新刊『世界でいちばん弱い妖怪』収録▷「黄金人間」&表題作まるごとためし読み!
悪魔が人間の世界に遊びに来た。
黄金の身体を持った悪魔は、こう宣言した。
「人間どもよ、金が欲しいだろ? お前たちの中から欲の深い人間を何人か選んで黄金に変えてやるよ」
黄金の悪魔が手に触れるものすべてを黄金に変えて見せたので、人々は悪魔の言うことを信じた。
みんなは、欲の深い人間とは、金に汚い金持ちなのだろうと思った。
しかし、その予想ははずれた。
意外なことに、黄金に変わったのは、ほとんどが貧しい人たちだったのだ。
彼らの多くは、一つの家庭を率いる家長だった。自分が稼がなければ家族全員が飢え死にするかもしれないような。
人々は彼らを気の毒だと思った。彼らの家族は突然、家長を失ってわんわん泣いた。
だが、黄金になった彼らは、死んだのではなかった。
黄金になっても生きていた。
彫像のような黄金人間たちは、誰にも見られていない時、動くことができた。
黄金人間を部屋の中に置いて家族全員がいったん出ていってから戻ってみると、黄金人間の位置や姿勢が変わっていた。ペンで紙に字を書いた黄金人間もいた。
それで人々は、黄金人間が生きていると確信した。
黄金人間とその家族は、紙に字を書くことで気持ちを伝え合った。
無人にしてカメラで撮影しても、人に見られているのと同じように動けなかったから、最も原始的な筆談をするしかなかったのだ。
筆談ができるというだけで、家族は感謝した。黄金になってしまった父や母が生きているという実感を持てた。
だが、家族には大きな問題があった。
貧しさだ。
最初に述べたように、黄金になった人たちは、どうしてもお金が必要な家庭の家長だった。自分が頑張って家族全員を食べさせなければならない。
彼らの家族は病気や障害があったり、あまりにも幼かったり老人だったりして働けなかったので、家長が黄金人間になってしまった瞬間、家庭は貧しさに崩壊し始めた。
しかしすぐに解決策が見つかった。なんといっても、すぐそばに黄金があるではないか。
黄金人間たちは愛する家族にメッセージを残した。
「私の髪を切って売りなさい」
家族は家長の言葉に従った。
多くの黄金人間の髪が短くなり始めた。黄金人間の身体にあるすべての毛も、次第に消えていった。手足の爪も極端なまでに短くなった。
しかし、さらに時間が経過すると、彼らの家庭はまた貧しくなってきた。
その次に起きたことは、ひょっとすると、ごく自然なことだったのかもしれない。黄金人間たちは、また家族にメッセージを残した。
「私の肉を削って売りなさい」
それがなくなれば、もう元の人間に戻れなくなるような、取り返しのつかない部分にまで手がつけられ始めた。
初めは耳たぶ、続いて太もも、ふくらはぎ、尻、ひじ……。黄金人間たちは、だんだんやつれていった。
彼らはそうしてでも家族を救いたかった。黄金人間になったとはいえ、彼らは家長だったから。
ところが、一部の家族は少しずつ変わり始めた。黄金人間は普通の人間だった時よりも簡単に大金を稼いでくれたからだ。
最初は黄金人間のことを思って、できる限り節約しながらつつましく暮らしていた。だが、時間が経つにつれて考えが変わった。
これぐらい買ってもいいんじゃない? この程度のぜいたくは許されるんじゃないかな。俺たちもちょっとは高価な物を食べたっていいだろう。コンピューターが欲しい。スマホを新しいのに買い替えたいんだけど。車があればいいな。広い家に住んでみたい……。
彼らは黄金人間の身体から出る黄金が、ただで手に入るもののように思えてきた。あまりにも簡単にお金が手に入るので、彼らは浪費するようになった。
