出口治明の「死ぬまで勉強」 第15回 ゲスト:加藤積一(ふじようちえん園長) 「人を育てる覚悟」(後編)

中国には「教育にお金をかけ、優秀な人材を育てていく」という
グランドデザインがある。
対して日本はいまだに戦後の「工場モデル」を引きずり
個性ある人間を育てられないでいる。
それを打破するキーワードが「混ぜる」だ。

■転んだりケガをしたりする経験をしないと、生きる力が付かない(加藤)
■動物や虫を捕まえる感覚を忘れてしまうのは、種の危機です(出口)

出口 僕は日本生命に在職していたとき、ロンドンに3年間赴任していました。当時はバブル崩壊前で、ロンドンの日系社会では、明治時代から現地に進出していた4つの会社が幅を利かせており、その支店長が持ち回りで日本人会の会長をやっていました。
 赴任して会長のところに挨拶にいくと、「ではあなたには教育担当理事をやってもらいましょう」といわれました。初耳だったのですが、それが日系社会のルールだというので、引き受けました。
「教育担当理事」は現地の日本人学校を管理することなどが主な役割ですが、実際には校長先生がきちんと運営されているから僕の出る幕はありません。それでも、一応は勉強せなあかんと思って、連合王国(UK)の幼稚園と小学校をいくつか回りました。
 じつはそのとき聞いた話がいまでも心に残っているのです。
加藤 ということは30年近く前のお話ですね。それを覚えていらっしゃるということは、よほど印象深いお話だったのでしょう。
出口 ええ、それは次のような話でした。幼稚園では最初に、2人がペアになって向き合い、お互いの顔を確認します。順にペアをかえていき、全員が確認し終わったところで、同じ顔の人がいたかどうかを園児たちに聞きます。もちろん、みんな「違う」と答えますね。そして次に、「顔かたちは違うけれど、考えていることや感じていることはどうか」と聞きます。するとほとんどの子どもは、「顔かたちが違うのだから、一人ひとり考え方も違う」と答えます。そのようにして、「人間は一人ひとり違う」ということを気付かせるのだそうです。
 一人ひとりが違うという認識ができたら、次は2つのことを教えます。ひとつは、「自分の思っていることを相手に言わなければ伝わらない」ということ。みんな違うのだから、自分の気持ちは以心伝心では伝わらない。わかってほしければ、はっきりと言葉で意思表示しましょうというわけです。
 もうひとつは「Queue(列)」、つまり「並ぶこと」です。たとえば切符を買うとき、思い思いに窓口に殺到したら、収拾がつきません。一人ひとりが違うからこそ、並んで順番に買わなくてはいけないよということを教えるのです。
 その幼稚園の先生は、初年度の教育はその2つさえ理解してもらえば十分だと言っていました。
加藤 つまり、前提として多様性があるということを教えて、そのあとコミュニケーションの重要性と、社会にはルールがあることを理解させると。
出口 そうです。そしてその後は、「知識はあとからいくらでも詰め込めるから、身体を鍛える」という。UKの幼児教育は、これでおしまいだというので僕は感心した記憶があるのですが、先生はどう思われますか?
加藤 とくに最初の多様性は大事ですよね。日本の教育を省みると、どうしても「みんな同じ」がいいことだと教えてしまう。でも、それはどうなのかなと思います。
 ふじようちえんの園児は園のTシャツを着ていますが、長袖と半袖、それぞれ8色ずつあって、自分の好きなものを着ていい。冬に半袖を着る子がいても、私たちは止めません。風邪を引いたら本人の責任です。
 ごはんも園で出す給食か、自宅から持ってくるお弁当かを選べます。たとえば給食にゼリーがついて、お弁当の子が「欲しい」と泣くことがあります。でも、自分で選んだ結果だから当然だし、それが平等ということだと私たちは考えています。
 ところが一般的には「かわいそうじゃないか」と情緒的な話になって、「一人ひとり違いが出ないように全員給食」という方向に行ってしまう。いまUKの話を聞いて、やはり日本の平等の感覚はおかしいなと思いました。
出口 そうですね。日本は逆に一人ひとりの違いを見えなくする教育をしている。

