連載対談 中島京子の「扉をあけたら」 ゲスト:釈徹宗(宗教学者)

三百五十年以上も続く浄土真宗本願寺派如来寺(大阪府池田市)の住職であり、宗教研究者。さらには、認知症のお年寄りが暮らすグループホーム「むつみ庵」を運営する釈徹宗さんに、これからの時代をどう生きるか。そしてどう逝くか。高座の特等席に座っているような感じで、お聞きしました。

 


第十五回
生きにくい時代だからこそ、
幸せに逝きたい
ゲスト  釈徹宗
(宗教学者)


Photograph:Hisaaki Mihara

連載対談 中島京子の「扉をあけたら」第15回メイン

釈徹宗(左)、中島京子(右)

落語と仏教の深い関係

中島 釈さんがお書きになられた『落語に花咲く仏教』(朝日選書)、私にとってもすごく興味深いテーマで、おもしろく読ませていただきました。
釈 ありがとうございます。
中島 釈さんはお寺の住職でいらっしゃるから仏教に精通されているのは当然なのですが、落語と仏教の関係性にお気づきになったのには何かきっかけがあったのですか?
釈 小学生の頃から、ラジオで落語や浪曲を聞くのが好きだったんです。『おはよう浪曲』を聴くために朝は五時半ぐらいに起きる。夕方にもラジオにかじりついて『パルコ10円寄席』を聴いていました。
中島 あら、渋い小学生(笑)。
釈 私の家はお寺でしたから、日常的にお坊さんのお説教が耳に入ってくる環境にありました。深い内容はもちろん理解できませんが、その頃からお説教のなかに落語や浪曲のネタとかぶっている話があることには気がついていたんです。
中島 環境がよかった! そして、鋭い耳を持つお子さんだったんですね。
釈 へんな子どもでしょう。それが大人になっても、仏教と落語の関係性を研究しているのですから、人間の根っこはそうそうかわるものじゃないんですね(笑)。
中島 お説教には、かなり昔から落語の要素が取り入れられていたのでしょうか?
釈 正確にはわかりませんが、明治時代の説教のネタ本を読むと、すでに落語の演目の話が結構入っています。昔のお説教師さん(説教を専門にするお坊さん)は、落語を勉強していたようですし、噺家さんもよくお説教を聞きにきていたらしいんです。
中島 お説教にもネタ本があるんですね。説教師も落語家も、聞いている人に居眠りされたら立場がないですもの。みなさん勉強なさっていたんですね。
釈 江戸時代に、三遊亭円朝という近代落語を確立したといわれる巨匠がいました。その弟子に、橘家円喬という名人がいた。当時は浅草に本願寺があったのですが、円喬はそこで宮部円成という有名な説教者の話を聞いた。これはもう足元にも及ばないと思ったのでしょう。宮部円成の後をついて回って、話術を学んだそうです。この話には後日談があって、じつは宮部円成は円喬の師匠である円朝のファンで、随分影響を受けていたというのです。
中島 お互いに刺激し合って、話術を磨いていたんですね。
釈 さらに時代は遡って、戦国時代から江戸初期のお坊さんで安楽庵策伝という人がいました。小僧さんのときからたくさんのお説教を聞いて、それをぜんぶメモしていたそうです。後に策伝は、お説教のなかに入れるちょっとした落とし話、つまりオチとかサゲがつくおもしろい話を千以上もまとめた『醒睡笑』という本を書くんですね。
中島 いまでいう小話をまとめたような?
釈 まさに、そうです。昔からお説教は「始めしんみり、中おかしく、終わり尊く」の構成がよいといわれています。もちろんお説教ですので仏法を説くのですが、それだけだとなかなか聞いてもらえない。どんなにありがたいお話でも、淡々と語られるとみんな眠くなりますでしょう。そこで途中におもしろおかしい話を入れたり、『忠臣蔵』のエピソードを持ってきたりしてグーッと引きつけておいて、最後にもう一度仏法に戻していくんです。
中島 「中おかしく」は、まさに落語的。
