連載対談 中島京子の「扉をあけたら」 ゲスト:森まゆみ(作家)

一九八四年に地域情報雑誌『谷中・根津・千駄木』(通称『谷根千』)を創刊。現在の街歩きブームの火付け役ともなった森まゆみさん。今年上梓された『暗い時代の人々』(亜紀書房)では、軍事政権下で弾圧を受けながらも「精神の自由」を求め闘った人々を描かれました。今回は、森さんにお話を伺いながら「暗い時代」を生き抜く術とは何か、を見つけようと思います。

 


第十四回
「暗い時代」だからこそ、明るく生きる
ゲスト  森まゆみ
(作家)


Photograph:Hisaaki Mihara

連載対談 中島京子の「扉をあけたら」第14回メイン

森まゆみ(左)、中島京子(右)

他人事ではない「共謀罪」

中島 森さんがお書きになった『暗い時代の人々』を拝読しました。いまこの暗い時代をどう生きようかと暗中模索しているさなかの私たち日本国民にとって、必読の書だと思います。私ものめり込むようにして読みました。
森 ハンナ・アレントの歴史的名著 “Men in Dark Times”と同じ名前にするのはおこがましいからやめましょうと、編集者には言ったのですが……。
中島 いえ、すごくいいタイトルだと思います。この本の中に書かれているのは、満州事変勃発から太平洋戦争敗戦までの十数年間、日本が最も抑圧された「暗い時代」を生き、「精神の自由」を掲げて闘った人々の話です。なぜ、今このテーマで書こうと思われたのですか?
森 大正デモクラシーが花開き、昭和に入って左翼的な運動も盛んになっていた日本が、なぜ一転戦争へと突き進んだのか? 学生時代から、そのことが気になっていたんです。これまでも戦前と似ていると言われた時代はありましたが、二〇一五年の「安保法改正」から着々と戦える国に向かっているような気がします。いまこそ、あの暗い時代に立ち向かった日本人のことを正面から考えるべきではないかと思い、筆をとりました。
中島 六月十五日に、「共謀罪(テロ等準備罪)法案」が法務委員会での採決を飛ばして、参議院本会議での強行採決によって国会を通過しました。唖然とするような事態でした。監視社会の到来も恐ろしいし、議会制民主主義の軽視にも怒りを覚えます。
森 学生時代にマルティン・ニーメラーの『彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』という詩を教えてもらったんです。ナチスが共産主義者を襲ったとき、自分は何もしなかった。ナチスが社会主義者を襲ったとき、自分は何もしなかった。自分がナチスに攻撃されたとき、私のために声を上げるものは誰も残っていなかった。そんな内容の詩なのですが、当時の私にはその恐怖を理解することはできませんでした。
中島 それがぴんとくる時代になってしまった。
森 そうなんです。知らないうちに外堀が埋められていく。気がついたときにはもう手遅れ。
中島 「共謀罪」なんて自分とは関係ないと思っていると、ある日突然逮捕されるかもしれない。
森 いまはまだ冗談に聞こえるかもしれません。共謀罪は実行しなくても、夢想や計画しただけで捕まるという恐ろしい法律です。
中島 森さんが取り上げた人物の中で、もっとも有名なのは竹久夢二ですね。
森 夢二といえば儚げな美人画。しかも女癖が悪くて、肺病で死んでしまう。よく知られているのはそういう夢二像です。でも、じつは幸徳秋水らが逮捕された「大逆事件」で、夢二も疑われて尾行がついたりしています。
連載対談 中島京子の「扉をあけたら」第14回文中画像1中島 「大逆事件」といえば、日本近代史最大のフレームアップ事件ですね。「平民新聞」で社会主義運動を呼びかけていた人たちが、天皇を襲う計画を立てている(大逆罪)という政府のでっち上げによって逮捕、処刑されました。
森 夢二自身は社会主義から出発しながら革命家にはなりきれなかった。みなさんのイメージをなぞるような暮らしをします。しかし関東大震災後には、被災地の風景をスケッチしてまわる。その画風は、美人画の夢二しか知らない人にとってはショッキングかもしれません。さらに上野の不忍池を埋め立てたり、二重橋の空き地にビルを建てたりしなくてよかっただろう。それらがどれだけ火事を防いでくれたか。という内容の文章を残したりしています。
中島 東京に空き地を残せ、という主張は、いまの時代にも心に響きますね。夢二のイメージが変わりました。
森 そして、夢二はナチスが政権をとる、まさにその時代のベルリンに居合わせたんですね。翌年、帰国後に夢二はなくなってしまうので、その体験が夢二にどんな影響を与えたのか、詳しくはわかりません。しかし、夢二の人生を調べているときに、非常に魅力的な人物に出会ったんです。
中島 山宣ですね!
森 そうです。山宣こと山本宣治。竹久夢二とは神戸一中の同窓で、夢二が京都で個展を開いたり、愛人だったお葉さんと隠れ住む場所を探してあげるなどの世話をしていました。山宣ほど誠実で他人に対して優しくできる人はいません。性科学者として子沢山の家庭の苦しみを見て、「産児制限運動」に関わっているうちにどんどん前に押し出されて、一九二八年に労農党から国会議員に選出される。議員になってからもその実直さは変わらず、小作争議の指導や弾圧を受けた人の救済などに奔走します。
中島 共産主義者に対する弾圧が激化してきた頃です。
森 無産階級つまり普通の人々の自由を守るために治安維持法改悪に反対し、帝国主義戦争反対を掲げます。右翼にとっては、目障りな政治家です。本人も身の危険を感じていたといいます。そして、国会から神田の定宿に戻って食事をとろうとしたときに、面会に来た男に刺殺されます。
中島 なぜ、危険だと察知していながら周りの人は、山宣を独りで旅館に帰したのでしょうね。
森 そこが、謎なんですね。でも暗殺の危険を背負っていたのは、保守政党の政治家でも同じです。原敬や犬養毅、高橋是清など暗殺された政治家たちは、政治家としてある種の覚悟を持って闘っていたのでしょう。まさにテロの時代です。

