『コンビニ人間』(芥川賞受賞作)はここがスゴイ!

2016年上半期の芥川賞受賞作は村田沙耶香さんの「コンビニ人間」に決定!皆さんは、候補作を全て読まれましたか?20代〜40代までの3人の読者による候補作のレビューを座談会形式でご紹介します!

2016年7月19日に発表された第155回芥川賞。村田沙耶香さんの「コンビニ人間」が見事受賞を果たしました。

19年の間、コンビニアルバイトを続けていた主人公・恵子の内面描写を通じて「一般社会」の不条理じみた同調圧力を浮き彫りにした今作ですが、作者の村田さんは現在も生活リズムを整えるためにコンビニバイトを続けているという、「異色」の作家。今後のさらなる活躍に注目が集まりますね!

さて、受賞作の発表を受けて改めて質問です。皆さんは、芥川賞の候補作のことをどのくらいチェックしていますか?

例えば漫才コンテストでは、1位に輝いたコンビよりも2位以下でインパクトを残したコンビが売れるようなケースが多々ありますが、文学賞はどうでしょうか?

芥川賞はせっかく世間の注目が集まる文学イベントでありながら、受賞作以外は見向きもされないというのは、あまりにももったいないことであるような気がします。

そこでP+D MAGAZINEでは、20代、30代、40代の本好きが「勝手に座談会」と銘打って、受賞作と他4つの候補作を一気にレビューしました!

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目次

1. 村田沙耶香「コンビニ人間」:〈檻の中〉をどう生き延びるか

2. 今村夏子「あひる」:さらっとクリアな口当たり、内容成分にご用心

3. 高橋弘希「短冊流し」:命と向き合う誠実さ、またはウェットな感傷

4. 山崎ナオコーラ「美しい距離」:安易なストーリー仕立てを拒否するということ

5. 崔 実「ジニのパズル」:個人、世界、革命

村田沙耶香「コンビニ人間」:〈檻の中〉をどう生き延びるか

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出典:http://www.amazon.co.jp/dp/B01EB0QJC2

【あらすじ】「コンビニ人間」として生まれ変わってから19年間、コンビニでアルバイトとして働き続けてきた主人公・恵子。異物を「正常化」する場所の一部であることに満足を感じつつ、家族や友人の詮索の目から逃れるために、恵子はコンビニをクビになった白羽さんとの歪な共同生活を始めるのだった……。

犬: 冒頭の数ページを読んだ瞬間に、「これは現代に甦った『檻の中』(ヘンリー・ジェイムズ作)だ!」って思いましたね。『檻の中』では、郵便局で電信技師を務める女性が、彼女を取り巻く環境と完全に同化している様が描かれるのですが、「コンビニ人間」では日本国民の消費生活を支えるインフラとなったコンビニで働く従業員の目線が、あたかもセンサーのように道具的に働いて、同時に身体の動きも自動化されていることが強烈に印象づけられる。

また、『檻の中』では電信技師である主人公が、郵便局を利用している男性相手に自分の職務を超えた「おせっかい」をすることがきっかけとなってストーリーが駆動していくのですが、「コンビニ人間」でもコンビニをクビになった白羽さんというダメ人間と、主人公が無理やり関係していくことが、小説を大きく展開させる契機になっている。案の定、ロクなことにはならないのですが(笑)

 

みなみ: この白羽さんが、私は怖くてたまらなかったです。男尊女卑むき出しの態度だったり、「底辺」を連呼する口の悪さだったり……これが「虐げられた男性の主張」であること、リアル、ネットに関わらず実際に存在している人物像であるということは受け止められたんですが、どうにも自分とは関わりのない、関わりたくない世界の声っていう感じがしました。

 

五百蔵: 最近はよく「分断」「格差」といった言葉がキーワード化されていますが、みなみさんの言う「関わりたくない世界の声」っていうのはまさに、「コンビニ人間」が描いている「分断」をなぞるような読みだと思いますね。

この作品は、「世界から疎外されていることの辛さに対して、 自意識を薄めることで自己防衛的に対応している主人公」と、 反対に「腫ぼったい自意識を持て余すあまり、〈世界〉や〈他者〉に疎外の責任を押し付けることしかできず、その結果苛立ちを抑えられず自分を守れない白羽さん 」 、その二者をうまく組み合わせて、〈人間が道具のように生きること〉の意味を問うていると思います。

