採れたて本!【海外ミステリ#30】

警察には何を救えるのか。医療と社会福祉には何を受け止められるのか。推理小説という形式を使って、アン・クリーヴスが追究しているのは、そういう主題なのかもしれない。最新作『沈黙』を読んで、そう感じさせられた。
本書は二年前に邦訳された『哀惜』に続く、〈マシュー・ヴェン〉シリーズの第二作である。著者は他にも代表的なシリーズ作品を持ち、〈ジミー・ぺレス〉シリーズについては、この連載でも『炎の爪痕』を取り上げたことがある。そちらのシリーズでも、エネルギー問題(『水の葬送』)などのテーマや、英国流のゴースト・ストーリー(『空の幻像』)といった題材が広く試みられていたが、〈マシュー・ヴェン〉シリーズでは第一作『哀惜』から、ダウン症(作中では「学習障害のある人々」という表現が用いられる)の女性、ルーシーが関わる事件が描かれ、八十歳の彼女の父親の視点から、英国の医療制度、社会福祉の現状が点描される。
『沈黙』でも、ルーシーは再登場し、作中で重要な役割を果たす。といっても、今回のテーマはまた別のものだ。自殺を教唆するサイトと精神医療の現状を巡る謎が、マシューたちに突き付けられる。といっても、堅苦しい読み物というわけではない。「犯人捜し」の技巧に特化したアン・クリーヴスの筆は、今回も冴えわたっている。
ジェン部長刑事はホームパーティーに出席したおり、ナイジェル・ヨウという男性と会話を交わす。ノース・デヴォン患者協会で働いている彼は、ジェンに何か伝えたかったようだが、その内容は聞けずじまいとなった。翌日、ナイジェルが死体で発見されたのだ。ガラス細工の職人である娘、イヴの仕事場で、それも、イヴのガラス細工が凶器に使われていた。ナイジェルは生前、マックという青年の死について調べていたという。自殺とみられるが、彼は自殺を教唆する謎のサイトにアクセスしていた形跡があるのだ……。
マシューやジェンだけでなく、イヴやマシューの夫、ジョナサンなどの視点を並列的に配置し、事件の関係者を描写していくアン・クリーヴスの手さばきは、いつも通りの彼女の魅力だ。複数のカメラ・アイが作り出す死角に、見事に犯人が隠れている。イヴが真相に気付くシーンの文章も上手い。些細なきっかけだが、事件の見え方がすっかり変わってしまう手掛かり。アン・クリーヴスは、こういうのを書かせたら現代作家随一なのだ。
視点人物の扱いで、特に注目してほしいのはロス・メイという刑事だ。出世に意欲を見せ、野心に満ちた彼のことは、マシューもジェンもかなりシニカルな目で観察している。しかし、彼の子供っぽいキャラクターが、読了後、作品全体を見渡した時に、あまりにも上手く機能していることに気付かされるはずだ。この小説は優れた「犯人捜し」の物語であると同時に、ロス・メイという一人の警官の成長物語としても構築されている。ここに、著者の技巧の冴えを見る。
シリーズものとしての愉しみでいえば、マシューの母親、ドロシーとの挿話にも注目してほしい。救いのない事件の中で、このさりげないエピソードが、ほのかで明るい光を投じる。実に泣かせるではないか。次作もますます楽しみである。
評者=阿津川辰海