ヤマ王とドヤ王 東京山谷をつくった男たち 第六回 「越年越冬闘争」の現場から


 

胸に刻まれた闘い

 
 1月14日午前10時、玉姫公園周辺は、盾を持った機動隊や警視庁の制服警官たちに取り囲まれ、物々しい雰囲気に包まれていた。私服警官も含まれているはずだから実数は把握できないが、警察側の人数はざっと70人ほどだろうか。
 公園の生け垣には、山岡強一と佐藤満夫の遺影がそれぞれ2枚ずつ。赤地に「闘」という白抜きの一文字が描かれた旗、そして横断幕も掲げられている。
「佐藤さん山岡さん虐殺弾劾追悼 寄せ場を結び、社会運動の前進を 1.14山谷集会」
 山岡強一が銃弾に倒れた1986年1月13日から33年を迎えたこの日、山谷争議団が所属する全国日雇労働組合協議会(日雇全協)主催の追悼集会が行われた。会場となった玉姫公園には100人ほどが集まり、同協議会に所属する大阪の釜ヶ崎、名古屋の笹島、横浜の寿の日雇労働組合各代表者らも駆け付けた。
 争議団の古参メンバー、荒木剛さん(66)がスピーカーを手に、甲高い声で沈黙を破った。
 
ヤマ王とドヤ王第6回6演説をする荒木剛さんの背後では、警察官たちがメモを取りながら見守っていた
(撮影:水谷竹秀)

 
「佐藤さん山岡さんをご存じでない方が圧倒的に多いと思いますので、ここで2人のお話をします」
 荒木さんは、2人との出会いや思い出、時代背景について振り返った後、こう締めくくった。
「現場での闘いを主導し、なおかつ虐殺された(佐藤さんという)仲間の遺志を引き継いでいく中で、倒れたのが山岡さんだったわけです。今の時代、左翼は元気がなく、右派が主導する中で、外国人(労働者)なんかが本当に使い捨てられている。なんとしても佐藤さんや山岡さんの生命線でもある怒り、下層労働者の怒り、そしてその方向性を胸に刻んでいきたい」
 参加者たちから拍手が沸き上がり、1分間の黙とうが捧げられた。続いて関連団体の代表者たちが次々と前に立って演説を行い、その中には向井さんもいた。いつもの作業着姿の向井さんは、城北労働・福祉センターなど行政が日雇い労働者や路上生活者を山谷から追い出そうとしている現状を示し、大声でこう訴えた。
「路上で生活している仲間の追い出しは許さない。路上での生活には道理があり、その道理の背景には、みなさんが生きてきた歴史があります。特に日雇い労働者としてケタ落ち(筆者注*賃金が低く、雇用環境が悪いこと)の飯場に行く人間がいます。また、いま俺が働いている職場の周りでは、福島の除染に行って来た人間なんかがごろごろいます。そういった厳しい環境に置かれながら、そこで自分自身の食い扶持を稼いできた仲間の誇りと尊厳があるからこそ、俺たちは路上に生きている仲間を応援します!」
「そうだ!」と一部の参加者から声が挙がり、向井さんは勢いよく続けた。
「また生活保護を受け、役所の抑圧と支配のもとに置かれそうになりながらも、自らの尊厳をかけて頑張っている仲間を応援します。そういう仲間と一緒に俺たちは集会に集まり、デモをやりたいと考えています。ともに闘いましょう!」
 全員の演説が終わったところで、一行はデモ行進に移った。荒木さんを先頭に、遺影と横断幕を掲げたデモ隊が、玉姫公園をゆっくりと出発した。
 
ヤマ王とドヤ王第6回7警察が監視する中、泪橋交差点の近くを進むデモ隊
(撮影:水谷竹秀)

 
「わっしょい!わっしょい!」
 デモ隊の両サイドは、機動隊と制服警官にべったりと張り付かれている。これを先導するのは、白い警察車両だ。デモ隊は明治通りへと左折し、しばらく進んだ歩道橋の辺りで、一悶着起きた。
「車のカメラを下げろ!」
 荒木さんがスピーカーで大声を張り上げている。視線の先にある警察車両には、カメラが取り付けられ、レンズがデモ隊の方を向いていた。これに怒りを覚えたデモ隊は、抗議の意思を示すためにその場に立ち止まった。近くにいた警察官は折り畳まれた紙切れを開き、荒木さんに突き付けるように見せた。
「警告 君たちの行為は、東京都公安条例違反である。直ちに中止しなさい」
 気持ちがほとばしっている荒木さんは、食ってかかるようにスピーカーで怒鳴り付け、警察官もスピーカーで対抗。デモ隊はその場を一歩も動かない。諦めた警察側が車両のカメラを横に向けたため、再びデモ行進が始まった。
「だまって野垂れ死ぬな!」
「佐藤さん、山さんとともに闘うぞ!」
「俺たちは生き抜くぞ!」
 シュプレヒコールを挙げたデモ隊は、(なみだ)(ばし)交差点を吉野通りへと左折した。道行く人々は何事かと足を止め、ぽかんとデモ隊を見つめている。
 先頭を歩く荒木さんは、浅草警察署日本堤交番に差し掛かったところでまた声を張り上げた。
「ポリの横暴を許さんぞ!」
 その後は滞りなくデモ行進が続いたが、再び玉姫公園が近づくと、横に張り付く機動隊とのもみ合いに発展した。公園入口では機動隊が盾を構えて整列し、デモ隊は突撃するような勢いで向かっていく。一触即発の緊張感が走る。参加者たちはもみくちゃにされ、再び怒号の合唱に包まれた。
 
ヤマ王とドヤ王第6回8玉姫公園の入口付近では、デモ隊と機動隊によるもみ合いがしばらく続いた
(撮影:水谷竹秀)

 
「警察帰れ!かえれ!かえれ!かえれ!……」
 間もなくデモ隊が玉姫公園に入ると、事態は収束した。
 集まった群衆を前に、荒木さんが最後の声を振り絞った。
「仲間がつながって、団結して、連帯して、今年も頑張っていきましょう!」
 山谷を生き抜いてきた活動家たちの思いは連綿と語り継がれ、現世代にも深く刻み込まれているようだった。
 
 

〈次回の更新は、2019年2月25日ごろを予定しています。〉

プロフィール

ヤマ王とドヤ王 水谷竹秀プロフィール画像

水谷竹秀(みずたに・たけひで)

ノンフィクションライター。1975年三重県生まれ。上智大学外国語学部卒業。カメラマンや新聞記者を経てフリーに。2011年『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」』で第9回開高健ノンフィクション賞受賞。他の著書に『脱出老人 フィリピン移住に最後の人生を賭ける日本人たち』(小学館)、『だから、居場所が欲しかった。 バンコク、コールセンターで働く日本人』(集英社)。

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初出:P+D MAGAZINE(2019/01/31)

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