玄侑宗久『中陰の花』/芥川賞作家・三田誠広が実践講義!小説の書き方【第88回】うわあ、仏教だ、という感動
芥川賞作家・三田誠広が、小説の書き方をわかりやすく実践講義! 連載第88回目は、玄侑宗久『中陰の花』について。生と死を独特の視点から描いた作品を解説します。
【今回の作品】
玄侑宗久『中陰の花』 生と死を独特の視点から描く
生と死を独特の視点から描いた、玄侑宗久『中陰の花』について
玄侑宗久さんは禅宗のお坊さんです。デビュー作がいきなり芥川賞の候補になり、この作品が2回目の候補ですね。で、作者がお坊さんだということが、選考委員会でも話題になったようで、委員の全員がその認識をもっていたと思います。とくにこの作品は、安定した私小説の文体で書かれているので、とてもフィクションとは思われない展開と感じられるのですが、でも何だかそこに、仕掛けが施されている感じがします。
受賞後の玄侑さんは、やっぱり「お坊さんの作家」として話題になり、いまもそういう感じで講演や文筆活動をされているようです。でもこの人は、ただのお坊さんではないのですね。確かにお坊さんの家に生まれ、お父さんの寺を継いで、いまもお坊さんをしているのですから、まぎれもないお坊さんには違いがないのですが、でもこの人は若いころ、少しグレた感じで、放浪の旅なんかに出ていたみたいです。
それでもお坊さんの家に生まれた宿命でしょうか、子どものころから抹香臭い感じがしみついてしまったみたいで、その青年時代の放浪も、新宗教に興味をもったり、ヨガにハマッたり、要するに精神世界のトレンドをいろいろと試したりしているうちに、座禅がいちばん肌に合うということがわかり、それで実家に戻ったということのようです。お父さんから禅の手ほどきを受けたとか、単に家業を継いだとか、そういうことではないのです。
怪しげな信仰の世界にのめり込む僧侶
放浪時代の多くを京都で過ごしたので、この私小説ふうの作品に登場する奥さんも、関西人のようで、しかも精神世界みたいなものにも興味をもっている。その関西人の奥さんとの会話が、どこかとぼけていて、深刻なテーマなのにユーモアみたいなものが感じられます。なかなかいい作品に仕上がっています。
お坊さんが書く私小説ですから、主人公の日常生活が描かれ、そこにはお寺とか、法事とか、仏教が出てくることは確かなのですが、テーマは仏教ではありません。日本人の民間信仰、とくに東北地方には根深く残っている霊的な世界……これがテーマなのだと思われます。お経とか禅といった、いわば正統的な仏教とは微妙にズレたところに、民間信仰の世界が広がっているのですね。
まじないとか、未来の予知とか、背後霊とか、そういったものですね。これは仏教とはまったく違う世界なのですが、一種の信仰であり、宗教めいたところもあり、一般の人にとっては、仏教も背後霊も、似たようなものだろうと思ってしまうところがあります。でも仏教の専門家であるお坊さんにとしては、正統の仏教と民間信仰とは、はっきりと区別してほしいし、そういう怪しげなものは切り捨ててしまいたい、というのが、お坊さんとしての正しい態度なのだと思います。
ところが主人公のお坊さん、つまりは玄侑宗久さん本人といってもいいのでしょうが、この人はお坊さんでありながら、ただのお坊さんではないのです。若いころに放浪体験があり、新宗教など、伝統的な仏教から見れば「怪しげな民間信仰」と切り捨てられるようなものに興味をもっていた過去があるので、その怪しげな世界に、じわじわとのめりこんでしまうのです。
主人公を相対化する登場人物
それでも主人公がお坊さんなので、仏教の世界が目の前に大きく広がっています。わあ、仏教だ、と感動してしまいます。実はぼくも、精神世界が好きで、空海、日蓮、親鸞といった昔のお坊さんの小説も書いていますし、仏教の入門書みたいなものも書いているので(キリスト教の本も書いているし物理学の本も出しているので仏教の専門家というわけではありません)、芥川賞受賞作に、これほど真正面から仏教を扱った作品が出現すると、よくこんなもので芥川賞をとれたなと、びっくりしてしまいます。
はっきりいって、芥川賞の選考委員って、宗教とは無縁の、俗物といっていい人ばかりです。でもそういう人たちが、ほとんど満場一致といっていいくらいに、この作品を評価しています。そのことにも驚かされます。
結局、お坊さんが書いた仏教の小説とはいっても、仏教にはのめりこんでいないというところが、安心して読めたのだと思います。むしろお坊さんなのに、民間信仰に興味をもってしまって、何だか、認識の軸がズレて、ぐらぐらしている感じなのです。そんなことを告白してしまって、これから先、お坊さんとしてやっていけるのかと、心配になってしまうほどです。
でもそういう、ぐらぐらしているところが、本物の宗教家という感じがします。内面の葛藤のない宗教家というのは、世襲で仕方なくやっているといった感じがして、信用できないところがあります。この作品は、かなりぐらぐらして、葛藤しているところもあるのですが、そこに関西人の奥さんが出てきて、主人公を相対化しているのですね。この仕掛けが秀逸です。相対化する、距離をとるというのが、私小説を安定させる絶対条件なのですが、この作品はその意味で、お手本のような私小説だと思います。
初出:P+D MAGAZINE(2020/04/23)