そんな家族の頼みを、黄金人間になった家長たちは一度も断らなかった。
黄金人間の身体は、ますますひどい状態になってきた。片方の手首から先がなくなった。片方の足首から先がなくなった。片方のひじから下が、片方のふくらはぎから下が消えた。
それでも黄金人間たちは何も言わなかった。彼らは家長だったから。
家族は、黄金人間が許可したという理由で自らを正当化した。
お父さんに腕なんか必要ないでしょ。腕は片方あればいいよ。
お父さんはもう歩くことはないんだ。片足だけあればいいだろ。
脚がなくても問題ないさ。横になっていればいいんだから。
そんなにしょっちゅう筆談しなくてもいいよね。片腕がなくなっても構わないよ。
上半身さえあれば、私たちは永遠にお父さんと一緒にいられるわ。
家族にとっては、むしろ好都合だったのかもしれない。黄金の父や母が永遠に死なないということは。
こうして貧乏から完全に抜け出した家族は、黄金人間の残った部分を、まるでトロフィーみたいに家の中に飾った。
勝手な考えだけれど、このままでも悪くはないと思った。死ぬまで黄金の父親、黄金の母親と一緒に暮らせばいい。貧しい生活を抜け出して幸せに暮らせるようになったのだから。
もう筆談もできないので確かめようもないけれど、黄金のお父さんやお母さんも満足だろうと思った。
黄金の悪魔が再び現れるまでは。
「よう、久しぶり! 黄金人間たちはどんなふうに過ごしているかな。ちょっと見てみよう。え? 何だ、こりゃ? 脚がない……、腕がない……、こいつは胴体すらない。うひゃっ!」
それに続く衝撃的な台詞を聞いて、黄金人間の家族たちは言葉を失った。
「お前たち、痛くないのか。うわあ! さぞかし痛いだろうに、どうやって我慢してたんだ?」
「……」
家族は、想像もしていなかった。黄金になった父や母が苦痛を感じていただなんて。
トロフィーみたいに飾ってあった父や母が、ずっと苦痛に耐えていたとは。
家族はただただ涙を流した。黄金の父や母を抱きしめ、我を忘れて泣いた。
しかし、ほんとうの悲劇は、まだこれからだった。
「かわいそうで見ていられない。みんな、元の人間に戻してやるよ!」
「……」
あちこちで、すさまじい光景が繰り広げられた。人間に戻ってしまったために、かえって多くの悲劇が起こった。
それでもその日、黄金人間だった人たちは、こんなことを言いながら死んでいった。
「私は大丈夫」
家族を養うために欲を出さなければならなかった、そのために黄金人間にならなければならなかった家長たちは、みんな似ていた。どういうわけか、みんな。
『世界でいちばん弱い妖怪』
著/キム・ドンシク 訳/吉川 凪
キム・ドンシク
1985年京畿道城南生まれ、釜山育ち。中学校を1年で辞め(後に検定試験を受けて高卒の資格を取得)、職を転々とした後、06年からソウルの鋳物工場で働く。16年から始めたネットサイトへの投稿がきっかけで注目を浴び、17年12月に超短編集『灰色人間』『世界でいちばん弱い妖怪』『十三日のキム・ナム』3冊が同時刊行。同シリーズは21年3月、全10巻が完結した。これまで実際に書いた作品は約900編にのぼる。
吉川 凪(よしかわ・なぎ)
大阪生まれ。仁荷大学国文科大学院で韓国近代文学専攻。文学博士。著書に『朝鮮最初のモダニスト鄭芝溶』『京城のダダ、東京のダダ──高漢容と仲間たち』、訳書としてチョン・セラン『アンダー・サンダー・テンダー』、チョン・ソヨン『となりのヨンヒさん』、崔仁勲『広場』、李清俊『うわさの壁』、キム・ヘスン『死の自叙伝』、朴景利『完全版 土地』などがある。金英夏『殺人者の記憶法』で第四回日本翻訳大賞受賞。