【ランキング】人気ベストセラー作品の競演が継続中! ブックレビューfromNY<第26回>

中国系アメリカ人女性作家の第2作目の小説

そしてノンフィクション部門で2017年のGoodreads Choice 賞を取ったのが、今週ベストセラー・リスト14週目に入ったセレステ・Ngの“Little Fires Everywhere”だ[5]。この作品はベストセラーの上位に入ったことはないが(7位が最高位)、15位以内に14週間入っている。作者のセレステ・Ngは、1980年ピッツバーグ生まれの中国系アメリカ人。両親は1960年代の終わりに香港からアメリカに移住、父親はNASAグレン・リサーチセンターの物理学者、母親は化学者、クリーブランド州立大学で教鞭をとっていた。セレステが10歳の時、家族はピッツバーグから(この小説の舞台になっている)オハイオ州のシェイカー・ハイツに移り住んだ。彼女はシェイカー・ハイツ高校からハ-バード大学に進学、英語学で学士号を取得、そのあとミシガン大学大学院で、創作的作文で修士号を取得している。2012年に短編小説“Girls, At Play”を発表、この作品はその年のプッシュカート賞[6]を受賞した。本格小説としてのデビュー作“Everything I Never Told You”は2014年のAmazon Book of the Yearに、そして2017年秋に発売された2作目の小説は、2017年Goodreads Choice 賞(ノンフィクション部門)に選ばれた。

平穏な高級住宅地で起こった放火事件

1990年代の終わりごろのオハイオ州郊外の高級住宅地シェイカー・ハイツ、5月の土曜日昼過ぎ、リチャードソンの家が火事になった。ただ1人で、まだベッドの中にいたミセス・リチャードソンは、火災報知機の音で目を覚まし、ローブ姿のまま慌てて外に出た。知らせを受けたミスター・リチャードソン、子供たちのレクシー、トリップ、ムーディは外出先から慌てて戻り、燃えている自宅を見て呆然とした。末っ子のイジーの姿は見当たらなかった。消防士は、火元は1か所ではなく家の中のあちこちに火種の痕跡があり(“little fires everywhere.”)、自然出火ではなく放火に間違いないと断言した。リチャードソン家の誰もが、問題児だった末っ子のイザベル(イジー)が家に火をつけ、姿をくらましたと思い当たった。いったいイジーは何を考え、どこに行ったのだろうか?

すべての始まりは前年の6月、ミア・ウォーレンと娘のパールが、身の回りの物を積んだフォルクスワーゲン(VW)Rabbitに乗って、シェイカー・ハイツに現れた時だった。両親からウィンスロー通りにある2階建てのアパート棟を遺産として受け継いで所有していたミセス・リチャードソンは、2階のアパートの部屋をミアと娘のパールに貸すことにした。ミアはアーティストということでお金はあまり持っていないようだし、ミスター・ウォーレンが存在する気配もなかったが、問題を起こすような母子ではなさそうだった。夫が弁護士、自身はローカル紙編集副主幹であるミセス・リチャードソンは裕福で、アパートを貸すのはお金のためというより、せっかく両親から受け継いだアパートなので、人のために役立ってほしいという思いで、家賃も低く抑え、住むところを必要としている善良な人に貸すことにしていた。

ミアの娘のパール(15歳)はシェイカー・ハイツ高校に編入し、リチャードソン家の子供たちとも仲良くなっていった。特にリチャードソン家の次男のムーディとは同じ学年なので、すぐ親しくなり、毎日一緒に学校に行き、放課後は一緒にリチャードソン家に行き、夕食までムーディの姉のレクシー(17歳)、兄のトリップ(16歳)とも一緒に過ごすことが多かった。末っ子のイジー(14歳)は変わり者で、兄や姉たちとは交わらず、1人で部屋にこもっていることが多かった。

