〈第6回〉加藤実秋「警視庁レッドリスト2」

警視庁レッドリスト2

宗教団体・楯の家から届いた脅迫。
慎は対策に動き出す。

 慎は下げていた頭をゆっくりと上げ、柳原を見た。口の端をわずかに上げ、返す。

「さすがのご高察ですね。しかし、お祝いに関しては他意はありません」

「いいから、用があるなら早く言え。もう二分経ったぞ」

「盾の家の捜査状況を教えて下さい」

 声を低く硬いものに変え、慎は告げた。思わず「盾の家?」と訊き、柳原は答えた。

「俺が知る訳ないだろう。公安部の極秘事案だぞ」

「ですから、探っていただきたいのです。昨年潜入していた新海弘務巡査部長はレッドリスト計画の騒動後に盾の家を脱出し、退職しました。盾の家は公安部に対する反発心と警戒を強めているため、現在は潜入捜査ではなく盾の家内部にエス、つまり捜査協力者を得て情報を聞き出しているはずです。そのエスと僕が会う段取りを付けて下さい」

「ふざけるな!」

 とっさに声を荒らげてしまい、柳原はドアに目をやった。息をつき、机上の書類を片付けて気持ちを鎮める。その間、慎は表情を動かさずに柳原を見ていた。

「よく、そんなことが言えるな。身の程をわきまえろ。そもそも、誰のせいで盾の家の反発心と警戒が強まったと思ってるんだ?」

 畳みかけるようにして突きつけると、慎は黙った。その隙に、柳原はさらに言った。

「エスと会ってどうするつもりだ? 盾の家の連中が最も恨んでいるのは、公安ではなく──」

「もう一つ、柳原さんにお祝いを申し上げなくてはならないことがありました。ご結婚おめでとうございます」

 再び笑みを作り、慎は話を変えた。呆気に取られつつ柳原が返事をしようとした矢先、慎は続けた。

「挙式は六月だそうですね。奥様の旧姓・君島由香里さんは、既に退職されたとも聞いています。当然ご存じかと思いますが、レッドリスト計画の騒動の際、由香里さんは大変ご活躍だったんですよ。僕もお世話になりましたし──そうそう。奥様は元上司の新海弘務巡査部長とも、浅からぬ縁があったとか」

 慎を見上げ口を半分開いたまま、柳原は動けなくなった。慎の言葉の意味と思惑を悟り、気持ちも凍り付く。脳裏には、警視庁警備部警備第一課の職員だった由香里がしでかした行為、それを柳原が「自分の妻として監視し、レッドリスト計画と騒動に関し一切発言させない」と警視庁上層部に決死の覚悟で訴え、かろうじて認許されたことの記憶が蘇る。ショックと怒り、それでも棄てられなかった由香里への執着も胸に蘇り、柳原は取り乱しそうになる。

 落ち着け。全部済んだことだ。阿久津がどうあがこうが、レッドリスト計画もあの騒動も封印されている。顔を背け、自分で自分に言い聞かせる。と、その言葉が聞こえたかのように慎は言った。

「無論、あの騒動をほじくり返すほど僕も愚かではありません。しかし、新海はどうでしょう。妻と離婚し、再就職先も見つからずに苦労しているそうです。自業自得と言えばそれまでですが、失う者がない人間は恐ろしいですよ。由香里さんとの関係を示すメールや写真を所持しているでしょうし、マスコミも一般市民も警察官のスキャンダルは大好きですから。ましてや由香里さんが、身内を取り締まる立場である監察係のトップの妻に納まっていると知れば──」

「わかった。もういい」

 せめてもの抵抗のつもりで、柳原は片手を上げて慎を遮った。慎は口をつぐみ、柳原はその白く整った顔を見ながら言った。

「盾の家のエスと会えればいいんだな?」

 すると慎は、

「はい。よろしくお願いします」

 と答え、右手の中指でメガネのブリッジを押し上げた。

 ああ。俺はこの目が苦手だったんだ。自信とプライド、自己愛に溢れながら冷ややかで一分の隙もない。そしてこの目が最も輝き、活き活きとするのは、標的となった人間の急所を捉えたと確信した瞬間だ。そう考えながら、柳原は体の力が抜けていくのを感じた。

 