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犬: 白羽さんの被害者・敗残者としての意識から発される「クズ人間のグルーヴ感」はすごいですよね。それに対面する主人公(恵子)の立ち位置も見事に設定されていると思いました。はっきりとした自分を持たない恵子のしーんと静まり返った内面に、矢継ぎ早に連呼されるクズフレーズの数々が反響して、水面に波紋が立つように増幅していくのが、ただただ圧巻でした。

 

みなみ: 確かに圧倒される(笑)さっきも言った通り、白羽さんの主張は私にはほとんど受け入れられないものだったのですが、でも「おかしさ」ってことで言えば、二人を取り巻く「普通の人たち」の主張も同じくらいおかしい。この小説には、「女子会あるある」みたいなテーマを戯画化して描いているシーンがあるのですが、そういう「普通の人たちの社会」を描いた場面にも、思わずオエッとするような「エグみ」が読後感として残りました。

 

五百蔵: 自意識の薄い主人公の一人称視点を用いて描くことによって、物語中で起きる出来事や主人公を取り巻く人物の言動が、重層性をもって感じられるようになっているのだと思います。一方である出来事が読者には不愉快だったり問題に感じられたとしても、その一方で主人公はそう感じていない。 では、その引き裂かれた反応が生じるに至る脈絡は何なのか、と最低3つの層が生まれるよう、 小説が設計されている。

文体の工夫だったり、よく構成が練られていることも関係していると思うのですが、ちょっと不条理な物語の中に「不気味さ」、「滑稽さ」、「あるある要素」と様々な表情が備わっていると思いました。 その全体がまた、現代的でもあるし、それこそ〈檻の中〉でどう生き延びるかという普遍的な問題について否応なしに考えさせるような仕掛けにもなっていると思いますね。

 

今村夏子「あひる」:さらっとクリアな口当たり、内容成分にご用心

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出典:http://www.amazon.co.jp/dp/4863852193

【あらすじ】資格取得のため勉強に勤しむ「私」が父母と暮らす一軒家の庭で、あひるの「のりたま」を飼うようになった。すると「のりたま」の面倒を見にきた子どもたちで一家は活気を帯びるようになったが、次第に「のりたま」は弱っていき、庭から姿を消す。「のりたま」が戻ってきた時、その姿はどうにも同じあひるには見えず……。

みなみ: すごく不思議な作品!わかりにくい表現、難しい言葉を徹底的に排して描かれているのに、「なんだこれは!?」と引っかかるようなシーンがいくつもいくつもあって、読み返したくなる小説でした。

 

犬: 僕も、どこまでも平易な言葉を用いているが、あくまで玄人向けに描かれている文学作品という印象を持ちました。さらっとした見かけの奥に、隠れた水脈のように流れているメッセージがあって、それを探り当てるのに注意を要する小説だと思う。

現代文学という文脈で言えば、芥川賞をとった小山田浩子さんの「穴」に通じるものがあるかなと思います。作品の舞台設定は小さく、どこにでもあるような郊外のはずれの風景なのだけど、何か決定的におかしな空気が漂っている。かといってファンタジーかと言われれば、それもまた違うような、分類の難しい小説ですよね。

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五百蔵: 文学としての「格」は候補作中おそらくもっとも高いのではと思いました。 文体、構成ともに〈書き手の自我〉をほとんど消し去るほどに練られていて、しかも平易で読みやすい。読みやすいが、描かれている内容は様々な想像を誘うもので、興味深い。物書きであればほとんどの人がこの作家をリスペクトすると思います。

 

みなみ: 「想像を誘う」ということで言えば、もちろん「次々とあひるが入れ替わっているのに、何事もなく生活が営まれるのは何故だろう?」という問いもそうなのですが、口には出さないものの、この主人公の家庭が何か決定的な問題を抱えていそうな感じがしませんでしたか? お母さんが食卓で宗教関係のことを父親にボソッと伝えたりとか、しきりにお祈りをしていたりとか、「新興宗教かな?」って私は思っちゃいました。

 

犬: 確かに(笑)あと、あひる目当てに家に押しかけてくる子どもたちも、一体どこから来ているのかハッキリしませんよね。さっき小山田浩子さんの「穴」を連想したのも、近所付き合いが希薄化した地域の、コミュニケーションの空隙みたいな部分を、この少子化の時代には似つかわしくない「子どもたち」の集団が埋めていく、というミステリアスな展開に似たものを感じたのかもしれません。実際に、「あひる」は弟夫婦が子どもを連れて帰って来るというところで終わっていますしね。

 

