連載対談 中島京子の「扉をあけたら」 ゲスト:柴崎友香(作家)

アメリカのアイオワ大学が世界中から作家を招聘して、朗読会やパネル・ディスカッションなどを行うIWP(インターナショナル・ライティング・プログラム)。そこに参加した柴崎友香さんは世界中の作家たちと出会い、文化の共通性と壁について深く考えさせられたという。そして、今という時代を紡ぐ言葉の可能性について中島さんと語り合いました。

 


第二十七回
言葉は時代の証言者
ゲスト  柴崎友香
(作家)


Photograph:Hisaaki Mihara

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柴崎友香(左)、中島京子(右)

中島 毎年アイオワで開催されるIWPに参加された体験をもとにお書きになった小説集『公園へ行かないか?火曜日に』(新潮社)を興味深く、そして懐かしい気持ちになりながら拝読しました。
柴崎 私が参加したのは二〇一六年八月から十一月なので、ちょうど二年前です。中島さんも参加されているんですよね。
中島 はい。私が行ったのは二〇〇九年。三十か国から三十六人が参加していました。柴崎さんが行かれたときは、何か国から集まっていたんですか。
柴崎 確か三十三か国で三十七人だったと思います。
中島 世界中から集まった見ず知らずの作家たちと、初めて訪れるアメリカの田舎町で様々な活動を共にする。そんな機会めったにないことだから、新鮮な驚きや発見も多かったでしょう。
柴崎 それまでアメリカや韓国、台湾など限られた国の人としか交流がなかったので、普段はあまり接点がない南米やアフリカの人などと接することができたのは、大きな体験だったと思います。たとえば「ボツワナってどこだっけ」と世界地図で位置を思い浮かべることはできる。しかし、その国にどんな人が暮らしていて、どんな言葉が使われていて、どんな文化があるのかまではわからない。自分は世界のことを何も知らないんだなと思い知らされました。
中島 ほんと、世界は広いなと痛感しますよね。
柴崎 「日本から来ました」と自己紹介したら、三島由紀夫や川端康成、村上春樹の作品の話がまず出てくるんですけど、川上弘美や江國香織などの名前も出てきて、日本の文学作品がいろんな国で読まれていることを実感しました。
中島 私のときは、村上春樹はみんな知っていたけれど、川上さんや江國さんの名前はまだ挙がっていなかったな。
柴崎 フィリピンでは日本のアニメ「超電磁マシーンボルテスV」が八〇年代に国民的な人気だったそうですし、南米ベネズエラでも「ドラゴンボールZ」は誰でも知っているみたいでした。これまで文学や映画などで世界的に広がっているのは、アメリカなど一部の大国のものに偏っていたのですが、日本の作品に限らずいろんな国の文学や映画などが、互いに紹介される機会が増えてきているんじゃないでしょうか。それはいいことですよね。

日本に移民はいない?

