「推してけ! 推してけ!」第52回 ◆『オリオンは静かに詠う』(村崎なぎこ・著)

「推してけ! 推してけ!」第52回 ◆『オリオンは静かに詠う』(村崎なぎこ・著)

評者=文学 YouTuber ベル 

音なき世界を紡ぐ星のかるた


「オリオン」と聞けば、夜空にきらめく星座を思い浮かべる人が多いだろう。だが私を含めた宇都宮市民にとって、「オリオン」は栃木県内最大の繁華街「オリオン通り」をも意味する。ひとつの言葉が星座と商店街という異なる情景を呼び起こす──まるで和歌における掛言葉のように多層的な響きを秘めている。『オリオンは静かに詠う』は、競技かるたを題材にした青春群像劇であり、そうした言葉とイメージの重なりを巧みに生かした一冊だ。

 舞台は、地方の寛ぎと都市の躍動が同居する宇都宮。この地に静かに佇む「アライン」は、おひとりさま専用カフェとして新たにオープンした。店を切り盛りするのは、競技かるたのA級公認読手であり、手話も堪能な陽子(通称ママン)だ。ここは多様な人々を受け入れ、地域コミュニティと伝統文化が交差する温かな「場」として描かれる。

 そんな「アライン」へ偶然足を運ぶことになったのが、本作の主人公・木花咲季(このはな さき)。聴覚障害を持つ女子高生だ。ろう学校で日常を過ごしてきた咲季にとって、音を前提とした社会で自分が活躍できる未来図は漠然としていた。しかし、ママンは咲季の優れた記憶力、負けず嫌いな性格を見抜き、聴者中心の大会で通用する力があると示唆するのである。この出会いをきっかけに、咲季は競技かるたの世界へ飛び込むことを決意する。

 競技かるたは、小倉百人一首を用いて一対一で札を取り合う頭脳スポーツだ。『ちはやふる』のヒットや本屋大賞受賞作『成瀬は天下を取りにいく』の主人公がかるた部で活躍するなど、その知名度と関心は確実に高まっている。本作は、その新たな注目領域である競技かるたを用いて、単なる「スポ根」や「恋愛青春譚」にとどまらない、より多面的な魅力を丁寧に描く。

 かるたクイーンを目指して情熱を注ぐ者、読手としての道を志す者、和歌の優美さに魅了される者、袴姿の凛々しさに心惹かれる者、試合観戦を好む者──。

 登場人物たちはそれぞれが思い思いの形でかるたと向き合い、自由な関わり方を楽しむ。かるたは人と人を結び付ける「場」や「架け橋」として機能しているのだ。この多様性こそ、本作が提示する最大の魅力である。勝ち負けやロマンスの装置としてではなく、文化と人間関係を紡ぐ「インターフェイス」として機能するかるた。その発想は読者の視野を広げ、百人一首という伝統的な文脈を、驚くほど柔軟で開放的なコミュニティへと構築してみせる。

 こうした多様性は、物語全体の構造にも表れている。語り手となるのは4人の女性──主人公で聴覚障害を持つ咲季、競技かるたの読手であるママン、その姪でありコーダ(ろう者の親をもつ聴者の子)として育った咲季のライバル・カナ、そして試合で手話通訳を務める担任教師・映美。それぞれが章ごとに自身の視点を差し出すことで、その背景や価値観が鮮やかに浮かび上がる。多彩な人生が、かるた大会という一点へと収斂し、まるで星座のような結び目を形成していくのだ。

 コーダやきょうだい児(障害のある子どもの兄弟姉妹として生きる中で、独自の課題や負担を抱える存在)といった社会的なテーマも自然に織り込まれており、属性をもとにした差別的な経験、思春期ゆえのすれ違いに胸を痛める場面もある。しかし、こうした悩める個々を包み込むのが、家でも学校でもない第三の居場所「アライン」なのだ。世代・立場を超えた絶対の安全地帯。彼女たちにとっては海のない栃木県にある唯一の「港」だろう。個人主義的な価値観が進む現代に希望がきらりと光るのだ。

 多くの要素が詰まった物語ではあるが、全てが混在するのではなく、むしろ一つの地平線上で調和しているように映る。そもそも宇都宮市は百人一首ゆかりの地であり、毎年かるたの大会が開催されている。作中にも出てくるが「同時にかるた遊びをした最多人数」というギネス世界記録まで樹立しているのだ。さらに、栃木県立聾学校の授業に百人一首が取り入れられており、地域性や現実味を下支えする確かな基盤がある。宇都宮を舞台に創作を重ねる栃木県在住作家だからこそ描き得た息遣いが、読者をフィクションと現実のあわいへと導く。

 雷都と呼ばれている夏の夕立、街の中心に鎮座する大きな神社、お城のない城址公園。そしてゆるやかでありながら互いを気遣える余裕を内包する時間の流れ。2年以上にわたり宇都宮に身を置く私にとって、本書はもはや「ご当地小説」を飛び越えて「地元小説」としての魅力を帯び始めていることも伝えておこう。宇都宮は餃子だけじゃない、その繊細で豊かな味わいが、この物語の端々に染み渡っている。

 4つの星が3つの星を静かに囲むオリオン座。季節の移ろいとともに姿を消し、再び浮かび上がるように、4人の物語も運命的に交差し、離れ、そして巡り戻る。太陽を浴びたキラキラした青春の裏で、咲季らが織りなす星々の軌跡。ぜひ、あなたの心で確かめてほしい。

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オリオンは静かに詠う

『オリオンは静かに詠う』
著/村崎なぎこ


文学 YouTuber ベル
YouTube で、読書の魅力を発信する動画クリエイター。「気軽に読書を楽しめる仲間を増やしたい」という思いで、日々の活動を行う。人気のジャンルは、書評動画。作家対談や本にまつわるあれこれの解説も行う。

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