五百蔵: 「近所付き合いのない一軒家」という、極めて狭い生活圏に、謎を含みながらも「少子化」の問題が重ね合わされていることは、とても重要なポイントだと思います。現実と地続きなどこにでもある風景を、ただ淡々とクリアに描きながら、どこか変だと思わせる。リアリズムのつもりで読んでいたが、実のところこれは現実の醜悪なカリカチュアなんではないか、というのが見えてくる。

 

犬: 少し話は逸れますが、最近、ペットボトルで売られるような清涼飲料水がどんどん「クリア化」しているじゃないですか。ほんのり味はついているのだけど、売り物としてはあくまで「水」ですよ、みたいな。この小説の場合、そのほんのり香る成分が実はとんでもない劇薬なんじゃないかって感じがしますね。

 

みなみ: 劇薬入り清涼飲料水(笑)思い返せば本当にそんな気もしてきた。家に帰ったらもう一度読んでみよっと!

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高橋弘希「短冊流し」:命と向き合う誠実さ、またはウェットな感傷

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出典:http://www.amazon.co.jp/dp/B00TDA2A7O

【あらすじ】妻と離婚調停中の「私」は幼稚園児の長女、綾音を引き取ることになった。その矢先、熱を出した綾音が意識不明の重体に陥り入院することに。娘を「こちら側」の世界に引き戻すことが叶わないまま、「私」の生活は淡々と続いていく。そこでふと思い出されるのは、いつか娘と過ごした日々の情景だった。

五百蔵: 死が間近に覚悟されていても(今夜中に、二時間後に死ぬと言われていても)、死は常にふいに訪れる。その「不意打ち」に晒される、晒され続ける人間の感覚がよく焦点化されている一作だと思います。後で取り上げる「美しい距離」とテーマは似通っていますが、アプローチは今作の方が誠実。

 

犬: 描写は丁寧で、文学的な装飾にも満ちているのですが、僕はイマイチ読みどころを見いだせませんでした。「これは、病床の娘を中心に離婚調停中の夫婦が仲直りをするメロドラマなのか?」という悪い予感とともに読み進めていったのですが、幸いに、というべきか、そんな展開はありませんでしたね。ただ、そのメロドラマに代わるような要素が果たしてどこにあるのかが、僕にはやはり掴めませんでした。

自身の浮気のせいで家庭を崩壊させた男が、現実に対して何ら有効なアクションを見いだせないまま、ただ一人自分のペーソスに浸りきっていると言ってしまえばそれだけな気もします。最後の短冊流しの場面に関しても、自分にはどうにもならなかった誰かの「願い」を、ただただ見送っているだけですしね。

 

みなみ: 手厳しい!私は、何も語らない娘を目の前にして家族に対する感情が次々と蘇るのは、純粋に感動的だと思いました。奇をてらっていない、正直な小説……というとなんか偉そうに聞こえるかもしれませんが(笑)

 

五百蔵: 読みどころは少ないかもしれませんが、この作者はここを読ませたいんだろうな、というポイントをしっかり読ませる仕掛けは成立していると思いますよ。僕はこの娘さんは死んでいないし、死なないと思いたいですが、大事な存在の命と向き合い続けるという意味で、誰しも必ず一度は経験することを丁寧に受け止めている作品。

 

犬: 向き合い続けるというか、僕には放心しているだけに見えるんですよね……。いや、大いに放心してもらって構わないし、家族の命が危ぶまれている状態で放心状態になるのは素直なリアクションだと思うのですが、それにしては所々でウェットな感傷を織り交ぜてくる美文調が、読み手にはかえって妨げになるというか……。

ただ、第三者的な立場で「病院」という〈死〉を日常から隔離した空間を描こうと思ったら、ひたすら内省的な沈思黙考のドラマを用いるか、もしくは誰かのひそひそ話に耳を澄ませるか、二つに一つなのかもしれませんね。その「ひそひそ話」をマイクで拾って、とことん分析し尽くしたのが、次の「美しい距離」なのだと思います。

 

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山崎ナオコーラ「美しい距離」:安易なストーリー仕立てを拒否するということ

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出典: http://www.amazon.co.jp/dp/4163904816

【あらすじ】生命保険会社勤務の「私」と、40代という若さで癌に冒された妻。病床の妻をめぐる周囲の詮索の目が「私」には苛立たしくてたまらないのは、「余命の物語」というステレオタイプを通じて妻の生きている時間が矮小化されてしまうからだった。

みなみ: 犬さんが「ひそひそ話」をマイクで拾った小説と言ったように、「美しい距離」は〈死〉に対しての「気遣い」の小説であり、「余計なお世話」の小説だと思います。ナオコーラさんの過去作である「人のセックスを笑うな」にタイトルを被せるのであれば、「人の死に方をドラマにするな」ということですね。