Img_27036中島 もともとIWPは、政治的な理由から自国では思うように執筆活動ができない作家を、亡命ではないけれどアメリカに呼んで手助けをするという意味合いも持ったプログラムだったらしいんです。
柴崎 たしかにその名残がありました。ずっとIWPのお世話をしてくれているご夫婦はウガンダからの難民ですし、おもにアフリカや東欧、南米などの作家はアメリカの国務省が招待しているようでした。
中島 日本にいると普通に思える環境が、当たり前じゃないという人たちが世界にはたくさんいる。自分の考えていた「常識」の足場が、ぐらっと揺らぐ体験をしますよね。
柴崎 ブルガリアの作家ウラディミルは、IWPでよく話したひとりなのですが、彼は私よりちょっと年下で、小学生のときには自国がまだ共産圏だったそうです。彼の世代までは義務教育でロシア語も習っていたからみんなロシア語ができるんだけれど、妹はソ連崩壊後のブルガリア民主化以降の世代だからロシア語はしゃべれない。そういう国や社会の劇的な変化を体験した人たちに直接話が聞ける。また、なかには関係が微妙な国の人たちもいるから、雑談をするときでもこんな話題を出していいものかと躊躇することもありました。
中島 私のときは、イラクから来た男性作家とイスラエルの女性作家が、近くに宿をとっていたんです。
柴崎 それもまた、巡り合わせですね。
中島 イスラエルの女性作家が少し神経質な方で、イラクの男性作家がよく面倒を見てあげていた。
柴崎 地理的には近くて状況が想像しやすいかもしれませんが、国同士の関係はずっと難しいままですよね。
中島 不思議ですよね。私はイラクの作家さんと仲が良かったので、イスラエルの作家さんも含めて三人で食事したことがあるんです。イラクの作家は兵士時代の話を、イスラエルの作家は隣国からの攻撃におびえる日常の話をしていて、ふたりが私の方を向いて「日本は平和な国だから、そういうことはないよね」って。どう答えたらいいのかわからず、愛想笑いを返すことしかできませんでした。
柴崎 私は共通の話題が多いこともあって、アジアの作家さんたちとはよく話しました。日本文化の影響については、ちょっと考えてしまう部分もあったんです。フィリピンの男性作家に、知っている日本文化についていろいろ聞いていたら思わぬ日本語が出てきて……。
中島 へえ。どんな言葉?
柴崎 それが「ヤメテ、ヤメテ」と「ヘンタイ」だったんです……。
中島 な、な、なんという……。
柴崎 日本のアダルトビデオがアジアで人気があるとは以前から知っていました。それ自体はちょっとおいておくとして、目立つ言葉が「ヤメテ」「ヘンタイ」なのは男女関係の意識について考えざるをえなくて。文化が国を超えてよい部分も多いけれど、そういうこともあるんだなと。
中島 外国語をマスターするときに、エッチな言葉とか、罵倒語から入るというのは、わりとよくある現象でもありますよね、困ったことに(笑)。
Img_27062柴崎 世界には、数多くの言語と民族から成り立っている国が多いということは頭では理解していました。しかしIWPで世界各国の作家さんたちと話して、やはり日本にいると「〇〇人」「〇〇語」「〇〇国」というのがなんとなく一致していることが普通で所与のものだと思ってしまう感覚があるなと、頭の理解と実感とは違うのだと感じました。
中島 日本で暮らしてると、あえて多様な民族性を意識しないようにしていることも多いですよね。たとえば在日コリアンは、国籍は朝鮮籍、韓国籍、日本籍といろいろな方がありますが、日本に根付いていて、朝鮮半島出身の人の存在なしに日本の近現代はありえない。でも「日本は単一民族国家」という言説が、わりと普通に語られてしまいます。
柴崎 そうですね。
中島 「日本にいるのは日本人がほとんどで、外国人はお客様のように来てる人が少数」みたいなイメージが相当強くありました。でも、その極端なイメージも最近は揺らいできてて。
柴崎 この数年で東京都心のコンビニの店員さんは、ほとんど外国の人になった。でも政府は「移民ではありません」と言い張っている。
中島 法整備が現実に追いついていないんですね。このままだと、大変なことになるかもしれませんね。
柴崎 移民ではありません、留学生です、研修生です、実習生です、と言葉の上だけで、ごまかすことによって権利を認めない。言葉と社会のあり方は、すごく密接につながっていると思うので、そういう言葉の使い方には敏感に反応したいと思っています。
中島 言葉が実際の意味と違う使われ方をしていくうちに、実態が隠され、見えなくされていくんですよね。戦争中に部隊の「全滅」を「玉砕」と言ったりしたのに似た、意図的なものを感じます。
柴崎 たしかに、今日本にはいろんな国の人が暮らしてるけれど、日本で日本人として生まれて暮らしていると、あらためて国籍って何か、国や国民、移民って何なのか、問題に直面しなければ、考える機会がなかなかないですよね。
中島 そうなんです。日本人、日本語、日本国籍が、全部セットになってイメージされている。
柴崎 それが急に、たとえばカズオ・イシグロさんがノーベル文学賞を受賞すると、日本をルーツに持つ作家だといって、日本人の輪に取り込もうとする。
中島 テニスの大坂なおみさんのUSオープン優勝のときもそうでしたね。
柴崎 「日本人ぽくない」と批判したかと思うと、「日本人らしい」と持ち上げてみたり、都合がいいですよね。あらためて考える時期なんだと思います。
中島 今まさに過渡期なのでしょう。極端なナショナリズムのような言論も立ち上がってくるかもしれないけれど、長い目で見れば駆逐されていくんじゃないかと、私は希望的に考えています。