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加藤「『みんな同じでなければならない』という日本人の平等感覚は少しおかしいと思います」
出口「戦後の工場モデルの影響で、我慢強くて、偏差値が平均的に高くて、協調性があって上の人の言うことを素直に聞く人を育てようとしてきたからでしょう

加藤 親たちも非常に敏感で、自分の子どもと他の子どもに少し違うところがあると、「うちの子は大丈夫でしょうか」と不安がります。たとえば、「Aちゃんはもう××ができるのに、うちの子はできない」と嘆くのです。
「この子はまだ時期が来ていないだけです。自分のペースで成長しているのだから、全然問題ないですよ」とアドバイスするのですが、なかなかわかってもらえなくて……。
 この国民性はなんですかね。みんなの同意を必要とする、農耕文化の名残でしょうか。
出口 いや、農耕文化というより、戦後の製造業の「工場モデル」の影響でしょう。製造業の現場では、我慢強くて、偏差値が平均的に高くて、協調性があって上の人の言うことを素直に聞く人が役に立ちます。それで戦後に成功したものだから、社会や学校はそういう子どもたちを育てようとする。
 逆に言うと、そこでは個性が突出すると嫌われますから、日本からユニコーンが生まれないのも当然です。
加藤 大人になってから個性を発揮しようとしても、簡単ではないですからね。
出口 日本は第2次世界大戦に敗れて経済も社会もガタガタになってしまいました。だから国としての社会保障がなく、その役割を企業に担わせてきたのです。制服、社員食堂、社宅といった衣食住から、冠婚葬祭やレクリエーションまですべて企業が面倒を見るのだから、言ってみれば人民公社ですよ。
 その環境に過剰適応して、ひたすら協調性重視でやってきたので、そこから抜け出るのが難しい。変えていくとすれば、やはり教育からです。とくに幼いころの教育は投資効果が大きいですから、加藤さんがやっておられることは本当に意義があると思います。
加藤 先ほど、UKでは知識を詰め込むより体を鍛えるという話がありましたが、それに関連していうと、いまの子どもは「実体験」が足りないと思っているのです。高度成長期以前の日本は、「学問のすゝめ」で知識をつけさせることを重視していましたね。それに対して、いま必要なのは「実体験のすゝめ」、さらには「危機感のすゝめ」だと思うのです。
 ITの普及と高度化によって、実体験しなくてもYouTubeやVR(バーチャル・リアリティ)などで、さまざまなことを疑似体験できるようになりました。ところが、それはあくまで“疑似”でしかありません。安全性が確保されて、不快さや恐怖といった負の感情を味わうことなく成長していくと、危機感が育たなくなる。危機感をもたないと動物は死んでいるも同然です。だから、いまは身体を使ってどんどん実体験をしたほうがいいと思います。
出口 おっしゃるとおりです。僕は田舎育ちなので、オフィスの前の木にセミがいたら、自然に手が伸びてつかんでしまう。僕のスマホにはセミの写真がたくさん保存されているんですよ。
 ライフネット生命時代も同じようにしていたら、若い女性社員が「キャー、よくそんなものつかめますね」と驚いていました。でも、僕からすると、「何を言ってるんや、虫がいたら捕まえるに決まってるやろ」と。
 人間はまだ20万年しか生きていない動物で、定住しはじめたのはわずか1万年前です。その前の19万年はホモ・モビリタス(移動するヒト)で、世界を放浪しながら動物や植物、そして虫を捕まえて食べていました。その感覚を忘れてキャーと言ってるほうが、種としては危険じゃないかと思います。
加藤 子どもが転びそうになったら、普通は親が助けて転ばないようにし、「危なかったね。気をつけてね」と諭すのが普通ですね。でも、それでは子どもは何も学びません。同じことを何度も繰り返し、そのたびに親が助けることになるのです。
 これに対して、ふじようちえんの園庭は、あえて起伏をつくっています。そこで走って転んでしまった子は、「次からは気をつけよう」と学習します。園庭は芝生に覆われているので、転んでも膝をすりむくくらいで済みます。
 また、園の水道には流し台がなく、水が直に地面に落ちる設計になっています。強く出しすぎたり、出しっぱなしにしたりすると、はねて自分の足が濡れるので、子どもは自然に量の調節や、蛇口を閉めることなどを覚えます。そういう体験から得た知恵が、生きる力に繋がっていくと思うのです。不便による利益、「不便益」こそ、いま大事なことですね。
出口 もともと人間は理論からものごとを学んだのではなくて、長い経験の末にいろんなことを知っていった。それをサイエンスで一つひとつ裏付けていったということだと思います。その意味では、幼児教育で経験を重視するのは理にかなっていますね。
 これは何かの本で読んだのですが、人間の好奇心のピークは19歳だそうです。それまでに「学ぶことは楽しい」「知ることはおもしろい」という癖がつけば、自転車の乗り方を一生忘れないのと同じで、「おもしろい」という記憶が一生残って学び続けます。
 社会人になっても学び続ける人は、上司からかわいがられるので出世しやすく、生涯給与も普通の人よりずっと高くなります。
 三段論法でいうと、高校生か大学生の初期のころまでに、「知らないことを学ぶのは楽しい」「わからないことが腹落ちすると気持ちいい」という感覚を身に着けた人は、一生楽勝だという話になる。幼児教育にとどまらず、やはり若いうちに「腹落ちする体験」を積むことが大事ですね。