 2

「お帰りなさい。待ってたんですよ。どこに行ってたんですか?」

 職場環境改善推進室のドアを開けた慎に、みひろが訊ねてきた。脇には豆田益男が立っている。慎は自分の席に歩み寄り、椅子を引いて答えた。

「遅くなりました。ちょっとしたヤボ用です。何かありましたか?」

「豆田係長が来たので、この前川浪樹里さんに会いに行った話をしたんですよ。そうしたら、意外な事実が」

「意外な事実?」

 椅子に座り、ノートパソコンを開きながら問う。すると、豆田が身を乗り出した。

「ええ。残念ながら、警視庁では今年これまでに十三名の職員が懲戒処分になっています。免職は一名のみで、他の十二名は停職、減給、訓告のいずれかなんですが、この十二名のうち、川浪樹里を含む三名が依願退職せず、勤務を続けています」

「それは珍しいですね。川浪以外の二名も、罰俸転勤になっているはずですが」

「はい。ちなみに去年のこの時期には十一名が懲戒処分になっていますが、免職以外の処分者も全員退職しています」

「そうですか。なぜでしょうね」

 無表情に疑問を呈しながらも、慎の頭はその理由を考え始める。

 去年の騒動を知っているのは、関係者と本庁の上層部だけだ。加えてレッドリスト計画以降、リスト入りした職員に対して再教育や再活用などの働きかけはなされていない。だが今はまだ五月の頭であり、三名程度なら偶然の範囲内か。

「他の二人にも、警察で働き続ける理由があるんでしょうね。川浪さんと同じように、前向きな理由だといいな。川浪さんは『捨てる神あれば拾う神あり』『新しい目的が見つかった』って話してましたから」

 しみじみした口調で言い、みひろが話をまとめた。「そうだねえ。だといいねえ」と同調して頷いた豆田の腋の下にファイルが挟まれているのに気づき、慎は問うた。

「時に豆田係長。なぜご足労いただいたんでしょうか?」

「すみません、つい無駄話を。監察係からの調査事案をお届けに参りました。どうぞ」

 そう返し、豆田は頭を下げて恭しくファイルを差し出した。慎はファイルを受け取り、中の書類を出して目を通した。思考は切り替わり、川浪たちのことは頭から消える。

 書類を読み終え、慎は顔を上げて向かいに告げた。

「三雲さん。出動です」

「は〜い」

 間の抜けた声で応え、みひろはノートパソコンを閉じて身支度を始めた。それを見守りながら豆田が、「返事は『はい』。間を延ばさない」と慎の頭に浮かんだのと同じ小言を言った。

 

 3

 身支度を整えたみひろは豆田に見送られ、慎の運転するセダンで本庁を出発した。目指すは、町田市の町田北署だ。

 首都高速道路から東名高速道路に乗って、東名川崎インターチェンジで下りた。県道に入り、神奈川県横浜市と川崎市の市域の境にあたるエリアを進んだ。のどかな新興住宅地という趣で、その中に大学のキャンパスや総合病院が点在している。都県境を越えて東京都に戻り、町田北署の管内に入ってすぐに通りは渋滞し始めた。晴天で日射しは強く、歩道を行き交う人は上着を脱いだり、日傘を差したりしている。

「調査対象者は交通課所属。所轄署の交通課って、運転免許証の書き換えをする部署ですよね」

 助手席に座り、資料のファイルを読みながらみひろは問うた。隣でハンドルを握る慎が、「ええ」と頷く。

「運転免許事務の他には、車庫証明及び道路使用許可等の事務。交通安全対策、交通安全教育と信号機・標識の設置、見直しも行っています。加えて、交通指導取締と交通事件事故の捜査も重要な職務で、刑事が配属されています。調査対象者の水野鷹也巡査は刑事ではありませんが、交通捜査係の係員です」

「こういう郊外の街って、都心より道が広くて車と人は少ないから運転しやすそうですけど、雨や雪なんかの影響を受けやすいとか、他の交通機関の利便性が悪いから無理してマイカーを利用するとかで、意外と事故が多いんですよね」

 


「警視庁レッドリスト」シリーズ連載アーカイヴ

 

加藤実秋(かとう・みあき)
1966年東京都生まれ。2003年「インディゴの夜」で第10回創元推理短編賞を受賞し、デビュー。『インディゴの夜』はシリーズ化、ドラマ化され、ベストセラーとなる。ほかにも、『モップガール』シリーズ、『アー・ユー・テディ?』シリーズ、『メゾン・ド・ポリス』シリーズなどドラマ化作多数。近著に、『渋谷スクランブルデイズ インディゴ・イヴ』、『メゾン・ド・ポリス5 退職刑事と迷宮入り事件』がある。
◎編集者コラム◎ 『閉じ込められた女』著/ラグナル・ヨナソン 訳/吉田 薫
◎編集者コラム◎ 『警視庁殺人犯捜査第五係 少女たちの戒律』穂高和季