英語を学ぶ前に、大阪留学を

柴崎 参加メンバーの中で、一番英語ができないのは私だったので、他の人たちはお互いに完全に言葉が通じ合っているのだと思っていたんですが、あとから聞いてみると、それぞれによくわかっていないこともありました。
中島 日本人は奥ゆかしいけれど、他の国の人たちは自分の持ってる英語力で自信満々しゃべるから、ネイティブ並みにできるんじゃないかと錯覚しちゃうんですよね。
柴崎 日本の人は自信のなさがいちばんの問題かもしれません(笑)。
中島 柴崎さんが、頭の中で英語を大阪弁に置き換えていたというのも面白かったですね。
柴崎 最後のほうはやっと、英語に対して英語が思い浮かぶようになりましたが、最初は英語を頭の中で日本語に翻訳して理解しようとしていたんです。そのとき置き換えるのは“母語”である大阪弁のほうがしっくり来るんですね。日がたつに連れ、だんだん“標準語”は思い浮かばなくなってきました。アイオワで三か月英語にまみれた生活をして、やっぱり私は大阪弁ネイティブ。大阪弁が最もエモーショナルな言語であることを確信しました。
中島 私は東京生まれで“標準語”で育っているから、自分の母語は大阪弁だといえる柴崎さんがなんだか羨ましいな。
柴崎 英語と大阪弁の関係というか、アメリカ人と大阪人の共通点について考えていたら、東大名誉教授のロバート・キャンベルさんがおっしゃっていたことを思い出しました。東京でエレベーターに乗り合わせたときや、信号待ちをしているときに、つい見知らぬ隣の人に話しかけてしまって、ニューヨークじゃなかったと慌てることがあると。
Img_27014中島 東京だと知らない人にいきなり話しかけられると、異常に警戒しますよね。エレベーターでも、みんな目を合わせないように、階数表示を睨んでいる(笑)。キャンベルさんは、ニューヨークのご出身でしたね。
柴崎 はい。西海岸と東海岸を比べたら、東海岸のほうが東京っぽいイメージなのですが、ニューヨーカーでも知らない人に話しかけるのは日常の光景みたいなんですよ。キャンベルさんに、大阪だったら大丈夫ですよ、よく隣り合わせた人に話しかけますから、とお伝えしました(笑)。
中島 大阪とニューヨーク、何か共通項があるのかしら。
柴崎 ニューヨークの道は縦横碁盤の目になっていて大阪っぽいなぁと、母にセントラルパークの写真を送ったら「中之島みたいやな」って返ってきた。まあ確かに、そうかもって(笑)。
中島 母娘の会話も漫才みたいですね(笑)。
柴崎 東京で暮らすようになって気づいたのですが、大阪弁というとユーモラスな会話や「なんでやねん」など独特の語尾が特徴的だと言われますが、そもそもコミュニケーションの仕方が違うんですね。大阪では、意思を伝えることよりも、コミュニケーションし続けることが目的。極端に言えば、中身はどうでもいいんです(笑)。だから漫才みたいな会話になるんです。「どこ行くの」「ちょっと銀行へ」「強盗すんのちゃうやろな」「せやねん、下見で」。そういうどうでもいい会話が延々と続く。キャッチボールをひたすら続けることで、人間関係の摩擦を減らしているんだということが、東京へ来て初めてわかったんです。
中島 それはもう、話芸というか、文化ですね。
柴崎 子どもの頃から「友だちがこんなあほなことしてな」みたいなことをどれだけ面白く言えるのか、学校のなかでみんなが競い合ってるようなところもありました。
中島 それは、鍛えられますよね。そういえば私も英会話の先生に、「何をしゃべるか考えるより先に、とにかくしゃべりなさい」と言われたことが。
柴崎 そうそう、それに近いかもしれないですね。とにかく何かしゃべる。
中島 やっぱり大阪人は外国に適応しやすいのかな。英語を身につけるなら、まず大阪留学! 大阪弁で、コミュニケーション力を鍛えてからにするといいのかも(笑)。

