出口治明の「死ぬまで勉強」 第1回 企業経営者から教育の世界に

60歳のときに開業したライフネット生命の経営に関わって10年。古稀を迎えたのを機に、2017年6月に代表取締役会長を退き、「創業者」として同社のプロモーションや人材育成などに携わってきた出口氏。ところが突然、学長就任の話が舞い込んできて……。

還暦で起業した僕が、古稀で学長になった

 60歳のときに開業したライフネット生命の経営に関わって10年。古稀を迎えたのを機に、2017年6月に代表取締役会長を退き、「創業者」として同社のプロモーションや人材育成などに携わってきました。もちろん、当面それを続けるつもりだったのですが、突然、立命館アジア太平洋大学(APU)学長就任の話が舞い込んできました。
 あとから聞いた話では、APUは日本でほぼ初めて、オープンに国内外から学長を公募し、僕を推す人がおられたようです。
 その話を聞いたのは2017年の9月ごろ。ただ、候補者は100名以上いて、しかも第1条件が博士課程修了、第2条件が英語堪能ということだったので「僕には関係ないな」と思い、半ば忘れていたのです。
 ですから今回(2018年1月)の「転職」については、周囲の人もずいぶん驚いたと思いますが、たぶん、いちばん驚いたのは、僕自身でしょう。

 学生時代の僕は、本ばかり読んでいて勉強はしなかったので、成績も悪く、どちらかといえば劣等生でした。司法試験に落ちたので、卒業後すぐに生命保険会社に入ることになります。ただ、ゼミで発表した論文が担当の先生の目にとまり、「研究の道に進まないか」と誘われたことがありました。
 論文のテーマは「基本的人権」。僕は読書量だけは豊富だったので、いろいろな視点から「基本的人権」を論じました。それがユニークだと評価されたのでしょう。
「でも僕の成績は最悪ですよ」というと、先生は「こんな論文を書けるキミの成績が悪いわけはない」といって確認してくれましたが、やはり「優」が少なく、「良」や「可」ばかり。おもしろくない講義は出席もせず、興味深い授業だけ聴いていたので、当たり前といえば当たり前です。先生が「(成績が悪いのは)ホンマや……」と、肩を落とされたことを覚えています。
 そんな僕が大学の学長になり、立命館の規程により教授になったのですから、世の中わからないものです。
 
死ぬまで勉強第1回文中画像1

イラスト:吉田しんこ

 
 じつはライフネット生命を開業する前の1年ちょっと、非常勤ですが東京大学の総長室アドバイザーを務めていた経験があります。2004年に国立大学法人となった東京大学は、早くから独自の改革に取り組んでいましたが、総長室アドバイザーはそれを側面からサポートする役割です。
 大学と企業を、どうしたら上手につなぐことができるか、というのがテーマでした。
 その経験が少しあったので、学長という職は生半可な覚悟では務まらないことは十分理解しています。とくにいま、大学は18歳以下人口の減少、国際化の立ち後れ、教育研究環境の劣化などさまざまな問題を抱えています。
 APU は「THE(※)世界大学ランキング日本版 2018」では全国の私立大学で慶應、早稲田、上智、ICUに次ぐ5位、西日本の私立大学で1位という評価をいただきましたが、国際性や語学力といった当校の強みを伸ばしつつ、総合順位をもっと上げていきたいと思っています。
※THEとは
「Times Higher Education」の略称で、「ティー・エイチ・イー」と読む。イギリスの新聞「The Times」から派生した高等教育専門の週刊誌で、さまざまな大学ランキングを発表している。なかでも毎年9月に発表される「THE世界大学ランキング」は、世界で最も活用されている大学ランキングだといわれている。

 でも、APUの具体的なアクションプランを打ち出すには、まだまだ僕自身がAPUや大学のことを勉強する必要があります。何かを変えるときには、対症療法的な内容ではいけないと思っています。とくに教育は大きなシステムですから、「木を見て森を見ず」ではなく、まず全体像を把握してから対策を講じなければならないと思うのです。
 ですから、目下、僕は教育基本法や学校教育法、学校教育法施行令などを読みこんだり、他の大学の学長からお話を伺ったりしながら、「なぜ日本の教育システムはこのようなかたちになったのか」「何がメリットで、何が問題なのか」を突き詰めて考えています。
 僕は 2017 年に古稀を迎えましたが、何歳になっても新しいことを学ぶのは、ドキドキワクワクするし、本当におもしろいものです。

 

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