ミセス・リチャードソンの目には、ミアはアーティストといっても、とても売れる作品を制作しているようには見えなかった。テイクアウト中心の中華料理店で電話番のアルバイトを見つけたと言っていたので、気の毒に思い、ちょうど家政婦が必要だったこともあり、やや強引に、ミアに週2回午前中掃除に、それから毎日夕方夕食を作りに来てもらうことを頼んだ。もともと人との深い関わりを苦手としていたミアは、娘のクラスメートの家で家政婦の仕事をすることは、あまり気が進まなかったものの、善意で仕事を頼んできた家主でもあるミセス・リチャードソンの好意を無下にも断れなかった。というわけで、ミア、パール母子とリチャードソン家とのやや密度の濃い関わり合いが始まった。

一方、リチャードソン家の末っ子のイジーはというと、母親のミセス・リチャードソンとは衝突が絶えなかった。はた目には、母親はいつも末っ子のイジーだけを叱っているように見えた。そんなイジーにとって、常識や世間的なルールには支配されず、自分の価値観を大切にし、それに従って行動をするミアは新鮮な驚きだった。学校から3日間の停学処分を受けた時も母親や姉、兄と違い、ミアはイジーの話を真剣に聞いてくれ、的確なアドバイスもしてくれた。いつの間にか、学校が終わると、イジーは家に帰る代わりにミアのアパートに直行、ミアの作品制作を手伝うという名目でまとわりついていた。自分は、本当はミアの子供ではないかと想像することはイジーにとって楽しいことだった。ミアが夕食を作るためにリチャードソン家に行く時、しぶしぶ一緒にVW Rabbitに乗って家に帰った。ミアが夕食の準備を終えて自分のアパートに戻る時は、今度はパールがミアと一緒に帰るという生活パターンになっていった。

産みの母と育ての親

ミアとミセス・リチャードソンの関係にほころびが出てきたのは、ミセス・リチャードソンの高校時代からの親友のリンダ・マカローが、消防署の前に捨てられていた赤ん坊をソーシャルワーカーから託され、養子にする手続きをしていることをミアが知った時だった。マカロー夫妻は子供ができず長い間養子を欲しがっていたので、この赤ん坊にミラベルという名前を付け本当の子供のようにかわいがっていた。養子にするための法的手続きもほとんど終わっていた。そんな時、この赤ん坊のことを、リチャードソン家の姉娘のレクシーから聞いたミアは、この赤ん坊は自分がアルバイトをしている中華料理店で働いている中国人のビビ・チョウの赤ん坊だと確信した。ビビはサンフランシスコで歯科医院の受付として働いていたが、ボーイフレンドがもっと良い職があると言うのでクリーブランドに一緒に来た。しかし、サンフランシスコと違い、中国語を活かして働く職場はほとんどなく、英語がまだ十分に話せないビビは最低賃金の職にしかつけなかった。そんな中で妊娠、ボーイフレンドに話すと、彼は何も言わずに中国に帰ってしまった。残されたビビは赤ん坊を生んでからは職場もクビになってしまった。彼女は赤ん坊をメイ・リンと名付け、わずかな貯えで生活をしていたが、真冬に栄養失調でお乳が出なくなった時、思い余って消防署の玄関の前にメイ・リンを置いてその場を去ったのだった。赤ん坊はすぐに消防署員によって発見され、ソーシャルワーカーがリンダ・マカローに託した。一方、ビビのほうはその数日後、公園のベンチの下に倒れているのを警察官によって発見され、ホームレスのためのシェルターに収容された。そして、体力が回復すると、今の中華料理店の仕事を紹介された。元気になったビビは必死にメイ・リンを探したが、消防署の前に置いたことは覚えていたものの、どこの消防署か全く覚えていなかったので、消息はわからずじまいになっていた。ミアは、いつもは他人のことに首を突っ込まない主義なのだが、産みの母が子供に会いたがっているのに、それを無視することができず、ビビにマカロー夫妻のことを話した。

