出口治明の「死ぬまで勉強」 第21回 ゲスト:ヤマザキマリ(漫画家) 「生きる」という勉強(後編)

 

■出口「ヤマザキさんはどんな人ともうまく付き合っていけるラファエロ的なところがありますね」
■ヤマザキ「いろいろな経験をしたおかげで、ひとまず寛容に受け止めるスキルが身に付きました」

出口 ところで、いま連載中の『プリニウス』は、漫画家とり・みきさんとの共作ですね。ふたりでひとつの作品を作るのは大変なようにも思えるのですが、その点はいかがですか。
ヤマザキ とり・みきさんとは『テルマエ・ロマエ』のときからのお付き合いです。じつは6巻くらいのとき、ちょっとスランプに陥ってしまって、漫画をすべてひとりで描くパワーが不足して、古代ローマの背景などを描いてもらえるアシスタントを探していたのですが、なかなか見つからなかったんです。そんなとき、とり・みきさんから「僕でよければ手伝います」と連絡をいただきました。
 とりさんは私よりも10歳年上の大先輩です。おそれ多いと思いながら一回、テストで描いてもらったら、びっくりするような素晴らしい絵を送ってくださいました。そんなわけで、じつは6巻の後半部分の背景は、ぜんぶとりさんが描いているんです。
 気がついたら私のほうががとりさんの絵に合わせて主線の太さを調整するようになっていましたし、私の表現したがっていることを汲み取って見事に描いてくれる大先輩のとりさんをアシスタントとは呼べません。ですから、『プリニウス』の連載を始めるときには共作というかたちにしていただきました。内容と構成、人物までは私がやり、背景をとりさんにやっていただくというかたちです。とりさんは背景に描く家屋や風景にもしっかり時代考証をしてくださいます。
出口 作業は分担できても、整合性を取るという作業が新たに発生するでしょう? とくに芸術は感性が重要だから、すりあわせには骨が折れそうです。
ヤマザキ いろんな人にそう言われました。たしかに私ととりさんは、性格も違えば時間の捉え方も違います。締め切りに対しての考え方も違うので最初のころは随分ストレスがたまりましたが、それはおそらくとりさんも同じだったでしょう。
 でも、先ほどの母と近所の人の話じゃないけれど、いっしょにやっていくうちに慣れていくんですね。私は反発や諦めを繰り返しながらとりさんの時間感覚に慣れていくし、逆にとりさんは私のせっかちな姿勢に慣れていく。やがて、お互いに言わんとしていることやリズム感を汲み取っていけるようになってきて、うまく仕事を一緒にやっていけるパートナー関係が出来上がったと思っています。
出口 そこは企業などの仕事と同じですね。企業などの職場でも上司や部下と考え方が違うことがよくあります。でも、違う人ともいっしょにやっていかないと仕事は終わらない。お互いぶつかっているうちに、相手の気質とか、ここを踏み越えると怒られるといったラインが見えてきて、うまくやれるようになるのです。
 それを非常にうまくやっていたのが、先ほども出てきたラファエロでしょうね。他のスタッフとぶつからずに、うまくマネージメントしていける才能がある。ヤマザキさんも、もともとラファエロ的な気質があったんじゃないですか。
ヤマザキ ああ、言われてみれば、そうかもしれません。
 とりさんはすごく職人気質で、こだわりが強い漫画家です。たとえば締め切りまで時間がないから、背景を砂漠の設定にしたことがありました。砂漠ならほとんど描くものがないから、早く作画できると思ったんです。
 ところがとりさんは砂粒をいちいち描こうとする。「いい加減にしてよ。なんのために今回、砂漠にしたと思ってるんですか!」と怒っても、「端折っちゃだめだよ」といって、譲ってくれない。で、結局、余計に時間がかかっちゃった(笑)。
 でも、高校時代のちり紙交換から始まって、大学の講師やテレビのレポーター、普通の会社員まで、多様な仕事を経験してきたことによって、自分の思うとおりにはいかない、さまざまな境遇でも、対応していけるメンタリティは身に付いていると思っています。「ここで怒っても始まらないな」「この人を受け入れていこう」という気持ちがあるんです。そこは三巨匠でいうならラファエロ的と言えるかもしれません。
出口 ラファエロは、人とうまくやっていく天性のスキルを持っていましたが、多くの人はいろいろな経験を重ねることでそのスキルを身に付けていきます。僕の言葉でいえば「人・本・旅」ですが、その蓄積が多いと、他人とうまくやっていける確率が上がります。ヤマザキさんは、生まれつきの才能に加えてまさにそういう蓄積をたくさんされているので、ラファエロ的になれたのではないでしょうか。
 いわば、「現代のラファエロ」です(笑)。
ヤマザキ そこまでではありませんが、たしかに、昔から仕事で多くの人と関わって揉まれてきたおかげで、「こりゃまいったな」という人がいても、ひとまず寛容に受け止める寛容性は身に付いた。苦手と思う人とも、仕事という括りのなかでは相手の考えや姿勢も慮る。負荷が大きすぎれば諦めますが(笑)、やっぱりどんな経験もムダにならないですね。

 

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