新刊『世界でいちばん弱い妖怪』収録▷「黄金人間」&表題作まるごとためし読み!

新刊『世界でいちばん弱い妖怪』収録▷「黄金人間」&表題作まるごとためし読み!

 

世界でいちばん弱い妖怪

 

 世界でいちばん弱い妖怪が現れた。

 その妖怪が世界でいちばん弱いということは、意外にも本人の口を通して明らかにされた。

「人間よ、ちょっと聞いて! 驚かないで! 攻撃しないで! ぼく、ほんとに弱いの。絶対に殴らないでね! ほんとに弱いんだから。本気で殴られたら、すぐ死んじゃう。殴らないで! 見た目は怖いけど、ぼく、歩くこともできないんだよ。ほら、手足も身体もないだろ? 子供だってぼくを殺せる。だから攻撃しないで! 殴らないで! ほんとに弱いんだから」

 ある日、登山道の横の空き地に忽然と現れたその妖怪の姿は、人々に悲鳴を上げさせるにじゅうぶんだった。

 遠目には真っ白なピラミッドのように見えた。ただ、それが呼吸するようにもぞもぞ動いているし、大きな目と鼻と口が一方の壁いっぱいに広がっていて気味悪かった。

 妖怪は高さ三メートルほどで、真ん中に目が一つだけあった。目頭と目尻が垂れていて情けない感じがする。目の上には眉がない代わりに、穴が三つの大きな鼻がひくひくしていた。

 壁の下のほうは、ほとんどが口で、実に圧巻だった。話すたびに見える歯はそれぞれ勝手な方向に突き出ていて狂暴な印象を与えたし、口の中で巻かれている長い舌には黒い突起物があり、それがむにょむにょ動いていた。

 人々は妖怪を見て悲鳴を上げ、大騒ぎしたけれど、妖怪は自分で言うとおり歩くことすらできないから、人間たちに向かってひたすら叫んだ。

「人間よ、驚かないで! ぼく、ほんとに弱いの。ねえ、話し合おう。怖がって、ぼくを殺したりしないでね! ぼく、ほんとにとっても弱いんだから。怖いのは、ぼくのほうだよ。驚かないで! ぼくはほんとに弱いんだ!」

 通報を受けて駆けつけた警官が、遠くから銃を構えた。

「ねえ待って! それ、銃だよね? 撃たないで! 一発で、ぼく死んじゃう。撃たないで、お願い! 殺さないで! 撃つな! ぼくはほんとに、世界でいちばん弱いんだってば。どうか殺さないで! 撃つな!」

 妖怪は、それでなくとも白い顔をいっそう白くして、ぶるぶる震えた。

 そのようすを見ていた人たちは、ちょっと落ち着きを取り戻した。

「人間よ! ぼく、弱すぎて、妖怪の世界から追放されたの。どうしてここに落ちたのか自分でもわかんないけど、ぼく死にたくない! ほんとに弱いんだよ。だからお願い、攻撃しないで! 殴るなって! ぼくは君たちよりはるかに弱いんだ。ほんとに弱いから、すぐ死んじゃうんだってば!」

 妖怪の言葉を裏づける事件が起きた。野次馬の中にいた子供が石を投げたのだ。

 ボコッ!

「あ! いたっ! ああっ! いたたたっ! 石を投げるなんて。あああ、死ぬう! いたーい! そんなことしちゃ、だめだよ」

 石が当たったところは、たちまち赤く腫れあがった。妖怪はひどく苦しんで、一つしかない目から涙を流している。

 それを見て、人々は冷静になった。

 妖怪はやがて落ち着き、群衆に向かって訴えた。

「ぼく、ほんとに弱いの。殺そうと思えば、子供だってぼくを殺せるんだ。お願いだから殴らないで! 殺さないで! ぼくたち、共存しようよ。ぼくは妖術を使えるんだ。君たちの役に立てる。だからどうか、殺さないで! 人間よ、ぼくと共存しよう」

 歩くこともできない妖怪は、言葉で人間を説得し続けた。その間に軍隊が出動して妖怪を包囲し、その都市の市長がとりあえず人間代表として妖怪と話し合うことになった。

 そしてテレビ局がその模様を全国に生中継した。

「うう……どうか銃なんか撃たないで……ぼく、一発で死んじゃうんだ……うう」

「お、お前はいったい何者だ」

「ぼくは妖怪だ。妖怪世界から追い出された妖怪! ぼくはあんまり弱すぎて追放されたんだ。人間より、はるかに弱いの。だから、頼む、殴らないで! ぼくほんとに、すぐ死んじゃうんだよ」

「それなら、何のためにここに来た?」

「来たんじゃなくて、ここに追放されたんだってば! ぼくはもう永遠にここで暮らさないといけないの。だから、どうか攻撃しないで! 殺さないで! 人間よ、共存しようよ」

「共存だと?」

「そう、共存! 君たちがぼくを生かしておいてくれるなら、ぼくも自分の妖術で人間を助けることができるよ」

「妖術?」

「そう、妖術! ぼく、人間を若返らせることができるの。八十歳の老人を二十歳の青年に戻せるんだ」

「何だって? 本当か? 信じられん!」

「ぼくを見なよ! 信じられないったって、こんな変な妖怪が実在してるじゃないか。ほんとだってば! ぼくが嘘をつく理由はないだろ」

「そ、そんなら私を若返らせてみなさい! そんなことができるのか?」

「もちろん! でも、その方法が、ちょっと……絶対に誤解しないでね」

「どういうことだ?」

 



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世界でいちばん弱い妖怪

『世界でいちばん弱い妖怪』
著/キム・ドンシク 訳/吉川 凪


 
キム・ドンシク
1985年京畿道城南生まれ、釜山育ち。中学校を1年で辞め(後に検定試験を受けて高卒の資格を取得)、職を転々とした後、06年からソウルの鋳物工場で働く。16年から始めたネットサイトへの投稿がきっかけで注目を浴び、17年12月に超短編集『灰色人間』『世界でいちばん弱い妖怪』『十三日のキム・ナム』3冊が同時刊行。同シリーズは21年3月、全10巻が完結した。これまで実際に書いた作品は約900編にのぼる。

 
吉川 凪(よしかわ・なぎ)
大阪生まれ。仁荷大学国文科大学院で韓国近代文学専攻。文学博士。著書に『朝鮮最初のモダニスト鄭芝溶』『京城のダダ、東京のダダ──高漢容と仲間たち』、訳書としてチョン・セラン『アンダー・サンダー・テンダー』、チョン・ソヨン『となりのヨンヒさん』、崔仁勲『広場』、李清俊『うわさの壁』、キム・ヘスン『死の自叙伝』、朴景利『完全版 土地』などがある。金英夏『殺人者の記憶法』で第四回日本翻訳大賞受賞。

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