釈 それ故に、「中おかしく」の話を蒐集した安楽庵策伝は落語の始祖ともいわれているんです。
連載対談 中島京子の「扉をあけたら」第15回文中画像1中島 落語がお説教に取り入れられているだけじゃなく、お説教が落語の基にもなっていたんですね。
釈 説教がそのまま落語になったわけではありませんが、先祖のひとつであるのは確かですね。和服を着たひとりの人間が正座したまま、化粧もせず、衣装も替えず、背景もなしで、手拭いと扇子だけでストーリーを語る芸能は、世界でも落語だけらしい。なぜこんな特殊な芸能が日本にだけ生まれたのか。明らかに日本仏教のお説教のスタイルを伝統的に引き継いでいるからなんです。
中島 仏教と落語がそれほど密接に関わっていたなんて。これから落語を聞く耳が変わりそうです。
釈 たとえば『寿限無』という有名な落語があるでしょう。
中島 「寿限無、寿限無、五劫のすり切れ、海砂利水魚の……」と長い名前が続く噺ですね。
釈 和尚さんに子どもの命名を頼んだら、「寿限無はどうじゃ」から始まって、つぎつぎとめでたい名前をあげてくれる。それではと、それらを全部つけてしまおうという噺です。「寿限無」は、サンスクリット語で「アミターユス」の意訳。〝寿命限りなし〟という意味です。つまり阿弥陀仏のことなんです。阿弥陀仏はすべての人が救われるためにはどうしたらいいか、五劫の間考えられた。大きな岩がすり切れる時間が一劫。五劫といえば、それはそれは長い時間です。そこから〝五劫のすり切れはどうじゃ〟と、延々と噺が続いていく。この噺には、長屋住まいで文字も書けないような若夫婦が、生まれた子どもに少しでもいい名前をつけてあげたいという、親の愛情があふれています。また何か困ったことがあればいつもお寺の住職に相談しに行く。そういう豊かな地域性もうかがえる。そしてお寺の住職は、『無量寿経』というありがたいお経の説明をしながら、阿弥陀様にちなんだありがたい名前を子どもにつけていく。そういう奥行きがあるから、あの噺には味わいがあるんです。
中島 深いですね。長い名前を呪文のように詠み上げることが、『寿限無』のおもしろさだと思っていました。
釈 でも最近の落語家のなかには、テンポを重視するあまりに、本来その話が持っている豊かな文化や人情などをカットしてしまう人もいるんですね。そうすると、ただ単に長い名前を笑うだけの薄い話になってしまいます。
中島 笑いの奥に、深い教養がのぞくほうが、聴き手にも残るものがありますよね。
釈 海外の宗教学者が、日本人の宗教性を最もよく表しているのは『夕焼け小焼け』の歌だといっています。
中島 ぼんやりした歌みたいだけど。
釈 実際、「夕焼け」にこれほど情感を持っている民族はそんなに多くないらしいんです。
中島 そういえば、フランスの画家ミレーの、夕景を描いた名画『晩鐘』が日本で公開されたとき、お賽銭を置いていった人がいたと聞いたことがあります(笑)。
連載対談 中島京子の「扉をあけたら」第15回文中画像2釈 また、お彼岸をこんなに大事にする仏教圏も他にはありません。もちろん季節の一区切りとしては見ますが、なぜ日本にだけお彼岸に仏事を営む風習が根づいたのか。たぶん真西に日が沈むからだと思います。落ちる夕日を見ながら、いつか自分もあの大きな命に帰っていくんだという宗教的情操を育んできたんだと思うんです。「夕焼け小焼けで日が暮れて、山のお寺の鐘がなる」。そこには理屈も何もない。でも鐘の音が聞こえたから、みんなで帰ろう。人間だけじゃなくカラスも一緒に帰ろうと歌う。すべてのいのちがそこに帰結するようなイメージがあります。
中島 『夕焼け小焼け』には、いのちの輪廻が歌われている。今日のお話は、驚きの連続です。
釈 これは仏教がやってくる以前からある、この列島に暮らす人たちの宗教的なメンタリティーなんですね。きっと。

