こざわたまこ『教室のゴルディロックスゾーン』スピンオフ小説「ささやかな祈り」
***
あれは、わたしが小学三年生の時のことでした。当時のクラス担任は、女子からも男子からも人気のある、ベテランの女性教師。あの頃は随分大人に見えていたけれど、せいぜい小森先生くらいの年代だったかもしれません。とにかくやさしいと評判の先生でした。他の先生方とは違って、理由もなく子どもを怒鳴りつけたり、叩いたりするようなことはありませんでした。普段の成績や、運動の出来不出来で生徒を贔屓することもない(これは子ども達にとって、かなり重要な要素です)。わたしもその先生が大好きでした。以前日直を務めた時に、わたしの学級日誌を読んで、あなたは大人びた文章を書くね、と褒めてくれたことを覚えていたからです。
年間を通して、比較的仲のいいクラスではありましたが、クラスには一人だけ、問題児と言われている男の子がいました。彼は普段から周囲と揉め事ばかり起こしている、クラスのはみ出し者でした。言葉遣いが荒く、気に入らないことがあると、すぐ癇癪を起こして暴力に訴えようとする。その粗暴さから、女子からは蛇蝎の如く嫌われていましたし、男子達からは「話の通じないやつ」としてのけものにされていたようです。新学期早々教室の鼻つまみ者となった彼は、月日が経つごとに孤立を深め、一学期が終わる頃にはクラスの全員から距離を置かれるようになっていました。
先生は、いつもクラス内のトラブルの中心にいる彼に、非常に粘り強く向き合っていたように思います。一方的に叱りつけることも、ぞんざいに扱うようなこともしなかった。にもかかわらず、彼は先生を嫌っていました。いまや、彼をまともに相手にしてくれているのはクラスに――いえ、学校には先生以外一人だっていないにもかかわらず、です。自分の行為を窘められるたびに、ブスだの行き遅れだのと暴言を浴びせては、周囲から顰蹙を買っていました。
そんな中、わたしの友人が彼に腕を引っ掻かれる、という事件が起こりました。授業中に消しゴムを貸してくれと言われて、答えを渋ったことが原因でした。友人は、なにもただのいじわるで彼の頼みを断ったわけではありません。その頃すでに、彼に貸したものは二度と戻ってこない、というのがクラス内の共通認識となっていましたから。しかも、被害を受けたのはわたしの友人だけではありませんでした。買ってもらったばかりの文房具を勝手に使われて壊された生徒や、急に髪を引っ張られた生徒など、彼の行動は日に日にエスカレートしていました。そこでわたしは先生から彼にお灸を据えてもらうべく、クラスを代表して、職員室に直談判しに行ったのです。
『教室のゴルディロックスゾーン』
こざわたまこ
こざわたまこ
1986年福島県生まれ。専修大学文学部卒。2012年「僕の災い」で「女による女のためのR-18文学賞」読者賞を受賞。同作を収録した『負け逃げ』でデビュー。その他の著書に『仕事は2番』『君には、言えない』(文庫化にあたり『君に言えなかったこと』から改題)がある。