暗い時代を生き抜く魅力的な女性たち

中島 『暗い時代の人々』には魅力的な女性たちも登場します。森さんが取り上げたのは、『「青鞜」の冒険』(集英社文庫)でもお書きになられた平塚らいてうや、市川房枝などよく知られた社会運動のリーダー的な人物ではなく、山川菊栄と九津見房子でした。
連載対談 中島京子の「扉をあけたら」第14回文中画像2森 山川菊栄は平塚らいてうの『青鞜』誌上で伊藤野枝らと大論争を繰り広げた論客です。太平洋戦争のときも、平塚らいてうや市川房枝など女性のリーダーたちがほとんどみんな戦争に加担していく中で、ただひとり戦争協力をしないまま終戦を迎えます。しかも夫は社会主義者の山川均です。よく軍国主義政府に捕まらずに、無事でいたと思います。
 そして戦後、GHQによって労働省の初代婦人少年局長に突然抜擢される。
中島 翼賛しなかった女性運動家がほかにいなかったということなんですね。しかも彼女は有能だった。山川菊栄のエピソードでは、鶉の卵を売って暮らしていた話がおもしろくて……。
森 まさに戦時中の話ですよね。糊口を凌ぐために、三越で鶉の卵を売っていたんですね。ところが掛売りで買ったのに、集金に行ってもお金を払わないおじさんがいた。そのときの腹立ちを自著『おんな二代の記』にこう記しています。「私のように高利貸や特高のおかげで百パーセント忍従の美徳を身に着けている人間でなかったら、その辺におきちらしてある鶏の包丁であの男をひとつきにしたでしょう」
中島 皮肉がたっぷりとこもった、ユーモアのセンスが抜群ですよね。
森 やっぱりユーモアは、闘う武器ですね。「Let’s whistle under any circumstances」。丸山眞男の言葉だそうですが、どんな状況におかれても口笛を吹こうぜ、という気概が素敵じゃないですか。いまのようにちょっと怖い方向に動いている時代には、すごくいい言葉だなと思いますね。
中島 丸山眞男が口笛を吹いている姿はあんまり想像できませんけれど……(笑)。
森 たしかに、似合わないわね。
中島 山川菊栄は『青鞜』で知っていましたが、九津見房子の名前はこの本で初めて知りました。あまりに気の毒すぎて、読んでいてつらくなりました。
森 暗い時代を生き抜くため、みなさん非常な苦労をされていますが、なかでも光が当たらない貧乏くじを引き続けたような人もひとり書きたかった。それで山川菊栄と同い年の九津見房子を思い出したんです。反共主義に転じ、かつての仲間たちを弾圧した夫と別れずに献身し続けたため、戦後活躍することもなくあまり評価されていない人です。
中島 「ソ連のスパイ」だというレッテルを貼られ、十年以上獄中で過ごしています。
森 いわゆる「ゾルゲ事件」ですね。それ以前にも、房子は逮捕され五年三か月の間投獄されています。じつは治安維持法による、女性逮捕者第一号でもあるんですね。当時の警察の取り調べは、それは酷いものです。裸にして竹刀で乱打し、性的暴力も行います。しかし房子は、ひたすら耐え忍びます。そういう精神的な強さがある。「ゾルゲ事件」は今のテロと同じ、スパイへの恐怖を煽るために絶好のタイミングで摘発されました。だから、私は「ゾルゲ事件」がでっち上げられたのではないかと考えています。
連載対談 中島京子の「扉をあけたら」第14回文中画像3中島 ゾルゲとは、ドイツ人ジャーナリストで、実はドイツ共産党員だったリヒャルト・ゾルゲですね。
森 ゾルゲは、ドイツ共産党員でソ連のコミンテルンの諜報部員でした。房子は知人の紹介でゾルゲの仕事を手伝います。ゾルゲは、ドイツ大使から厚い信任を受けていました。しかもゾルゲとつながっていた元朝日新聞記者の尾崎秀実は、近衛文麿のブレーンでした。そういう人たちがソ連のスパイだったというので、大騒ぎになります。調べてみると、犬養毅や吉田茂、西園寺公望の子どもたちも、「ゾルゲ事件」に絡んでいたのではないかと、尋問されたという記録が残っていました。
中島 それはすごい。いまでいえば安倍首相や菅官房長官の家族を取り調べるようなことですよね。
森 房子は、後になってソ連には国家的エゴイズムがあると批判の目を向けています。しかしそのときには「とにかくソビエトは世界唯一の社会主義国だから、これはまもらなければならん」という思いが強かった。そちらに身を投ずるのが大義だと思ったんでしょうね。ソ連のスパイだという汚名を着せられて、恐ろしいことをした人のように思われている。でも、日本にはアメリカやイギリスのスパイもたくさんいたんですよね。「清里の父」といわれるいかにも平和的なラッシュ牧師もCIS(民間情報局)所属で、戦犯や共産党に関する情報を集めていた工作員です。
中島 そうなんですか。
森 ただ、アメリカのスパイの場合は、終戦つまり平和のために努力した人という評価になったりもしますから、評価が難しいところもあるんですけれどね。