できるなら、穏やかにすっと逝きたい

中島 いのちにつながる話なのですが、父が認知症になって介護した経験があるので、釈さんが営まれている認知症の方々が暮らすグループホーム「むつみ庵」のこともお聞きしたかったんです。
釈 認知症を題材にした中島さんの小説『長いお別れ』は、お父様のことが下敷きになっていたのですね。
中島 そうなんです。私は父を実家で看取ることができましたが、世の中には認知症の親御さんの介護で四苦八苦されている方も多い。そんななかで「むつみ庵」での取り組みを書かれた『お世話され上手』を読んで、目からウロコが落ちるような思いがしました。
釈 中島さんにそういっていただけると「むつみ庵」のスタッフたちも喜びます。
中島 「むつみ庵」は、釈さんのお寺の裏にある古い民家です。そこで認知症の方々が共同生活されている。当然、バリアフリーの施設ではない。
釈 もちろん、バリアアリーです(笑)。土間の玄関から家に上がるためには履物を脱がなくてはならないし、上がり框にも大きな段差がついています。敷居もありますし、急な階段もあります。築六十年余りの、ごくふつうの田舎の民家です。
中島 でも高齢者の方々は、まるで自分の育った家のような環境で生活していらっしゃる。
釈 今の高齢者の年代だと、風合いのある古民家は、子どもの頃に暮らしたなつかしいにおいがして、居心地がいいのだと思います。実際に「むつみ庵」を運営していて、その家の持つ力というか、生活環境の持つ力の大きさを感じます。普通の家で暮らしているので、みなさん穏やかですし、息を引き取るその日までほとんど普通に暮らしています。
中島 死期が近づいてきたなと思っても、入院はもちろん、積極的な医療は行わないんですね。
釈 病気をしているわけではないですからね。居間の椅子に座ってみんながおしゃべりしているのを、にこやかに見ている。台所からは、トントントンという包丁の音が聞こえて、みそ汁の匂いがしてくる。でも、夕飯までには、まだ少し時間がある。ちょっと疲れた様子だから、スタッフが「もう部屋帰りますか」と声をかける。「うん」とこたえて、部屋に帰る。そして、そのまま静かに息を引き取る。生き抜くというよりは、普通に暮らし抜くという感じです。これまで七名の方を看取らせていただきましたが、みなさん本当に穏やかに往生されました。
連載対談 中島京子の「扉をあけたら」第15回文中画像3中島 釈さんは、さらっと当たり前のようにおっしゃいましたが、すごいことですよ。つくづく普通に死ぬことが難しい社会なんだなと感じます。
釈 大量の投薬や手術などで、無理な延命をして、最期は病院で亡くなる方が圧倒的に多い時代です。でも、それはやっぱり苦しいことではないかと思うんです。食べたり、飲んだりできなくなると、体も細くなっていく。その代わり、痛みもあまり感じなくなるそうです。「むつみ庵」での経験から、何もしないということで、生物の死のメカニズムが機能すると思うようになりました。
中島 わたしも、最期は苦しみたくない。穏やかにすっと逝きたいという願いは持っています。