■幼児教育こそが日本の基礎をつくると思っています(加藤)
■日本の場合、そこにグランドデザインがないことが問題ですね(出口)

加藤 私はよく中国に招かれて、ふじようちえんの取り組みについてお話ししています。これまで50都市ほど行きました。みなさん、うちの園舎に興味があるのだろうと思っていたのですが、それは少数派で、「理念について聞きたい」という方が多かったことに驚きました。
 中国では、ある程度決められた枠のなかで教育をやらないといけません。日本も同じですが、ふじようちえんの教育環境が自由に見えるから興味があるのでしょう。裏を返すと、中国は、国としてのグランドデザインが浸透しているということかもしれませんが。
出口 中国のグランドデザインは始皇帝の時代にもう出来上がっていたと思います。中国の骨格はエリートによる中央集権支配です。始皇帝の時代に法家が発達し、法律をベースに文書行政で全土を掌握する体制ができて、それがいまも続いているのです。
 いまの共産党の幹部を見ても、若い人はほとんどアメリカの一流大学を出ています。ただ、エリートによる中央集権があからさまだと、民衆は納得しません。そこでかつては建前として儒教を使い、「目上の者に孝行しろ」とか「勉強した人が偉い」などといっていました。いまその建前が共産主義にかわりましたが、本質はずっと同じです。
加藤 なるほど。昔、中国では「親族がひとりでも科挙に通れば、一族が安泰だ」といわれていましたね。じつはいまも、子どもがいい小学校に受かるかどうかで、その子や家族の一生が決まってしまうそうです。
 だから、中国ではいい幼稚園の誘致合戦がすごいんです。デベロッパーが定評のある幼稚園を口説き落として、それを中心に街づくりをすると、子どもをいい小学校に入れたい人たちが集まってくる。私もよく「ふじようちえんを中国につくってくれ」といわれます。
 教育はその国の歴史の延長線上でやったほうがいいと考えているので、私は進出するつもりはないのですが、同じ漢字圏ということもあり、乞われれば友人としてアドバイスだけはしています。
出口 中国は今後もエリート養成にお金を注ぎ込み続けるでしょうね。最近、米中の摩擦が問題になっていますが、彼らは10年以上前から、いずれアメリカと衝突することを予想していました。たとえばIMFが公表したGDPを見ると、名目ではまだアメリカがトップで2位の中国とは大きな差があるように見えますが、各国の物価の差を考慮した購買力平価GDPでは、2014年以降は中国が世界一になっています。つまり、世界は米中の一騎打ちの様相を呈してきているのです。
 アメリカはナンバー2が肉薄してきたら叩く国です。米中の貿易摩擦やIT摩擦も、そういう文脈で捉えるとわかりやすいでしょう。
 10年ほど前に、ある中国の官僚が次のようなことをいっていました。
「あと10年もすればGDPがアメリカにほぼ並ぶ。だからアメリカは必ず中国を叩きにくる。すると、もうさまざまなノウハウなどを教えてもらうことはできないだろうから、いまから教育にひたすらお金をつぎこんで、自分たちで優秀な人間を育てていかなければ、中国はやっていけない。だから腹を決めて、エリート教育に力を入れていく」
 つまり、そういうグランドデザインが描けているわけです。
加藤 じつはアリババの創業者であるジャック・マーがつくった幼稚園の園長と交流があり、杭州にあるその幼稚園を視察したことがあります。さぞかしIT化が進んでいるのかと思いきや、先ほど紹介したふじようちえんの水道と同じようなものもあり、意外にアナログでした。ただ単にIT化を進めるのではなく、子どもたちのために考え尽くされている印象でしたね。アメリカ人の先生もたくさんいて、相当お金をかけていると思います。
