【先取りベストセラーランキング】幽霊が出るという噂の邸宅で、子供が謎の死。犯人は保育士か、それとも…… ブックレビューfromNY<第46回>

子供の殺人容疑で勾留中の保育士(ナニー)からの手紙

この小説“The Turn of the Key”は、全編が、殺人容疑で勾留中の元ナニー[2]、ローワン・ケインから弁護士にあてた長い手紙と、それぞれ別の人物によって書かれた3通の短い手紙で成り立っている。読者はこの元ナニーの手紙の中での独白から、ロンドンの保育園で保育士として働いていた彼女が、スコットランドの人里離れた邸宅に住む4人の子供を持つ夫婦に住み込みのナニーとして雇われることになった経緯を知る。そして彼女は手紙の中で、ナニーとしての苦闘の日々を連綿と述べている。

彼女は、エリンコート夫妻が住み込みのナニーを募集していることを、インターネット広告で知った。格段に高額な報酬ということもあり、ちょうど働いていた保育園で期待していた昇進ができなかったこともあって、これに応募し、面接のためにロンドンからスコットランドに出かけた。ミセス・エリンコート(サンドラ)は、応募してきたローワン・ケインの保育士としての完璧ともいえる履歴書に非常に満足した。エリンコート家では過去14カ月の間に4人のナニーが採用されては辞めていったという。「いったいなぜ?」というローワンの問いに、サンドラは、この古い邸宅には幽霊が出るという噂があり、そのためナニーが定着しないと説明した。幽霊が出てもおかしくないほどに古い邸宅だが、この家を最近買った建築家であるエリンコート夫妻によって、内部は完全にコンピュータ・システム化されていた。正面のドアには鍵穴はなく、セキュリティー・システムによって、ドアの開け閉めは完全に制御され、窓、カーテン、室内照明などもすべてコンピュータ制御されていた。建物の正面の部分は古い建築がそのまま保存されていたが、広いダイニングキッチン、メディア・ルームなど家の半分は天井も含めすべてガラス張りで超モダンな造りになっていた。

面接から3週間後には、ローワンは住み込みナニーとしてエリンコート家で働き始めた。彼女は幽霊など全く信じなかったが、住み込み始めた最初の夜から、誰かが歩く足音が聞こえたり、閉めてあったはずの自分のベッドルームの窓が開いていたり、ナイトテーブルに置いたはずのペンダントが行方不明になったりと、細かい奇妙な出来事に遭遇した。建築事務所のパートナー同士でもあるエリンコート夫妻が、次の日から仕事で家を数週間留守にすることになり、その間、着任早々のローワンは1人で14歳、8歳、5歳、18カ月のこどもの世話をする羽目になることを知った。昼間は通いの家政婦のジーンと、運転手兼何でも屋のジャックがいるが、夜になるとジーンは家に帰り、ジャックも邸宅とは離れた場所にあるガレージの2階の自分の部屋に戻るので、次の日の朝まではローワンが唯一の大人として、4人の子供たちに対し全責任を負うことになる。この家の最新のホーム・コンピュータ・システムになじみのないローワンは、カーテンの開け閉めやシャワーの温度調節、自室の照明をつけたり消したりすることにさえ、試行錯誤を繰り返した。4人の子供たちに関して言えば、18カ月のペトラ以外は、来たばかりのナニーに素直に心を開いたりはしなかった。

昼間、反抗的な子供たちに手を焼きへとへとになったローワンは、夜になると、奇妙な足音だけでなく、深夜、音響システムから突然邸宅内に大音響が鳴り響いたり、だれも訪問者がいないのに玄関のチャイムが鳴ったり、消えていた照明が突然ついたり、と様々な気味の悪い出来事に遭遇し、眠れぬ夜を過ごす毎日だった。

「完璧なナニー」の真実の姿

履歴書によれば、理性的で責任感があり、管理能力のある保育のプロ、つまり「完璧なナニー」のはずだったローワンだが、弁護士にあてた手紙から浮かび上がってくる姿はそれとは程遠く、責任感はあるものの理性的とはとても言えない、4人の子供に振り回されて感情的、情緒的になっている未熟なナニーの姿だった。彼女のあまりにも感情的で、論理的ではない記述を読むにつけ、読者はこの元ナニーの言っていることをどこまで信じてよいのか疑問に思えてくる。

そして次第に、この「完璧なナニー」の履歴書とは裏腹の実像が見えてくる。

ある日、すべてに疲れたローワンが、ワインを飲んでジャックの部屋に行っている間に、エリンコート家の次女のマディが邸宅2階の窓から落ちて死んだ。そしてローワンは殺人容疑で逮捕された。

●この邸宅にまつわる不気味な出来事は果たして幽霊の仕業だったのか?
●ローワンの真実の姿とは? 彼女はいったい誰?
●彼女は、果たして本当にマディを殺した犯人?
●彼女は殺人犯として有罪になったのか、無罪だったのか?