震災、戦争、オリンピックが街を壊す

中島 「共謀罪」といえば、安倍政権は日本が国際組織犯罪防止条約を締結できなければ、東京オリンピック・パラリンピックを開催できない。そのためには絶対に「共謀罪」を成立させなければならない、と言い続けました。
森 どうしても「共謀罪」を成立させたいから、みんなが反対しにくいオリンピックを持ち出すんですね。なら、オリンピックをやめればいいのに。こういう論理のすり替えをやること自体「共謀罪」にうしろめたい何かがあるんじゃないかな。
中島 森さんは、新国立競技場の建設反対運動にも参加していましたね。
森 はい。「神宮外苑と国立競技場を未来へ手わたす会」の共同代表をしています。最初の巨大なスタジアムの計画が出されたとき、これではまたオリンピックで東京が壊されてしまうと思いました。
中島 オリンピックで東京が壊される、ってどういうことですか。
連載対談 中島京子の「扉をあけたら」第14回文中画像4森 一九六四年の東京オリンピックのときには、国立競技場が建設された神宮外苑から、青山、原宿などはもちろん、東京のいたるところで街の改造が行われました。それは文化の破壊でもあったんです。スタジアムの建設反対に関連していろんなことを調べたんです。たとえば明治時代に「違式詿違条例」という軽犯罪法がありました。開国して、外国の人がたくさん入ってくるでしょう。外国の人に恥ずかしいものを見せないようにしようと、立ち小便や銭湯の混浴、刺青などを禁止しました。東京オリンピックのときにも、同じことが起こります。戦争の罹災者が暮らしていたバラックなど、ぜんぶ排除した。戦争で負傷して四肢が不自由になった傷痍軍人たちをも、オリンピックを理由に排除したんです。
中島 街を「浄化する」という名目で。
森 どこの国も同じなんです。ワールドカップやオリンピックを開催するたびに貧しい人を追い出す。リオデジャネイロのオリンピックのときも、ファベーラと呼ばれる不良住宅地区の人々は強制的に排除されました。ところがこれには後日談があって、富裕層が雇っている運転手やメイドさんは、ファベーラの人たち。ファベーラがなくなったとたん彼らの生活が成り立たなくなっちゃった。二〇二〇年の東京オリンピックにむけても、都営住宅から立ち退きさせたり、ホームレスの人たちをどんどん追い出したりしています。
中島 いま、次々と新しいビルが都心にオープンしますが、気持ち悪いほど個性がない。どこを見ても同じような風景しか見えない街なんてつまらないですよね。いま外国から東京に友人が訪ねてきても、案内したいと思うところがほんとうに少ないですね。東京の文化の香るところといえば、森さんの地元である「谷根千」あたりは海外の方にとっても魅力的な街でしょうね。
森 谷根千は、震災にも戦災にもほとんど焼けなかった街。被害が少なかった街なんです。しかも、オリンピックの乱開発のときにも、その区画外だったからほとんど影響を受けていないんです。だから古いものがまだ残っているんですね。
中島 最近は、老若男女問わず人気の街になっていますものね。森さんが主宰されていた雑誌『谷中・根津・千駄木』の影響も大きいと思います。海外のお客さまを案内することも多いんじゃないですか?