出口 いい先生を呼ぼうと思えば、やはりお金がかかります。中国はそれがわかっているから、お金をどんどんつぎ込みます。その点、日本は遅れていますね。横並び意識が強すぎて、大事な分野を選んで、集中的に強化するようなことが上手ではありません。ここにもグランドデザイン力の差が出ている気がします。
加藤 それに関していうと、私は幼児教育こそ国をつくる力があると思っています。たとえば折り紙を例に取りましょう。当園の外国人の先生に折ってもらうと、角と角が微妙にずれていることが多いのですが、それでも彼らは「ぴったりだ」というんです。このへんが日本の幼児教育との違いで、日本人は小さいうちから角をきちんと合わせることを教わるので、ズレているのはどうも気持ち悪いと感じます。
 その感覚を大人になっても発揮して、たとえばものづくりや建築、さらには街づくりにも活かされてできているのが、この日本社会だと思います。つまり、幼児教育こそ、国をつくる力があるのです。
出口 なるほど。折り目正しく、ディテールにこだわるのは、たしかに現在の日本社会の特徴のひとつかもしれません。それがもの作りに活かされている面もあるとは思います。ただ僕は、ディテールへのこだわりは、グランドデザインがあってこそ意味をなすと思うのです。
 たとえば建物をつくるとき、ドアノブのデザインや窓のかたちがいくら素晴らしくても、建物自体が使いづらければ意味はないでしょう。「神は細部に宿る」という言葉がありますが、グランドデザインがしっかりしていて、さらに細部にまで気を配ってつくれば、素晴らしいものができるという意味だと思うのです。
 日本の家は一戸一戸は素晴らしいクオリティだとは思いますが、一般的に街並みを見ると美しくはありません。その点が、一つひとつの建物は粗いものの、街並みは素晴らしいヨーロッパとは対照的です。
加藤 たしかにヨーロッパの建物は、つくりは雑だけれど、街並みは歩いてみたくなる雰囲気を出していますね。
出口 ロンドンのシティには、セントポール寺院が見えなくなるような建物を建ててはいけないという慣習がありました。セントポール寺院はシティの住民の共通財産だという常識が共有されているので、法で規制しなくても自然にそうなっていたのです。だから街全体として見るときれいなのですが、この慣習のせいで建て替えができず、リフォームを重ねるので、窓枠に隙間がある建物も多いのです(笑)。
加藤 折り紙をきっちりつくる能力を継承していくのか、全体を美しくデザインする能力を新たに養っていくのか――。日本はどちらを目指せばいいんでしょう?
出口 どちらかに偏らず、いろいろな人や考え方をまぜこぜにするという選択肢もありますね。APUでは、それを意識しています。
 たとえば「マルチカルチュラル・ウィーク」という、ある国や地域の文化などを1週間かけて紹介する学生主催のイベントがあります。インドネシアウィークなら、学食のメニューをも含めて、APU全体をインドネシア一色に染め上げるのです。ただし、実行委員会のメンバーは、半数以上がインドネシア人ではなく、他の国や地域出身の学生で構成しなければならないというルールを設けています。インドネシア人がインドネシアウィークを企画するなら、単なるお国自慢になってしまう。半数以上が他の国の人であるというルールを定めることで、インドネシア人と日本人、外国人が混ざり合い、インドネシアの文化や伝統をともに学んでいくのです。
 混ぜることでいろいろな化学反応が起き、新しいプロジェクトや事業などのアイデアが生まれるのです。