そしてメイ・リン/ミラベルをめぐって、産みの母(ビビ・チョウ)と育ての親(マカロー夫妻)の間で親権をめぐる壮絶な争いが起こった。最初は、子供を捨てておいていまさら産みの親だと言われても、という感じで、マカロー夫妻側に有利のように見えた。しかし、中国系の腕利きの弁護士がビビにつき、白人であるマカロー夫妻がメイ・リンに祖先から受け継がれた中国の文化的なことを教えられるのか? 中国系の子供なのだから自分のルーツに関して知る権利があるのではないか? といった疑問を投げかけ、事態は単なる親権をめぐる争いを超え、人種・文化をめぐる論争にもなってきた。新聞やテレビなどのメディアもこの件を毎日大きく取り上げた。シェイカー・ハイツの住民たちの意見も真っ二つに割れた。リンダ・マカローが親友ということもあり、ミセス・リチャードソンは最初からマカロー夫妻に親権があるべきという立場だった。そして、弁護士であるミスター・リチャードソンが正式にマカロー夫妻側の弁護士になってからは、その立場を強めていった(そして、この親権問題は最後に意外な結末を迎えたのだった)。

ミアの謎の過去

赤ん坊の親権問題が起こる少し前、パールとムーディは課外授業で美術館見学に行った。ガイドコースを外れ、「聖母と子」というテーマの小さな特別展を覗いたパールとムーディは展示の作品の1つである、ポストモダニズムの写真のコラージュに写っている母と赤ん坊の写真の母親が、ミアであることに気付き驚愕した。翌日もう一度見に行くというパールにムーディ、レクシー、そしてイジーも加わり、4人は美術館に出かけた。そして写真に写っているのは若い時のミアであることに間違いないと確信した。リチャードソン家に戻った4人は台所で夕食の支度をしているミアに写真のことを聞いた。少し動揺した様子を見せたものの、ミアは若いころ色々なアルバイトをしたので、写真のモデルもしたかもしれないがよく覚えていないと答えた。レクシーはミアの説明に納得したが、母の心の動揺を感じ取ったパールは、母の過去をリチャードソンの子供たちと共有すべきでなかったと後悔した。一方、イジーはというと、ミアの説明に全然納得できず、慕っているミアの過去の真相を知りたいと思った。コラージュの制作者は有名な女流写真家の故ポーリン・ホーソンだった。イジーはネットでホーソンのことを調べることはできたが、それ以上、写真家とミアのつながりに関しては皆目見当もつかなかった。どうしたものかと思いあぐねて、少なくともジャーナリストである母のミセス・リチャードソンならもっとリサーチできるのではないかと母に相談した。

イジーの話は、ミセス・リチャードソンの興味を引いた。常識的、計画的、ルール重視のミセス・リチャードソンにとってミアは全く異質の人間だった。自分のことをほとんど話さないミアは、いったいどんな過去を持っているのか調べてみたい気になった。展示作品は、ロサンゼルスの画廊からの貸し出しだった。そして画廊がニューヨークのディーラーからこの作品を買ったことが分かった。しかしNYのディーラーに問い合わせると、元の持ち主など詳細は明かすことはできないと言われ、リサーチは行き詰っていた。

そうこうするうちに、メイ・リン/ミラベルの親権騒動が起きた。そしてメイ・リンの母親のビビにマカロー家の赤ん坊ミラベルのことを知らせたのはミアであることを知った時、ミセス・リチャードソンはミアに深い憤りを感じた。そして人に言えないことがあるに違いないミアの過去を絶対に暴こうと決意したのだった。

