ヤマ王とドヤ王 東京山谷をつくった男たち 第一回 時代が交錯する街
「髪の毛詐欺師」舞い戻る
「ほていや」に宿泊しながら、夜はロビーで原稿を書くのが、ここ最近の私の生活スタイルである。ロビーといっても10畳ほどの部屋で、中にはテーブルが4つに本棚、アルコール飲料とコーヒーの自販機が並んだ共有スペースだ。夜はほとんど誰も使用していないために静かで、私にとっては原稿を書くのに打って付けの場所である。
私は13年住み続けたフィリピンを離れ、昨年から主な拠点を日本に移している。実家は三重県にあるが、上京時は常にホテル暮らし。このため経費を抑えたいという理由で山谷の宿泊施設を利用するようになった。きっかけは昨年秋、月刊「文藝春秋」の企画で山谷地域を取材場所に選んだことに始まる。私は元々、フィリピンにいた頃から山谷という地域の存在は気になっていた。当時、若いフィリピン人女性を南国まで追い掛け、無一文になった「困窮邦人」と呼ばれる日本人に密着取材をしていたのだが、その過程で日本のことを調べていくうち、遠く離れた母国で貧困問題がクローズアップされているのに驚いた。2008年末には日比谷公園で年越し派遣村が開設され、以来、日本の貧困問題に関する書籍を読み漁った。山谷に関心を持つのに時間はかからなかった。
「文藝春秋」の企画では、山谷に1カ月近く滞在し、ほていやを拠点に取材を進めていた。毎日のように未明までロビーで作業をしていると、経営者の帰山哲男さん(67)が必ずと言っていいほどロビーにやって来る。Tシャツにズボン、サンダルといったラフな格好で現れ、自販機で水割りウイスキーの缶を買い、山谷で起きる日常の出来事や珍事について飲みながら語ってくれるのだ。やがてそれが、私の中で習慣化していった。
たとえばこの原稿を書いている6月19日夜はこんな会話から始まった。
「“髪の毛詐欺”を繰り返して逮捕された人が最近、山谷に舞い戻って来たって話だよ。うちにも何度か泊まりにきたことがあって、嫌がらせをするんです」
帰山さんによると、この男性は偽名を使い、日本全国の名産店に次のような電話を掛けるのだ。
「おたくの商品を購入したら髪の毛が入っていました。誠意ある対応をして頂きたい」
すると、店側から詫び状とともに現金や名産などが届くのだという。ほていやには今も、本人が部屋に置き忘れた当時の詫び状が保管されている。ある和菓子屋から届いた和紙には、筆書きで丁寧にこう綴られていた。
「詫び状
浅野様
この度は●●饅頭をお買い上げ頂き誠にありがとうございました。せっかくお買い上げいただいたのに、当店の不手際がございまして本当に申し訳ありません。製造課程において品質管理には十分注意してまいりましたが、今後はより一層きびしく注意していきますのでよろしくお願い申し上げます。
店主」
帰山さんは甲高い声で笑いながら続けた。
「本名は吉田ですが、『浅野』という偽名を名乗っていました。背が低く、痩せ形。いつもニコニコして、宿泊施設の経営者にはヘコヘコするタイプですが、従業員には態度を変えるんです。饅頭だけでなく、うちにはメロンなどの果物が送られてきたこともあります。部屋のテレビに小便をひっかけられて壊れたため、出禁にしました。結局は逮捕されたのですが、その浅野が出所後に山谷に出戻りし、現在はここで暮らしているみたいです」
帰山さんの語りには、山谷ならではのこうしたエピソードが満載なのだ。しかもこの浅野という男の逮捕については、夕刊フジの2011年2月23日付で次のように報道されている。
「島根県警出雲署は22日、電話で和菓子をだまし取ったとして、詐欺の疑いで住所不定、自称フリーライター、吉田稔容疑者 (51)を逮捕した。
同署によると、吉田容疑者は「身に覚えがない」と容疑を否認している。全国和菓子協会が同様の手口の詐欺が相次いでいると注意を呼び掛けており、同署は他の被害との関連を調べている。
逮捕容疑は昨年11月、出雲市内の和菓子店に、商品を買っていないのに「1箱の和菓子に髪の毛が入っていた」とうその電話をかけ、和菓子3箱と現金2500円を送らせてだまし取った疑い。
同署によると、吉田容疑者は、だまし取った和菓子のうち1箱に髪の毛を入れて返品していた。」