こざわたまこ『教室のゴルディロックスゾーン』最初の1篇(+α)まるごとためし読み!

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「この前言った、さきちゃんに見せたいもののことなんだけど」

「……ああ。なんだっけ、それ」

 反応が返ってきたことがうれしくて、えっとね、と身を乗り出す。

「私ね、少し前に犬を見つけたんだ」

 さきちゃんが、犬、と私の言葉をなぞった。

「もう一ヶ月くらい前になるかな。ほら、昔よく遊びに行ってた河原があるでしょ。あそこをまっすぐ行った先に、大きな橋があったの覚えてる? あの下で見つけたの。多分、捨て犬じゃないかなあ、今時珍しいよね。名前はシロっていうんだ。毛が白いから、シロ。トトには笑われたけど」

 その日は、トトが珍しく自分から散歩に行こうとリードをくわえて私のもとにやってきた。四月も半ばを過ぎて、朝晩の寒さも少しずつ和らぎつつある日曜日の朝のことだった。このところ寝床にせっていることが多くなっていたから、一緒に散歩に行けるだけでうれしくて、久しぶりに河原まで足を延ばしてみたのだ。河川敷に並ぶ遅咲きの桜がぽつぽつと見ごろを迎え、いつもの散歩道をほんのりとピンク色に染め上げていた。

 シロを最初に見つけたのは、トトだった。生き物の気配がする、と言うのだ。トトの指示に従って橋のふもとまで歩いていくと、シロは草むらに捨てられた段ボールの下で、ぷるぷると体を震わせていた。白い毛並みが、ところどころ泥で汚れている。よく見ると体つきはふくよかで、人懐こい性格をしていた。飼い主に捨てられてから、あまり時間が経っていないのかもしれない。トトといる時の癖で、顎から首の回りへと指をわせ、わしわしと耳の後ろをでてやる。シロがうっとりと目を細め、もっと、というように目を輝かせた。

『……お前、これが好きなの?』

 トトと一緒だ。奇妙な偶然に、シロの顔をまじまじと見つめる。鼻筋の通ったシャープな顔立ちとくりくりとした瞳が、トトとよく似ていることに気づいた。何より耳だ。トトと同じく、耳が片方だけ倒れている。こんな偶然あるだろうか?

『それにしても、依子は相変わらずネーミングセンスがないな』

 トトはそう言って、あきれたように笑っていたけど。

「私ね、シロはやっぱりトトの生き別れの兄弟なんじゃないかと思ってるんだ。だって、あんなに似てるんだもん。さきちゃん、今度一緒に餌あげに行かない? そうだ、またピクニックに行こうよ。私とさきちゃんとトトと、シロの四人で。今度はお弁当とか、果物とか持ってさ。私、前よりちょっとだけ包丁が使えるようになったんだ。懐かしいね、あの時私達──」

 いつのまにか、一人で喋っている。気がつかないうちに、さきちゃんが険しい顔つきで私を見つめていた。

「依子さあ、それ、どっちの話?」

 え、と固まった私に、さきちゃんは何も言わなかった。短い沈黙の後、さきちゃんが口を開いた。

「……ていうか、依子って、前からそういう感じだっけ」

「え」

「だって、中学生にもなって犬がどうしたとか言ってる子、あたしの周りにあんまいないよ。そういうのってふつう、見つけたら保健所に知らせなきゃだし。大体、四人でピクニックなんて」

一瞬口にしかけたであろう言葉を、さきちゃんはなぜか直前で呑み込んだ。

「まあいいや。依子の勝手だし」

 さきちゃんはそう言って、またスマホの液晶画面に目を戻した。

 途中、おばさんが部屋に入って来た。食べやすいようカットされたパウンドケーキを二切れずつ、私とさきちゃんの皿に取り分けてくれた。さきちゃんは、えー、またそれ、と言って顔をしかめている。

「ママ、最近お菓子作ってばっかなんだよね。前は生花教室で、その前はパッチワーク」

 今度のはいつまでもつんだろ。さきちゃんはそうつぶやいて、目の前のケーキをフォークでつついた。どうしても食欲が湧かないらしい。食べてもいいよ、というので、ありがたくもう一切れもらうことにする。本当はお腹いっぱいだったけど、無理して口に放り込んだ。口いっぱいの小麦粉のかたまりを気合で咀嚼そしゃくする私を見つめながら、さきちゃんが、あーそうだ、と声を上げた。

「依子のクラスに、伊藤さんって子いるでしょ」

 そう言われてすぐに思い浮かんだのは、廊下ですれ違った時に見かけた伊藤さんの姿だった。細身でスタイルが良くて、確か陸上部に入っている伊藤さん。普段は濱中さん達と一緒に行動している。どちらかというと、派手めなグループにいる子だ。