我が身を他者に委ねる覚悟を養う

釈 これから人口減少社会になっていくでしょう。どうしても空き家が増えていく。認知症の方だけではなくて、高度な医療設備が必要のない緩和ケアのためのホームなどにも空き家の民家を活用すればいいのではないかと思っているんですよね。
中島 それは、素晴らしいお考えですね。仏教者の釈さんが中心になってやられている活動だから、死に対しても不思議と安心感があるんですね。
釈 そんなに高尚な取り組みではありませんが、死ぬまで楽しく幸せにいたいと願わない人はいませんから。
中島 徘徊やせん妄など、認知症の周辺症状は、患者さんの心理状態から起こると、ご著書に書かれていました。確かにうちの父もデイサービスで小さなトラブルや、プライドが傷つくことがあった日は大変でした。興奮しているのかなかなか寝ついてくれなかったり、トイレに行けなくて大洪水状態になったり。
釈 だんだんと認知症のメカニズムも解明されてきています。認知症の方は体の変調などをことばで十分に表現できなくなってくる。だからわれわれから見ると奇異な行動に映ることもあるのですが、そういった周辺症状は不安やストレスがなくなると必ず治まるんです。一方で、中核症状と呼ばれる記憶障害や見当識障害は、残念ながら治ることはありません。目の前にいる人が自分の子どもだということすらわからなくなったりもします。でもこの人は自分にとって大事な人だってという根本のところは壊れないんです。
中島 そうなんですよね。私の父もそうでした。
釈 また、離れて暮らしている家族にもめごとがあると、こちらのお年寄りの具合も悪くなる。やっぱりご家族が安定している方は、「むつみ庵」でも穏やかに暮らしている。
連載対談 中島京子の「扉をあけたら」第15回文中画像4中島 テレパシーが通じているみたいですね。人間って、やっぱり不思議だ。
釈 民家で共同生活をするということが認知症の人にとっていいことであろうとは予想していたのですが、ご家族がこんなに喜ばれるとは、やってみるまで気がつきませんでした。ご家族の皆さんは、本当に精も根も尽き果てて私たちに預けに来られる。よく頑張ったなという方ばかりです。それでもやはり親を預けていいのかという心理的負荷を抱えているんですね。でも普通の家でしょう。施設に入れたというよりは、田舎のおじいちゃんやおばあちゃんの家に帰った感じで、ご家族も安心するようです。二年に一度、第三者機関の評価を受けるのですが、これほど頻繁にご家族が会いに来る施設は珍しいといわれます。
中島 普通の家で暮らすって、大事なんですね。でも、いま、なかなかできない。
釈 能楽師の安田登先生も作家の五木寛之さんも、皆さん認知症になったら「むつみ庵」に来るといっていますよ。
中島 あら、そんなに有名な人ばかりが集まると、スタッフは大変だ(笑)。私はお世話され上手じゃないタイプで、どこかに構わないでほしいという気持ちがあるんです。
釈 私も中島さんと同じです。お世話されるのが、苦手です。でも、高齢者介護に関わってから、わが身を他者に委ねる覚悟を少しずつ養っていかなければいけないと思うようになりました。現代人が老後の不安を解消するために、お金をためる気持ちもわかります。サービスを購入する費用ですね。でもそのサービスを購入したからといって、老いや病、死の苦しみからは解放されません。
中島 たしかにそうですね。どうしたら、お世話され上手になれるのでしょう。
釈 時々いらっしゃるんです。お世話され上手な人が。その人がいるだけで家の雰囲気が明るくなる。逆にいくらお金を持っていても、嫌な人のお世話をするのはスタッフはつらい。自分はこうじゃなきゃ納得いかないというこだわりのない人が、基本的にはお世話され上手なんですよね。そういう意味では、わが身を他者に委ねる覚悟と、いかにこだわりの枠を外していくか、そのふたつのことができるかどうかがお世話され上手への道だと思います。
中島 私にはまだ無理かもしれない(笑)。
釈 東大の熊谷晋一郎先生は、生まれてすぐに脳性小児麻痺で首から下が動かなくなりました。「自分は人に迷惑をかけないと生きていけない。だからいかに上手に迷惑をかけるか。それが自分の生きる術だ」とおっしゃっています。人に迷惑をかけたくないというのは一種の美学ではあるけれど、見方を変えれば傲慢さの表出かもしれません。それを自覚できるかどうかが、お世話され上手への分岐点であるような気はします。
中島 時にこだわりは、生きるために邪魔くさいものになる。それはわかっているのですが、なかなか捨てきれないのがもどかしいですね。
釈 そうですね。一番厄介なのは、「自分」ですから。この厄介な「自分」とどうつきあっていくか。すべてはそこに尽きると思います。

構成・片原泰志

プロフィール

中島京子(なかじま・きょうこ)

1964年東京都生まれ。1986年東京女子大学文理学部史学科卒業後、出版社勤務を経て独立。1996年にインターンシッププログラムで渡米、翌年帰国し、フリーライターに。2003年に『FUTON』でデビュー。2010年『小さいおうち』で直木賞受賞。2014年『妻が椎茸だったころ』で泉鏡花文学賞受賞。2015年『かたづの!』で河合隼雄物語賞、歴史時代作家クラブ作品賞、柴田錬三郎賞を受賞。『長いお別れ』で中央公論文芸賞、2016年、日本医療小説大賞を受賞。

釈徹宗(しゃく・てっしゅう)

1961年大阪府生まれ。宗教学者・浄土真宗本願寺派如来寺住職、相愛大学教授、特定非営利活動法人リライフ代表。専攻は宗教思想・人間学。大阪府立大学大学院人間文化研究科比較文化専攻博士課程修了。著書に『不干斎ハビアン』『法然親鸞一遍』『死では終わらない物語について書こうと思う』『お世話され上手』など。2017年『落語に花咲く仏教 宗教と芸能は共振する』で第5回河合隼雄学芸賞受賞。

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