読み終わった後も、残念ながら読者のさまざまな疑問がすべて解けるわけではない。「曖昧さ」が後を引く結末になっている。

アガサ・クリスティに触発されて

この小説の作者、ルース・ウェアは、1977年生まれのイギリス人のサスペンス・ミステリー作家。2015年の“In a Dark, Dark Wood”、2016年の“The Woman in Cabin 10” はニューヨーク・タイムズのベストセラートップ10にランクされた。彼女のこれまで出版されたミステリーに関しては、しばしばアガサ・クリスティの影響が指摘される[3]。事実、「クリスティに触発されて…」というタイトルのオンライン記事[4]の中で、ウェアは子供の頃からクリスティの小説が好きで、いかに彼女の小説に触発され、影響を受けたかを述べている。

最新作の“The Turn of the Key”に関して言えば、19世紀から20世紀初頭の小説家ヘンリー・ジェイムズのサスペンス『ねじの回転』(“The Turn of the Screw” )の現代版と言えるだろう。幽霊が出ると言われている人里離れた古い家に雇われた住み込みの家庭教師が2人の子供の面倒を見るが、ある日、子供の1人が死んでしまうというジェームズの作品と、このルース・ウェアの最新作は、よく似た舞台設定となっている。幽霊は本当にいたのか、家庭教師の幻想だったのか、いかようにも解釈できる「曖昧さ」が際立つジェイムズの作品の特徴も、ウェアの最新作に受け継がれている。

元ナニーのパラノイア的独白の中で、徐々に透けて見えてくる彼女自身の実像のように、最後に読者に突きつけられる真実もあるが、半面、たくさんの疑問に対する答えは無いまま、この小説は終わる。特に、元ナニーの手紙の後に掲載されている3通の手紙は、読者のいくつかの疑問に対する答えになる一方で、「果たして彼女はすでに裁判を受けたのだろうか? もしそうだとしたら判決は有罪だったのか、無罪だったのか?」という別の大きな疑問を抱かせて、読者を突き放す内容にもなっている。読者はこの小説を読んだ後も、持って行き場のない宙ぶらりんな気持ちを持て余すことになるだろう。

[2]Nanny(個人に雇われた住み込みの保育士、住み込みでない場合もある)
[3]https://www.deadgoodbooks.co.uk/ruth-ware-agatha-christie/
[4]“Inspired by Christies…” https://ruthware.com/inspired-by-christie/

佐藤則男のプロフィール

早稲田大学卒。米コロンビア大学経営大学院卒(MBA取得)。1971年、朝日新聞英字紙Asahi Evening News入社。その後、TDK本社およびニューヨーク勤務。1983年、国際連合予算局に勤務し、のちに国連事務総長となるコフィ・アナン氏の下で働く。 1985年、ニューヨーク州法人Strategic Planners International, Inc.を設立し、日米企業の国際ビジネス・コンサルティングを長く手掛ける。この間もジャーナリズム活動を続け、ヘンリー・キッシンジャー元国務長官、ズビグニュー・ブレジンスキー元大統領補佐官らと親交を結ぶ。『文藝春秋』『SAPIO』などに寄稿し、9.11テロ、イラク戦争ほかアメリカ情勢、世界情勢をリポート。著書に『ニューヨークからのメール』『なぜヒラリー・クリントンを大統領にしないのか?』など。 佐藤則男ブログ、「New Yorkからの緊急リポート」もチェック!

初出:P+D MAGAZINE(2019/09/16)

【著者インタビュー】瀬尾まいこ『傑作はまだ』/血がつながっていても家族じゃなかった父と子の、心温まる再生物語
群ようこ『この先には、何がある?』/超売れっ子作家になっても「普通の人」