【先取りベストセラーランキング】現代のターザンが大統領候補者の醜聞をめぐる事件を追う! ブックレビューfromNY<第54回>

小さなターザン

この小説は、1986年4月18日付のニュージャージー州のローカル紙が掲載した、「森に放置されていた〈野生の男の子〉発見」という見出しの記事で始まる。推定年齢6-8歳のこの男の子はニュージャージー州北東部のラマポ山岳地帯[2]をハイキングしていた夫婦によって発見され、パークレンジャーと地元警察によって保護された。ボロボロの衣服を着た男の子は、言葉を話すことも理解することもできたが、自分の名前や、親や家族に関する記憶は一切なかった。警察はこの子供に該当する捜索願いの有無などを調べているが、今のところ、この「小さなターザン」に関する手がかりは一切ない、という記事だった。

そして34年後の2020年4月、ラマポ山岳地帯に隣接する町ウェストビルの女子高校生ナオミ・パインが行方不明になった。ナオミが高校でいじめにあっていたことに心を痛めた同級生マシューは、祖母へスター・クリムスティンにナオミを探してほしいと相談した。へスターはネットワークテレビで毎週、犯罪に関するインタビュー番組を持つほどの著名な弁護士だ。10年前、最愛の息子ディビッドを交通事故で亡くして以来、ディビッドの一人息子マシューのことはいつも気にかけていた。ヘスターは、ディビッドの親友だったワイルドに、ナオミを探すことを頼んだ。このワイルドこそが、34年前の「小さなターザン」なのだ。

34年前、警察や当局の努力の甲斐なく、結局この男の子の身元はわからず、ワイルド(Wilde)と呼ばれるようになった。保護されるまで、どのくらいの間、森林の中にいたのか本人も警察もよくわからなかったが、その期間、ウェストビルの住宅地に夜間になると出てきて、空き家や留守の家に入り込み、食べ物を探して食べるだけでなく、テレビを見たり、本や雑誌を読んだりしたとワイルドは警察官に語った。以前の記憶はすべて失っていたにもかかわらず、言葉に関しては、幼いながらすでに読み書きもよくできた。ワイルドは里親に預けられて地元の学校に通った。運動神経は抜群に良く、成績も常にトップクラスだったが、人と交わることがあまりなく、静かな少年だった。ヘスターの三男ディビッドとは同級生で、彼とだけはずっと親友だった。高校を卒業すると、ワイルドはウェストポイント(陸軍士官学校)に入学した。優秀な成績で卒業した後は、軍の特殊任務に就き、除隊後はウェストビルに戻ってきた。ワイルドと同じ家の里子だったローラは、大学卒業後FBIで働いていたが、ワイルドが地元に戻ってくると、彼女もFBIを辞め、ワイルドに共同で私立探偵事務所設立を持ちかけた。というわけで、ワイルドは今でもローラの設立した探偵事務所の共同経営者だが、日常業務はすべてローラに任せている。町の中に住むより気楽だということで、ラマポの森林の中、太陽光と風力でエネルギーの自給自足ができ、生活用水を雨水で賄える卵形のコンパクトなスマートハウスEcocapsule[3]に住んでいる。

結局ワイルドは、自宅の地下室に隠れていたナオミを発見した。行方不明はナオミの自作自演とわかった。

消息不明になった2人目の高校生

高校でナオミをいじめていたのはクラッシュ・メイナードとその取り巻き連中だった。クラッシュは有名なテレビプロデューサー、ダッシュ・メイナードの一人息子で、ナオミに同情的なマシューに対しても悪意を持っていた。高校に戻ったナオミに対するクラッシュ達のいじめはエスカレートした……。 そして1週間後、ナオミは再び姿を消した。

1度目のナオミの失踪に関しては、父親のバーナード・パインはナオミの自作自演に関与していたが、2度目については、その父親からワイルドに捜索依頼があった。今度のナオミの失踪に関しては、ワイルドは、クラッシュが何か知っているか、関与をしているのではないかと疑った。ワイルドはかなり荒っぽくクラッシュを問い詰めたりもしたが、クラッシュは何も知らないと言い張った。