「あの子、一年の途中で急に苗字みょうじ変わったよね」

 前は桐生きりゅうだったんだよ、確か。さきちゃんはそう言って、含みのある、意味ありげな笑みを浮かべてみせた。

「二年に上がる前くらいに変わったんだって。別のクラスだったから知らなかったけど」

 ぽかんと口を開けたままの私に、さきちゃんは、親が離婚したか、再婚したってこと、と続けた。それでようやく、さきちゃんが何を言いたいのかを察する。

「こんな中途半端な時期にかわいそうだよねー、親の都合で。せめて高校入るまで待てなかったのかな」

「振り回される子どもが馬鹿みたい」

「伊藤さんって、濱中さんとこのグループの子だっけ。なんか、納得」

 六畳ほどの洋室に、さきちゃんの声がよく響いた。続けてさきちゃんは、あたしあのグループ苦手なんだよね、と吐き捨てた。

「なんかいっつも廊下占領してるしさ。自分達が世界の中心って感じ。あたしああいうの、ほんとダメなんだよね」

 ねえ、依子はどう思う? 最後にそう聞かれなくて、ほっとした。多分私は、うんそうだね、とも、それは違うよ、とも言えなかっただろうから。私がその話題に興味を示さなかったことを、さきちゃんは不満に思ったのかもしれない。それ以上話は盛り上がらず、私はさきちゃんの家を後にすることになった。

「さきちゃん」

 玄関を出る直前、思い切って声を上げた。来週、また来てもいいかな。するとさきちゃんは即答で、あ、無理無理、と首を振った。

「来月のイベントの、準備あるから」

 耳慣れない単語に、イベントって、と聞いてみると、あれ、言ってなかったっけ、とさきちゃんが首をかしげた。そこで、初めて知った。クラスに、さきちゃんが今ハマっているアニメのオタク仲間がいたこと。新学期にたまたま席が隣になったというその子達は、中の人や原作の掲載誌まで追いかけている、ガチ勢だったこと。その内の一人(おのちん、とさきちゃんは呼んでいた)のお姉ちゃんが、レイヤー、らしいこと。そのお姉ちゃんの仲間が企画しているという、コス友同士の交流会があって、それをイベントと呼んでいること。

 そういうことを、さきちゃんは早口で、かつものすごい熱量で話し続けた。相槌あいづちを挟む間もない。最初から、私の反応なんて期待していなかったのかもしれない。私はさきちゃんが話している内容の、半分も理解できている気がしなかった。

 ひとしきり話すと、さきちゃんは気が済んだのか、ついでのように「だから、ごめんね。また今度」と言って手を合わせた。その「今度」がいつなのか、ここで話すつもりはないらしい。私はいまだに、自分が「依子も来る?」という一言を期待していたことに気づいて、それを恥じた。

「……じゃあさ、じゃあその、提案なんだけど。今度の月曜日、その、一緒に帰らない?」

 ほとんど台詞をじ込むみたいにして、なんとかそれを口にすることができた。さきちゃんの反応はない。少しの間が空いた後しばらくして、さきちゃんが、うんわかったー、と間延びした声で頷いた。え、と聞き返す間もなく、目の前の扉が閉まる。

 じゃあ、また。玄関のドアが閉まる直前、私が発したその言葉が、さきちゃんに届いていたかはわからない。

 

***

 

『この先に、さきの生体反応を感じる。間違いない』

「さきちゃんが、この建物の中にいるってことね」

 ようやくだ。数多あまたの苦難を乗り越え、やっとここまで来た。さきちゃんを取り戻すまで、あと一歩。しかし、トトの表情は依然として厳しい。

『……やっぱり、そうだ。こちらの行動パターンが読まれている』

 トトが、苦々しい顔でそうつぶやいた。

「私達の動きをリークしている、裏切り者がいるってこと?」

 私の言葉に、トトが頷く。

「それって、まさか──」

 口を開きかけた次の瞬間、目の前を真っ白な閃光せんこうが駆け抜け、意識がブラックアウトした。体が地面に打ちつけられ、その衝撃で我に返る。間一髪、一命は取り止めたものの、手足が動かない。立ち上がろうとすると、鋭い痛みが全身を貫いた。息が苦しい。建物に備え付けられた赤い警報器が、狂ったように点滅を繰り返している。


***



【6月28日発売!】

 

『教室のゴルディロックスゾーン』
こざわたまこ


こざわたまこ
1986年福島県生まれ。専修大学文学部卒。2012年「僕の災い」で「女による女のためのR-18文学賞」読者賞を受賞。同作を収録した『負け逃げ』でデビュー。その他の著書に『仕事は2番』『君には、言えない』(文庫化にあたり『君に言えなかったこと』から改題)がある。

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