わかりやすい物語に気をつけろ

中島 アメリカが好きだという、お父さまの話も印象的でした。何年のお生まれですか。
柴崎 一九四三年、昭和十八年ですね。終戦の二年前だから、物心ついたときにはもう戦争が終わっていた世代ですね。
中島 その世代の人たちは、外国と言えばアメリカ。いい物はアメリカからという感覚があって、屈託なくアメリカが好きですよね。
Img_27068柴崎 映画やドラマが好きだったし、それから政治的な面について、父は保守派なんですが、とにかくアメリカは正しいんだという思いを強く持っていました。
中島 私の父は、もう一回りくらい上だから、軍国少年だったんですね。だから、アメリカのことは嫌いなんです。戦争映画でも『トラ・トラ・トラ!』は好きだけど『ミッドウェイ』は嫌い(笑)。
柴崎 日本が負けるのが嫌なんですね。私が物心ついた八〇年代前半も、本当にアメリカは華々しかった。スピルバーグ、マイケル・ジャクソン、そしてロス五輪。でもそこには、政治的な空気は感じなくて、楽しいエンターテインメントの自由の国というイメージでした。
中島 ディズニーランドの国ですよね。
柴崎 そして日本にもディズニーランドが上陸して、アメリカが体験できるようになった。どの世代でも、相当大きい影響があったなと思っているんです。
中島 いまではアメリカの世界での地位が失墜してしまったので、アメリカ礼賛の声は以前ほど強くないけれど、日本の戦後がどういうものだったのかを考えると、アメリカなしでは語れないほどアメリカ万歳だったと思います。
柴崎 IWPで他の国の作家と接していると、世界中の情報が入ってくるとはいえ、今でも日本に入ってくる情報自体がアメリカというフィルターを通したものなんだと感じました。
中島 その傾向は冷戦後強まった気もします。
柴崎 米軍の基地問題でも、なぜか、沖縄の側ではなくアメリカの側に立っているような言い方をする人が多いのも気になっています。
中島 おかしいですよね、沖縄は「日本」なのに。「日本」とか「日本人」とか「世界」とかって言葉は、けっこうざっくりいい加減に使われていたりするので、実は、精査しないと足を掬われるようなところがある。
柴崎 沖縄の基地問題に限らず、世の中ってかなり複雑にこんがらがっているはずなのに、みんなそれをわかりやすい物語にまとめたがりますよね。
中島 わかりやすくまとめた物語をうのみにするか、さもなきゃ関心を払わないみたいなところがありますね。
柴崎 たとえば来年四月で平成が終わりますが、きっと次の元号になると平成を振り返って「失われた三十年」などとひとくくりにして論じているかもしれません。でも、そこには小さなひとりひとりの現実がある。そのことを無視しちゃいけない気がして。だから今、戦後の小説をアメリカとの関係性も含めてどんな時代にどんな視点で書かれていたか読み直しているんです。そして、今の時代はどうなんだという問いに、自分の言葉で答えていかないといけないんじゃないかと考えています。
中島 私たちは物書きとして、信頼するに足ると思ってもらえる言葉を、紡ぎたいものですね。柴崎さんならではの新たな作品が生み出されるのを、心から楽しみにしています。

構成・片原泰志

プロフィール

中島京子(なかじま・きょうこ)

1964年東京都生まれ。1986年東京女子大学文理学部史学科卒業後、出版社勤務を経て独立。1996年にインターンシッププログラムで渡米、翌年帰国し、フリーライターに。2003年に『FUTON』でデビュー。2010年『小さいおうち』で直木賞受賞。2014年『妻が椎茸だったころ』で泉鏡花文学賞受賞。2015年『かたづの!』で河合隼雄物語賞、歴史時代作家クラブ作品賞、柴田錬三郎賞を受賞。『長いお別れ』で中央公論文芸賞、2016年、日本医療小説大賞を受賞。

柴崎友香(しばさき・ともか)

1973年大阪府生まれ。2000年に刊行されたデビュー作『きょうのできごと』が行定勲監督により映画化され、話題になる。07年『その街の今は』で芸術選奨文部科学大臣新人賞、織田作之助賞大賞、咲くやこの花賞、10年『寝ても覚めても』で野間文芸新人賞、14年に『春の庭』で芥川賞を受賞。小説に『ビリジアン』『パノララ』『わたしがいなかった街で』、エッセイに『よう知らんけど日記』『よそ見津々』など著書多数。

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