ところが、そのクラッシュも突然行方不明になった。 

大統領候補者の不祥事を録画したテープ

ヘスター・クリムスティンは毎週、自身のテレビ番組で犯罪告発者のインタビューを行っている。今回のゲスト、政治活動家・弁護士のソール・ストラウスは、2020年米国大統領選挙の候補者ラスティ・エガーズの過去の不祥事を記録したテープを隠匿しているテレビプロデューサーのダッシュ・メイナードを告発しようとしていた。ダッシュはラスティが司会を務める人気テレビ番組のプロデューサーで、元々ドキュメンタリーフィルムの制作者だった。過去の録画をすべて保管していて、その中に、ラスティの過去の犯罪に関連する不祥事を証明する録画テープがあると主張した。そして、そのような危険人物であるラスティを大統領にしないためにも、ダッシュはその動画を公開すべきであると訴えた。どのような不祥事なのか? というヘスターの質問に対してソールは、詳細はわからないが、テープが存在することだけは確かだと断言した。

クラッシュ・メイナードが消息を絶った後、ダッシュ・メイナードのスマホに、FBIなど当局に知らせればクラッシュの命はないという脅しとともに、息子を助けたければ、大統領候補者ラスティ・エガーズの不祥事の証拠動画を指定のコンピューターサイトに送るようにという指示が届いた。ダッシュと妻のデリアは、ヘスター・クリムスティンに相談し、ヘスターは、ワイルドとローラの探偵事務所に捜査を要請した。

大統領候補者に決定的ダメージを与えるような動画は実在するのか? というヘスターの問いに、ダッシュ・メイナードは、そんなものはないと完全否定した。しかし、ラスティの不適切な行為を記録したテープなら存在するということで、犯人が指定した時間に、ダッシュはその動画を指定のウェブサイトにアップした。そして次の日、犯人がクラッシュを引き渡すと知らせてきた場所にワイルドが到着すると、そこには小さなアイスボックスが置かれているだけだった。中には、切り取られたクラッシュの指が、髑髏をかたどった彼のお気に入りの指輪とともに入っていた。ダッシュのスマホには、「30分以内に要求した動画」を送ってこなければ指だけではすまない、という最後通告が送られてきた。……そして、ダッシュは「その動画」を送った。……ほどなくして「その動画」はすべての主要ネットワーク・メディアを通じて放映された。

⚫︎ 大統領候補者に決定的ダメージを与える動画の内容とは、果たしてどんなものだったのだろうか?
⚫︎ この動画に関連して、最後の最後に明らかになるダッシュの妻デリア・メイナードの、決して公にはできない過去の秘密とは?
⚫︎ クラッシュを誘拐したのは誰?
⚫︎ ナオミとクラッシュの失踪は関係があったのか、なかったのか? 最終的に2人とも無事だったのか?
⚫︎ ナオミはいじめの負の連鎖から逃れ、心機一転、新しい第一歩を踏み出せただろうか?

ところで、ダッシュ・メイナードが誘拐犯の要求に対し、最初に送ったラスティ・エガーズの不適切な行為の動画もただちに主要ネットワークで放映された。内容は、ラスティが司会をしているテレビ番組にゲスト出演した若い女優が、ラスティからセクハラを受けているように見えるものだった。この動画をテレビで見たラスティは、動揺することもなく、すぐ側近に、主要メディア・ネットワークだけでなくソーシャルメディアの世論操作を命じた。この女優の年齢が録画当時17歳だったので、合意に基づく性的関係の持てる年齢が16歳以下の州で録画されたことにするなど、次々と具体的な対策を命じた。今の時代、大統領候補者はセクハラ疑惑ぐらいではその地位は揺るぎもしないという現実を風刺しているようにも読める。現在、民主党の大統領候補バイデン氏にも27年前に遡るセクハラの訴えが出ているが、たしかに彼の大統領候補としての地位は盤石だ。

2人の高校生の失踪も、動画をめぐる誘拐事件とそれにまつわる様々な謎も最後にはすべて解決する。しかし、読者にとっても主人公のワイルドにとっても最後まで解けない謎は残る。そもそも、幼かったワイルドはなぜ、どのような経緯で森の中にいたのか? 大人になっても、ワイルドは同じ悪夢に繰り返しうなされている……。暗い家、マホガニーの床、赤い手すり、口ひげを生やした男の肖像画、そして悲鳴を上げる自分……。 書籍情報専門のウェブサイトGoodreads には、ワイルドの失われた過去が明らかになる続編を期待する読者の声が寄せられている。