そして次第に明らかになったミアの過去。

●ポーリン・ホーソンの愛弟子だった才能豊かなミア
□ ●ニューヨークの芸術専門学校の学費を稼ぐために《代理母》になることを承知したミア
□ ●家族でただ1人、芸術を目指すミアを理解し、《代理母》になったミアの身を案じていた弟のウォーレンの自動車事故死
□ ●母性に目覚め、《代理母》を依頼したニューヨークのライアン夫妻から身を隠したミア
□ ●サンフランシスコでパールを出産したミア
□ ●ポーリン・ホーソンの不治の病を知らされ、ニューヨークで最後にポーリンと会ったミア。その時ポーリンは病を押してミアと乳児だったパールの写真を撮り、それをもとにコラージュを制作した。この作品を含むポーリンの10点の作品は、彼女の死後ミアに(生活に困ったときは、売却するようにというメモとともに)遺贈された
□ ●ライアン夫妻はいまだにミアと交わした《代理母》の契約書の無効化を行っていないので、パールの親権を主張できる立場にあること

小さな火種があちこちに(Little fires everywhere)

今までの人生でミセス・リチャードソンは、情熱は火種のように危険なものだということを学んできた。火種のうちに消し止めておかなければ、手の付けられない大火になってしまう。ミセス・リチャードソンは一時の情熱に身を任せることなく、計画的に人生を歩んで今の幸福な生活を手に入れた。ミアの過去を知ったミセス・リチャードソンは、深く考えもせず行動を起こし、あちこちで火花を散らしてきたミアに対し、苛立ちの気持ちを抑えることができなかった。しかし、それはミアに対する苛立ちであるとともに、根底では平穏で幸福であるはずの自分に対する苛立ちでもあった。末っ子のイジーを激しく叱るのも、彼女の中に《情熱に突き動かされている自分の姿》を見るからだった。ミアが現れてから平穏で幸福なミセス・リチャードソンの生活な中に様々な火種や火花が現れ始めていた。そして、それがいつか制御できなくなるのではないかという思いがミセス・リチャードソンを不安にさせていた。

そして、ある朝ミセス・リチャードソンは意を決してミアと対峙した。ミアに過去のすべてを知っていることを告げ、即刻シェイカー・ハイツから出ていかなければ、ニューヨークのライアン夫妻にミアとパールがここにいることを知らせると告げた。その日の夜、ミアとパールは身の回りの物をまとめてVW Rabbitに積み込み、行く先を告げずシェイカー・ハイツを去った。そして次の日の昼過ぎ、リチャードソンの家は炎に包まれた。

リチャードソン家の皆が燃えている家を呆然と眺めているころ、煙臭い髪の毛のイジーは長距離バスに乗った。何が何でも慕っているミアを探し出そうという覚悟だった。

そして、ミセス・リチャードソンは、自分と正反対であり、しかしながら自分がずっと昔に失ってしまった《火花》をしっかり受け継いでいる末娘のイジーを一生かかってでも探し出す固い決心をしたのだった。

[5]https://www.goodreads.com/choiceawards/best-fiction-books-2017
[6]米国の小出版社の刊行物の中から優れた短編小説・詩・批評に対して毎年与えられる賞;受賞作品は The Pushcart Press から出版される。

佐藤則男のプロフィール

早稲田大学卒。米コロンビア大学経営大学院卒(MBA取得)。1971年、朝日新聞英字紙Asahi Evening News入社。その後、TDK本社およびニューヨーク勤務。1983年、国際連合予算局に勤務し、のちに国連事務総長となるコフィ・アナン氏の下で働く。 1985年、ニューヨーク州法人Strategic Planners International, Inc.を設立し、日米企業の国際ビジネス・コンサルティングを長く手掛ける。この間もジャーナリズム活動を続け、ヘンリー・キッシンジャー元国務長官、ズビグニュー・ブレジンスキー元大統領補佐官らと親交を結ぶ。『文藝春秋』『SAPIO』などに寄稿し、9.11テロ、イラク戦争ほかアメリカ情勢、世界情勢をリポート。著書に『ニューヨークからのメール』『なぜヒラリー・クリントンを大統領にしないのか?』など。 佐藤則男ブログ、「New Yorkからの緊急リポート」もチェック!

初出:P+D MAGAZINE(2018/01/15)

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