連載第42回 「映像と小説のあいだ」 春日太一

小説を原作にした映画やテレビドラマが成功した場合、「原作/原作者の力」として語られることが多い。
もちろん、原作がゼロから作品世界を生み出したのだから、その力が大きいことには違いない。
ただ一方で、映画やテレビドラマを先に観てから原作を読んだ際に気づくことがある。劇中で大きなインパクトを与えたセリフ、物語展開、登場人物が原作には描かれていない──!
それらは実は、原作から脚色する際に脚本家たちが創作したものだった。
本連載では、そうした見落とされがちな「脚色における創作」に着目しながら、作品の魅力を掘り下げていく。
『シャイニング』
(1980年/原作:スティーブン・キング/脚色:スタンリー・キューブリック、ダイアン・ジョンソン/監督:スタンリー・キューブリック/配給:ワーナー・ブラザース)


『シャイニング』 デジタル配信中
権利元:ワーナー ブラザース ジャパン
ブルーレイ&DVD
発売元/販売元:ハピネット・メディアマーケティング
©1986 Warner Bros. Entertainment Inc. All rights reserved.
〝Wendy.I’m home.〟(吹き替え版訳:ウェンディ、ただいま!)
コロラド州デンバーの山深くに建つ高級ホテルは、雪のために冬季は閉館となっていた。その期間の管理・維持のため、元教師のジャックは妻のウェンディと息子のダニーを連れて管理人として雇われることに。このホテルでは十年前に冬季管理人が一家惨殺事件を起こしていた。ホテル自体にも、何か曰くありげな呪いが感じられる。そうした中でジャックもまた常軌を逸していき、やがて妻子に襲いかかる──。
スティーブン・キングの原作はスタンリー・キューブリック監督によって映画化された。基本的な設定や人物配置、展開は上記の通りで原作と大きくは違わない。だが、この映画を原作者は強く批判している。それは、なぜか。その背景の解釈が正反対なのだ。
まず、ジャックの人物像が大きく異なる。原作のジャックは癇癪持ちの上にアルコール依存症で、そのために生徒に暴力を振るって職を失い、ダニーもケガさせてしまった。そして、そのことを今は激しく悔やんでいる。アルコールの誘惑に負けたら家族を失う。その葛藤に苦しみながらも、家族への愛情を何よりも大事にしていた。
一方、映画のジャック(ジャック・ニコルソン)は異なる。教師をクビになったこと、酔ってダニーをケガさせてしまって断酒している設定は同じなのだが、そのことを心から反省しているわけではない。小説家を目指している点も原作とは変わらないのだが、映画のジャックは小説を書き上げることを何より重要視しており、反省はあくまでポーズでしかない。そのため、冬季管理人を志願した理由も大きく異なっており、原作は家族を食べさせるためなのに対し、映画は小説を書き上げる環境の確保のためだったりする。
こうしたジャックのキャラクターの違いが、ホテルに入ってからの心理描写にも大きく影響している。ジャックが精神的に追い詰められ、やがて凶行に向かう展開は同じだ。ただ、原作のジャックはダニーをケガさせたことへの後悔とアルコールに逃げたい誘惑との間で葛藤し、苦しみ、その心の隙をホテル自体の呪いめいたものにつけこまれ、妻子への殺意を募らせることになる。つまり、彼の凶行は本意ではなく、あくまで精神的に弱ったところを利用されたためのものだった。
このプロセスについての解釈が、映画は決定的に異なるのだ。映画のジャックは、小説が全て。だが、その小説が全く書けない。そのために苛立ちを募らせていき、心配して優しく声をかけてくれるウェンディ(シェリー・デュバル)を邪魔者扱いし、遠ざける。また、かつてダニーを脱臼させたのはダニーがジャックの原稿を床にまき散らかしたためだが、原作では深く反省しているのに対し、映画ではそのことを根に持っている。彼が精神的に追い詰められていくのは、あくまで小説を書けないスランプのため。そして、その苛立ちによって、常軌を逸していく。ホテルに亡霊たちが現われる前から既に一線を越えていた感すらあり、ホテルの呪いがなくともいずれは妻子を殺害したのではないか──と思わせるほどの狂気が、前半を終えた段階で放っている。ホテルの亡霊たちは、あくまでその後押しであり手助けをしたに過ぎないという位置づけだった。
つまり、映画は原作のオカルト要素をできるだけ排除、後景化する一方で、リアルな心理スリラーとして浮かび上がらせているのだ。
そうした中で大きく役割が変わったのが、ホテルの料理長・ハロラン(スキャットマン・クローザース)の存在だ。彼とダニーは「シャイニング」と呼ばれる超能力の持ち主という設定は変わらない。ただ、原作のハロランは遠隔で交信し合いながらダニーを助け、やがて救出に駆けつける。そしてジャックの攻撃に一度は倒れながらも母子を助け出す、頼れるヒーロー的なポジションにある。
だが、映画ではダニーとの交信は描かれない。何かの交信を突然受け止める描写はあるものの、何が起きたかまではわかっていない。ただ一家のことを心配し、雪の中を必死にホテルまでたどり着く。そして、着くやいなやジャックに惨殺されてしまうのだ。まるで役に立っていない。そのことは、この母子にはもう助けは一切ない──という絶望感を強調することになり、恐怖はさらに高まった。
ジャックによる妻子襲撃の様子も異なる。実は、ホテルの亡霊の狙いはジャックだけでなくダニーでもあった。彼のシャイニングの能力を欲していたのだ。そのためには、邪魔なウェンディを殺害する必要があった。原作のジャックは口汚く罵る文言を吐きながら、ウェンディに迫る。それは、ジャックが亡霊にとり憑かれて別人格になってしまったことを示していた。
一方、映画では冒頭で取り上げたセリフのように、ジャックの人格のまま襲いかかってくる。しかも、それを嬉々としてやってのけている。しかも、ダニーをホテルの亡霊が求めている描写もないため、我が子もまた標的になっている。小説を書く邪魔者を始末する。映画のダニーに取り憑いたのは、増大した自らの妄執だったのだ。
そのため、ラストも正反対になった。
原作では、ジャックの自我がホテルの亡霊たちと対峙し、つかの間だけ我に戻った際にダニーを逃がしている。そして、ホテルもろとも爆死することで、我が子を呪いの魔の手から守ったのだ。実に熱い結末だ。
映画には、そのような展開はない。ダニーはホテルの庭園にある巨大な迷路に逃げ込む。斧を片手に、ジャックは追いすがる。そしてダニーは見事に逃げ切り、抜け出せなかったジャックはそのまま凍死してしまう。
ドラマチックかつエモーショナルな展開が待ち受ける原作に対し、映画はソリッドでクールなサイコホラーに徹した。たしかに、これは原作者も怒る脚色ではある。だが、映画としての魅力はまた別の話。両者とも、それぞれにおいて完成度の高い名作になっていた。
【執筆者プロフィール】
春日太一(かすが・たいち)
1977年東京都生まれ。時代劇・映画史研究家。日本大学大学院博士後期課程修了。著書に『天才 勝進太郎』(文春新書)、『時代劇は死なず! 完全版 京都太秦の「職人」たち』(河出文庫)、『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』(文春文庫)、『役者は一日にしてならず』『すべての道は役者に通ず』(小学館)、『時代劇入門』(角川新書)、『日本の戦争映画』(文春新書)、『時代劇聖地巡礼 関西ディープ編』(ミシマ社)ほか。最新刊として『鬼の筆 戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折』(文藝春秋)がある。この作品で第55回大宅壮一ノンフィクション大賞(2024年)を受賞。