著者について[4]

ハーラン・コーベンは1962年1月4日、ニュージャージー州ニューアーク生まれのアメリカ人。推理小説作家。この最新作を含め31の小説を発表し、世界中で43カ国語に翻訳され、7000万部以上出版されている。マイロン・ボライターを主人公にしたシリーズを含め、主な小説(特に初期作品)は日本語にも翻訳されている。ボライター・シリーズの『沈黙のメッセージ』(Deal Breaker)は1996年にアンソニー賞[5]、『カムバック・ヒーロー』(Fade Away)は1997年にエドガー賞[6]とシェイマス賞[7]を受賞している。コーベンはまた、Netflix[8]のドラマプロデューサーでもあり、2015年出版の自身の小説“The Stranger”を原作にした同名のシリーズを含め、数々の作品を制作している。2001年の小説『唇を閉ざせ』(Tell No One)は、2006年ギヨーム・カネ監督による同名(Ne le dis a personne)のフランス映画になり大ヒット、セザール賞(フランスの映画賞)で監督賞や主演男優賞を含む4部門の受賞を果たした[9]

[2]ニュージャージー州北東部とニューヨーク南東部に位置するアパラチア山脈の中の山岳森林地帯
[3]屋根部分のソーラーパネルで太陽光発電が可能なだけでなく、風車による風力発電も実現。両者を組み合わせ、エネルギー効率を最大限に高めることで、室内で使用する電力全てを賄うスマートハウス。開発者はスロバキアに拠点を置くデザインスタジオNice Architects(ナイス アーキテクツ)。エコカプセルの外寸は、全長4.45m×全幅2.55m×高さ2.25m。収納式の風車まで入れても全高4.5mという非常にコンパクト。雨水を集めてろ過し、再利用するフィルターも装備。
[4] https://www.harlancoben.com/bio/; https://en.wikipedia.org/wiki/Harlan_Coben
[5]アメリカ探偵作家クラブ(The Mystery Writers of America)の創設者のひとり、アンソニー・バウチャーにちなんで名付けられた、推理小説作家に贈られる文学賞。1986年に始まった。
[6]アメリカ探偵作家クラブが主催する文学賞。前年にアメリカで発表されたミステリー分野の作品から選ばれる。
[7]アメリカ私立探偵作家クラブ(Private Eye Writers of America)が1982年より主催する私立探偵小説を対象とした文学賞。
[8]アメリカ合衆国のメディアサービスプロバイダ及びプロダクション会社。アメリカ合衆国の主要なIT企業。2020年4月の時点で契約者数は世界で1億8200万人。(https://en.wikipedia.org/wiki/Netflix
[9]https://en.wikipedia.org/wiki/Tell_No_One

佐藤則男のプロフィール

早稲田大学卒。米コロンビア大学経営大学院卒(MBA取得)。1971年、朝日新聞英字紙Asahi Evening News入社。その後、TDK本社およびニューヨーク勤務。1983年、国際連合予算局に勤務し、のちに国連事務総長となるコフィ・アナン氏の下で働く。 1985年、ニューヨーク州法人Strategic Planners International, Inc.を設立し、日米企業の国際ビジネス・コンサルティングを長く手掛ける。この間もジャーナリズム活動を続け、ヘンリー・キッシンジャー元国務長官、ズビグニュー・ブレジンスキー元大統領補佐官らと親交を結ぶ。『文藝春秋』『SAPIO』などに寄稿し、9.11テロ、イラク戦争ほかアメリカ情勢、世界情勢をリポート。著書に『ニューヨークからのメール』『なぜヒラリー・クリントンを大統領にしないのか?』など。 佐藤則男ブログ、「New Yorkからの緊急リポート」もチェック!

初出:P+D MAGAZINE(2020/05/12)

原田隆之『痴漢外来――性犯罪と闘う科学』/性的依存症はどれほどキツいものなのか
◎編集者コラム◎ 『ボンベイ、マラバー・ヒルの未亡人たち』著/スジャータ・マッシー 訳/林 香織