こざわたまこ『教室のゴルディロックスゾーン』スピンオフ小説「化け猫、かく語りき」
わたしはこの世に生を受けて九十年ほどの(化け猫としては)若輩者だが、齢五十を過ぎた辺りで、飼い主も番も二度と作らないことを決めた。どうせ誰も彼も、わたしより先に死んでしまうのだ。当たり前だが、長く生きていれば色んなことがある。一晩中ネオンサインの輝く夜の街に住み着いたこともあれば、何やらきな臭い香りのするヤクザ者の縄張りで一夜を過ごしたこともあるし、一年のほとんどを分厚い雲に覆われた港町に、ずるずると居着いてしまったこともある。食うものもままならず、飢えて泥水を啜ったこともあれば、あらぬ嫌疑をかけられて住処を追われたこともあるし、心ない輩から煙草の火を押し付けられたこともあった。そろそろひとつの土地に腰を落ち着けたい、と思ったことがまったくないとは言わない。しかし、結局その夢は叶わなかった。どうやらわたしには、根無草が性に合っているらしい。今となっては風の吹くまま、気の向くままに、その日暮らしを続けるだけの流浪の身の上である。
日本全国をふらふらと渡り歩いているうち、もう何年もご無沙汰していたはずのこの土地に顔を出してみようと思い立ったのは、虫の知らせか何かだろうか。ふらりとここに立ち寄ってみたところ、すっかり客層は入れ替わり、以前の番頭に代わって見知らぬ男が番頭を務めていた。それが寿郎というわけだ。ちなみに、ほんの数年前まで番台に立っていたのは寿郎の祖母、和代であった。早くに夫を亡くし、この銭湯を経営しながら息子四人を育て上げた、かなりの苦労人である。寿郎の顔をよく見てみると、八の字を描いた眉のあたりに、うっすらと祖母の面影を感じる。
和代は大の猫嫌いで、わたしの姿を見つけると、番台にぶら下げたハエ叩きを手に取り、問答無用で襲い掛かってきた。和代のハエ叩きはわたしを打つためだけに存在するわけではない。手癖の悪い近所の悪ガキどもに向かって、容赦なく振り下ろされることもあった。子ども相手に血も涙もない女である。しかし、奴も時の流れには逆らえなかったようだ。最近ここに出入りしている清掃業者と寿郎の立ち話によると、和代は少し前に自宅の風呂場で脳梗塞を起こし、さほど苦しむこともなくぽっくり逝ったらしい。人生のほとんどを夫の生家である風呂屋にささげ、死に場所も自分の家の風呂場を選んだ女。彼女の一生は、果たして幸せだったのか、不幸せだったのか。和代の心の内など知る由もないが、いやはや、人間というのは早死にが多くて困る。
一生現役を謳い、八十を過ぎても矍鑠としていた和代の突然の死を受けて、相模家はおおいに混乱したらしい。本来この銭湯を継いで然るべき息子達は、すでに方々で自身の家庭を築いており、実家を継ぐ気はさらさらなかった。そこで名乗りを挙げたのが、和代の長男の息子であり、孫の寿郎である。働き盛りの四十一歳が周囲の反対を押し切って、東京の大手建築会社を退職し、遠路はるばるここまで引っ越してきたと言うのだから、並々ならぬ決意があったことは間違いない。
『教室のゴルディロックスゾーン』
こざわたまこ
こざわたまこ
1986年福島県生まれ。専修大学文学部卒。2012年「僕の災い」で「女による女のためのR-18文学賞」読者賞を受賞。同作を収録した『負け逃げ』でデビュー。その他の著書に『仕事は2番』『君には、言えない』(文庫化にあたり『君に言えなかったこと』から改題)がある。