森 この間ハーバード大学のゴードン先生が二十数人のお客さまを連れてみえたので、地元からは少し離れますが、上野の不忍池まで散歩して、上野戦争の実況中継をしたんです。
中島 幕府側の部隊である彰義隊が上野戦争で明治維新政府軍と戦ったのは、まさにここだったんだ、と。
森 不忍池を「官軍」は泳いで渡っていったとか、使われた銃が南北戦争のセコハンだったとか。そういうエピソードを混ぜながら話したら、すごくウケました。
中島 面白そう! 私もお聞きしたかった。
森 上野公園には、アメリカ南北戦争の英雄で後の大統領グラント将軍が来日した時に植樹した松もあります。そういうものも紹介しながらぐるっとまわる。古いものになると樹齢六百年ぐらいの木もたくさんあるんです。でもね、そういう木を簡単に切っちゃうんです。以前は、よくパトロールしていたんです。切っちゃったものは仕方ないから、ベンチにして公園に置いてもらったりしています。
中島 パトロールって、街を点検しながら歩いているんですか。
森 そう。誰かが見張っていないと、どんどん破壊されてしまうから。この間も、巡回調査の途中でオーストラリアの人に出会ったので、谷中の街を案内してあげたんですよ。お礼にカンガルーのぬいぐるみを頂いちゃいました(笑)。
中島 谷根千をぶらぶらしていると、森さんに解説付きで案内してもらえるんですか。ぜいたくですよね。
森 私は、軍事大国とか原発輸出大国とかより、観光立国のほうがまだしも平和でいいと思っています。いろんな人と交流して、いろんな国に友だちができる。友だちがいる国とは喧嘩したくないですもの。ただ、町の暮らしを乱さないように歩いてほしいと思います。
中島 東京が、オリンピックで知られるよりも、オープンで文化のある街と思ってもらえるといいな。そこには「暗い時代」を終わらせる光が射しこみそうです。

構成・片原泰志

プロフィール

中島京子(なかじま・きょうこ)

1964年東京都生まれ。1986年東京女子大学文理学部史学科卒業後、出版社勤務を経て独立。1996年にインターンシッププログラムで渡米、翌年帰国し、フリーライターに。2003年に『FUTON』でデビュー。2010年『小さいおうち』で直木賞受賞。2014年『妻が椎茸だったころ』で泉鏡花文学賞受賞。2015年『かたづの!』で河合隼雄物語賞、歴史時代作家クラブ作品賞、柴田錬三郎賞を受賞。『長いお別れ』で中央公論文芸賞、2016年、日本医療小説大賞を受賞。

森まゆみ(もり・まゆみ)

1954年、東京生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。作家。出版社勤務ののち、1984年に友人らと東京で地域雑誌『谷中・根津・千駄木』を創刊。2009年の終刊まで編集人をつとめる。主な著書に、『鴎外の坂』『昭和文芸史』(中公文庫)、『「青鞜」の冒険』(集英社文庫)、『千駄木の漱石』(ちくま文庫)、『子規の音』(新潮社)、『帝都の事件を歩く』(中島岳志との共著、亜紀書房)などがある。

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