後生まれ」というのがよくわからないと思いますが、日本は戦争に負けて急に世の中が大きく変わったので、第二次大戦の終戦というのを時代の区切りと考えていたのですね。この戦後の時代というのは高度経済成長が始まった時期でもありました。テレビやマンガ雑誌が普及したこと、ヨーロッパのロックやポップスが流入したこともあって、若者の趣味が多様化した時期でもありました。戦後生まれの人々が大学生くらいになった時期には、もう若い人は文学になど興味をもたないのではないかと心配されていたのです。
ですから戦後生まれの中上健次の出現は、大きなエポックでした。若者が書く青春小説というと、都会の雑踏の中で貧しさに苦しみながら、時にすねて世の中を呪ったりもする、屈折した青春を描くのが定番なのですが、この『岬』という作品は地方都市を舞台としています。中上の故郷の新宮ですね。そこで土木作業にあたっている若者が主人公なのですが、家族の構成がやや複雑で、父親の違う兄や姉、母親が再婚した先の血のつながりのない弟などが出てきます。さらに家族の問題よりもスケールの大きな、土地の問題がテーマとなっています。

戦後生まれの作家による自然主義作品

自然主義という言葉があります。山や海の自然という意味ではありません。19世紀のフランスの作家エミール・ゾラが唱えた文学的な主張なのですが、英雄や美女が活躍するロマンチックな夢物語ではなく、どこにでもいるような一般人の苦労をありのままに描いた作品の方が、文学としては価値があるのだというようなことですね。ゾラの代表作は『居酒屋』ですから都会の話なのですが、中上の作品も地方都市を描いたものですから、まさに自然主義の作品といっていいと思います。戦後生まれの若者が、伝統的な自然主義の作品で芥川賞を受賞したのですから、世の中は少し驚いたのではないかと思います。いまこの作品を読み返しても、自然主義っていいね、というような感想がわいてくるのではないでしょうか。
でもちょっと待ってください。この作品は自然主義に見えるのですが、もっとすごい仕掛けがあるのです。土地の問題がテーマとなっていると先に言いましたが、この町の一角に周囲の人々とは交際しない、閉ざされたゾーンといったものが設定されているのですね。この地域の人々は閉鎖的で、中卒や高卒で大阪に出ていくのですが、その時に意に反して生まれてしまった赤ん坊を残していったりするのですね。仕方がないので祖母が育てるのですが、大阪でキャバレーのホステスなどをしていた女の子が中年になって故郷に帰ると、自分が残していった赤ん坊が成長していて娘になっている。その娘が赤ん坊を残して大阪に行ってしまう。つまり自分が故郷を出ていった時と同じ状況がくりかえされるのです。

私小説に構造的な視点を入れる

この『岬』という作品は、地方都市の日常を描いた自然主義の作品に見えるのですが、一つの土地で時代を超えて同じことがくりかえされているという、神話の構造を組み込んだ意欲的な作品なのです。この『岬』の設定はのちに書き継がれて、『枯木灘』『地の果て至上の時』という大長篇に発展していきます。またこの作品の主流から外れた、スピンアウトともいうべき短篇シリーズが『千年の愉楽』という短篇集になりました。これは明らかにコロンビアの作家ガブリエル・ガルシア=マルケスの『百年の孤独』を意識したタイトルです。この神話の構造をもった世界的な名作よりももっとすごいものを書いてやろうという中上の心意気が、このタイトルにこめられているように思います。
このように中上の作家としての業績を振り返ると、この『岬』という作品はとても重要な作品です。あとになってわかるのですが、ここに描かれている家族の設定は、中上の私小説といってもいいものなのですが、そこに構造的な視点を導入することによって、私小説的な枠組を超えた、文学史に一つのエポックを刻むような試みになっています。これは真似のできないようなすごい作品なのですが、たまにはそういうものを読んで勉強してみるのもいいでしょう。

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初出:P+D MAGAZINE(2017/02/09)

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