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加藤「いずれ『ふじようちえん付属小学校』をつくって、幼稚園と小学校を混ぜてみようかと企んでいるんですよ」
出口「そのときは、学年で分けるのではなく、習熟速度別にしたほうが、早い子にとっても、ゆっくりな子にとってもいいと思います。

 

加藤 いいですね。私も混ぜるのは大好きです。いずれは「ふじようちえん付属小学校」をつくって、幼稚園と小学校を混ぜてみようかと企んでいるんですよ。
出口 それは素晴らしい!
 世界はいま、1年生、2年生というように、学年で分けるのではない方向に進んでいます。年齢が同じでも習熟速度には差があります。だから学年に関係なく習熟度別にしたほうが、早い子はどんどん伸びていくし、ゆっくりな子も置いて行かれずにマイペースで学べる。
 それなのに、学年別というシステムが厳然としているのは、日本ではいまだに、年功序列的な製造業の工場モデルが幅を利かせているせいでしょう。学年別のシステムを変えるのは、法律も関係してくるので大変です。だったら、センター試験を「高等学校卒業資格認定試験」(高認。旧大学入学資格検定)と一本化してしまえばいい。
 いま中高一貫校では、6年間分のカリキュラムを高1までに終えて、残り2年間は受験のテクニックを勉強していますが、こんなムダなことはありません。できる子は高1でセンター試験を受けて大学に直ぐに行けばいいと思います。
加藤 そうした制度設計は、まさにグランドデザインですね。
出口 ええ。アメリカや中国では普通に飛び級が行われているのに、日本でできないのは、やはりグランドデザイン能力の低さのせいだと思います。
加藤 なるほど。その一方で、日本は徐々に多様性の時代を迎えており、さまざまなコト、モノ、情報が融合する社会になってきています。だからこそ、従来では考えられなかったおもしろいもの、美しいもの、そして世界的に理解を得られるものがどんどん出てくる可能性もあると、私は思いたいですね。
 もちろん、私もいろいろなものを混ぜ合わせて、ふじようちえん付属小学校という新たな切り口での教育体系を実現し、幼児教育の力を伝えていきたいと思っています。
出口 それは楽しみですね.ぜひがんばってください。

プロフィール

死ぬまで勉強プロフィール画像
出口治明 (でぐち・はるあき)
1948年、三重県美杉村(現・津市)生まれ。 京都大学法学部を卒業後、1972年日本生命保険相互会社に入社。企画部などで経営企画を担当。生命保険協会の初代財務企画専門委員長として、金融制度改革・保険業法の改正に従事する。ロンドン現地法人社長、国際業務部長などを歴任したのち、同社を退職。 2008年ライフネット生命保険株式会社を開業、代表取締役社長に就任。2012年に上場。2013年に同社代表取締役会長となったのち退任(2017年)。 この間、東京大学総長室アドバイザー(2005年)、早稲田大学大学院講師(2007年)、慶應義塾大学講師(2010年)を務める。 2018年1月、日本初の国際公慕により立命館アジア太平洋大学(APU)学長に就任。 著書に、『生命保険入門(新版)』(岩波書店)、『直球勝負の会社』(ダイヤモンド社)、『仕事に効く 教養としての「世界史」Ⅰ、Ⅱ』(祥伝社)、『人生を面白くする 本物の教養』(幻冬舎)、『本物の思考力』(小学館)、『働き方の教科書』『全世界史 上・下』(新潮社)、『人類5000年史 Ⅰ、Ⅱ』(筑摩書房)、『世界史の10人』、『0から学ぶ「日本史」講義 古代篇』(文藝春秋)などがある。

加藤積一(かとう・せきいち)
1957年東京生まれ。1980年法政大学社会学部社会学科卒業。商社勤務、会社経営などを経て、1991年ふじようちえんに入社。2000年に園長、2011年に学校法人みんなのひろば理事長に就任。
他に複数の保育園や託児所を経営。東京都私立幼稚園連合会振興対策委員会副委員長、立川市私立幼稚園協会副会長も務める。
著書に『ふじようちえんのひみつ』(小学館)がある。
9784093884952
https://www.shogakukan.co.jp/books/09388495
 
 
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初出:P+D MAGAZINE(2019/06/19)

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