 

五百蔵: 狙い、仕立ては面白いと思うのですが、僕は全体としてこの作品を非常に不誠実な小説と感じたんですね。「誰かの人生をストーリー仕立てで類型化することを拒否する」というコンセプトを一貫させたいがために、多くの都合のいい嘘を書きつらねざるをえなくなっている。

例えば、類型化を拒否する、といいながら、主治医の人物を「死に向き合う人間としての安易さ」を持ったキャラに仕立て上げていますよね。がん患者と向き合う医者と自分が実際に付き合った経験からすると、彼らは「病の進行を分かりやすい〈死のドラマ〉に還元してはいけない」「患者や家族の心情に踏み込んではいけない」ということを一番気にかけている人たち。

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犬: 僕はあまり小説に「誠実さ」を求めるタイプではないのですが、実際の医療の現場との比較について言えば、確かにそういう安直さもあるのかもしれませんね。医療って〈死〉に関わる仕事だし、その描写においては何よりも文学者の職業倫理が問われるのだということは大いに納得します。

ただ、その一方で、奥さんがサンドウィッチ屋として仕事で関わった人々との思い出を、そうした類型的なストーリーから外れるような、かけがえのないエピソードとして際立たせていますよね。僕はサンドウィッチ屋の常連客が見舞いに来るシーンで思わずうるっときてしまったのですが……。

 

みなみ: そこは私もぐっときた!「誰にでもわかるようなストーリーに人生をまとめ上げるよりも、当事者にしかその重みを測れないようなエピソードの断片の方が大切だよね」ってことなんだなと、すごく腑に落ちたシーンでした。

 

五百蔵: 逆に言えば、そのエピソードを強調したいがために他の一切の要素を類型化しているとも言えますよね。その不揃いを小説全体として意味のある不揃いにもできていないのが、この小説の難点だと思います。

物理的なディティール、主人公の周囲への反応の仕方も含め、一種の「看護あるある」といった側面もあるが、 「コンビニ人間」と違ってその「あるある」がただ「本物っぽく見せる」仕掛けだったり、通俗的なナルホド感といったものにしかなっていない。 ただこういった欠点全てが、「物語としてのわかりやすさ」「フック」「キャラクター性というおもしろみ」 として機能しているのも確かで、そこをどう捉えるかだろうと思います。

 

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チェ シル「ジニのパズル」:個人、世界、革命

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出典:http://www.amazon.co.jp/dp/4062201526

【あらすじ】オレゴン州の高校を中退しつつあるジニが、心優しい理解者・ステファニーに語り始めるのは、「金日成」「金正日」の顔写真が飾られた、朝鮮学校の教室で過ごした日々のこと。日本人学校上がりで朝鮮語を理解できないジニは一部のクラスメイトから疎まれてしまう。そんな中、北朝鮮がテポドンを発射した。何かがおかしい、そう感じたジニは孤独な革命に打って出るのだが……。

みなみ: 私のイチオシ作品です。逼迫した、行き場のない衝動が描かれていて、ヒリヒリしていて、それなのに読んだ後に「優しくなりたい」と心から思える小説。こういう小説と20代前半で出会えて本当に良かったと、作者に感謝したくなりました。

 

犬: 僕もこの小説には本当に色んな感情を動かされて、語りたいことは山ほどあるんですが、なんといっても、主人公のジニが朝鮮学校で聴く宇多田ヒカルの「automatic」ですよ!20世紀の終わりに、在日韓国人として過ごした青春の風景がここにぎゅっと凝縮されていて、他の何にも代えがたいリアルさを獲得していると思います。

「朝鮮学校」という極めて特殊かつ限定的な文化状況・言語状況を描きながらも、僕にはこの小説が新しい「世界文学」としての強度まで帯びていると感じられたのは、こうしたリアルな風景に瑞々しい感情が宿っているからではないでしょうか。

 

みなみ: 特殊な文化状況を描いているのに「世界文学」的とは、つまりどういうことですか?

 

犬: 例えば、日本からアメリカへの越境、日本語からハングルへの越境だったり、「ジニのパズル」には、様々な文化的越境が描かれていますよね。そこに「国民文学」という範疇を超えた、開かれた可能性を感じるんです。

確かに日本文学は技巧的には独自の進化を遂げたかもしれない、ただその技巧性が、極めて閉鎖的な文学の状況を作っていなかっただろうか?そんなことを長らくぼんやり考えていたのですが、そこに来て「ジニのパズル」は新鮮な喜びでした。

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五百蔵:犬さんの指摘した音楽の使い方は、僕も注目したポイントでした。自分たちの時代のサブカルチャーや消費文化を取り入れつつ、そういう表層的な生活のディティールと深層にある歴史的な状況を繋げたり、繋がっているように見せることによって、個人の体験として描きつつも、個人の範疇を超えたものが物語を動かしているようなダイナミズムが感じられました。ドン・デリーロなど、現代の北米文学にも通底する方法ですね。

ただ全体としてみれば、細かな細工に至らない点があったり、文体などかなり粗く、未成熟な面も多々ある。 時系列を崩した構成(エピソードのパズル的な構成)も、必ずしも全面的にうまくいっているわけではないと思います。 未熟という点では候補作中一番で、そこが弱さかもしれないが、先述した方法を貫徹しようとすることでうまれているダイナミズムと、 技術的な荒さ、不行き届きがうまく相まって作品の個性にできている。 それが若い書き手らしいエネルギーにもなっていて、多くの読み手に魅力として感じられるのではないでしょうか?

 

犬: 自分は「未成熟な魅力」を正しく評価できるほど玄人になりきれないのですが、涙と鼻水でぐじゃぐじゃになりながら、自らを取り巻く世界の不条理に対して真正面から戦いを挑むような迫力がとにかく凄くて、「ここまで凄まじい情動をエンジンとして積んだ小説を読んだのは、一体いつぶりだろう?」と思わず考え込んでしまいました。

 

みなみ: 私はジニが学校を舞台に革命を起こす、という点から村上龍の『69』を思い出したのですが、『69』は今作に比べればずっと気楽で、革命の瞬間を生き生きとした青春の発露としてユーモラスに描いていたと思うんですよ。

「ジニのパズル」にはそんな余裕はなくて、様々な矛盾を押し付けられる在日韓国人としての「生き辛さ」が、あまりにも切実な問題として立ち現れてくる。とても他人事とは思えませんでした。

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犬: 文学好きの中には、ヘイトスピーチなどの問題が未解決のままである文化状況を見るにつれ、日本があたかも〈文学〉の本来的な価値から見放されてしまったかのように感じられて、悲嘆している人も多いのではないかと思うんですよ。「ジニのパズル」が注目を集めることで、そういった状況に一石が投じられることを期待したいですね。

とは言っても、ジニは〈正義〉を旗印にしたヒロインではなくて、この作品で何よりも重要なのは、ジニの孤独な革命が、どうしようもないくらいの敗北に終わるということ。そしてそれは、「美しい敗北」としての悲劇的な身振りを通じて美化されるものではなくて、あくまでも作者はジニの革命を「暴発してしまったもの」として描いている。そしてジニが、「自分は誰かを傷つけたのだ」ということの代償と向き合うところから物語がスタートしていますよね。

 

五百蔵: その「暴発」の意味が、当事者であるジニのあまりにも個人的な事情と、世界性・歴史性の間で絶えず往復するような深みを帯びているんですよね。さっき指摘した「生活のディティール」と「歴史」の問題とも繋がるのですが、〈個〉の抱える切迫した問題が〈世界〉の問題へと開かれることで、ダイナミズムが生まれている小説だと思います。お見事!

 

総括

犬:最後に、今回の候補作をすべて振り返ってみての感想を改めてお聞きしたいと思います。芥川賞の候補作が軒並み話題になるということはほとんどないですが、受賞作予想などは抜きにして、実際に5作を読んでみての印象はいかがでしたか?

 

みなみ: 単純に、普段読めない小説が読めて面白かったです。文芸誌を手にとって読んだのも初めてでしたし、世の中にどんな文学が日々生まれているのか知るきっかけになって良かった。話題作と言われる小説以外もどんどん開拓してみたくなりましたね。

 

五百蔵: 僕自身も候補作をすべて読んだのは今回が初めてだったのですが、改めて現代文学に求められる要件が自分の中で明確になったと思います。つまりは、「当事者性 」「同時代性」「普遍性」 の3つですね。芥川賞という舞台は、作家たちが想像力を駆使することによってこれらの要素を融合させ、 魅力的な物語、現代に問う意味のある物語を作り上げる場なのだと思います。

犬: なるほど。芥川賞については、その「行き過ぎた権威」がしばしば取り沙汰されたりもますが、時代の中に文学の潮流を作り出している賞であることは間違いないですね。そんな文学の潮流を感じ取るためにも、この「勝手に座談会」は、これからも連載化していきたいと思いました!

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