月刊 本の窓 スポーツエッセイ アスリートの新しいカタチ 第4回 石川祐希

男子バレーボール界のレベルアップのために自らイタリアへ武者修行に出た大学生は、いまや押しも押されもせぬバレーボール界のエースとなった。将来の男子バレー界を見据えて、この若者は何を考えているのだろう。

 
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試合となるとガッツポーズをしたりと感情を露にするが、それ以外は穏やかな石川。「自分でも、コートと普段とでは全然違うなって思います」。大好きなバレーでスイッチが入り、テンションが上がる。

石川祐希(21歳)
(中央大学)

Photograph:Yoshihiro Koike

 
男子バレー界の新星である。実力はもとより、甘いルックスで女性ファンをも虜にしている。彗星のように現れた“スター”石川祐希は、中央大学四年生。大学入学後の十八歳の時、最年少で日本代表入りを果たした逸材は、テレビで見るより遙かに大人びた雰囲気を放っていた。
 その第一印象は「まつげ長っ!」。実際に話してみると、誠実な好青年そのもの。インタビューを終えての感想は、気が早いのは百も承知ながら、彼が指導者になる日が今から待ち遠しくなってしまった。男子バレー日本代表はアジア予選で四戦全勝し、二大会ぶりに世界選手権の出場を決めた。東京オリンピックへの期待も高まるばかり。順序としては大舞台でのさらなる飛躍を願うのが先なのだろうが、それすらも突き抜けた魅力が明らかになったのだから仕方ない。
 石川が世界のトップレベルで活躍するのは、もう織り込み済みの“未来”にしか思えないのだ。バレー界で彼をよく知る指導者らも言うのだから間違いない。だからこそ、世界最高峰のイタリア一部リーグが石川を勧誘し、中央大学も入団を後押しした。
 石川は大学一年生の時にイタリアのプロリーグ・セリエAの強豪モデナに、そして三年生だった昨年十二月から四年生となった四月まではラティーナに短期“留学”。史上初めて学生で海外のプロリーグに期間限定で移籍したパイオニアとなった。
 中央大学男子バレー部の監督は、元全日本代表選手の松永理生氏。中学生から石川を見ていたといい、「世界で戦える選手になろう」と石川を口説き落とした。そうして中央大学へ進学。同バレー部で成長する石川について、監督は「みんなの“道しるべ”と思いながらやってくれている」と目を細める。

才能・外見・内面すべて完壁!?
子ども時代は「嫌々キャプテンをやっていた」

 テレビのスポーツニュースからバラエティ番組などで何度となく特集が組まれ、その「イケメン」ぶりが伝えられてきた石川。その人気は絶大で「石川フィーバー」と各地で観戦チケットが完売しているほどだ。私自身は元々ミーハー気質はないのだが、対面するやいなや「イケメンオーラ」を察知した。
 外国人のような独特の雰囲気があると思った、その“正体”はまつげ。長年、数々のアスリートを撮影してきた担当カメラマンの小池義弘氏が、すぐに気づいて撮ったばかりの写真を見せてきた。「日本人で、男性で、こんな長くてカールしてるまつげは初めてだよ!」。見ると、女性もうらやむ美しい完璧な目元が写し取られていた。
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 思わずその目力にたじろいだが、石川は、インタビューの対応も、誠実そのものだった。自分の言葉で率直かつ、順序立てて、わかりやすく語る。「こういう側面もあるだろうけれど、自分はこう思う」と客観的な視点も忘れない。とても聡明なのだと感じた。「天は二物を与えず」を信じたことはないけれど、石川は才能も外見だけでなく、内面にも非の打ち所がなさそう。一体どんな子どもだったのか。興味をかき立てられて尋ねた。
「両親がバスケットボールと陸上をやっていた影響もあって、スポーツは好きだったと思うんです。あんまり覚えてないんですけれど、最初は『何か(スポーツを)やりなよ』って(両親から)勧められても、何もやりたくないって言ってたみたいです」
 記憶が定かでないこともきちんと伝える真面目さ。「最初はサッカーをやりたかったみたいです」と石川。ところが、地域にクラブチームがあったのは野球だった。そこで一年ほど野球クラブに所属するも、姉に連れられて行ったバレーボールに魅せられるように。小学校四年生の時だった。
「スパイクのステップだけ教えられて、やってみたらすぐできたんです」。褒められて嬉しかったのかと尋ねても、「多分……」と記憶はあいまいだった。ただ、「できたことは覚えています」と石川は振り返る。
 バレーを始めたきっかけも、さして主体性はなかった。「友だちと一緒にバスケかバレーどっちにする? って話してて、バレーにしようかって決めたんです」。そんなノリで、小学校のバレー部へ。だが、そこから石川はめきめき頭角をあらわしていく。厳しかったという小学校でバレーの基礎を吸収すると、中学ではキャプテンに任命。「『(キャプテンは)嫌です』って言ったんですけど、エースをやってたこともあり、嫌々やらされました」と石川。そして星城高校時代は、史上初となる二年連続の高校三冠(インターハイ、国体、春高)を達成。全国に名を轟かせた。

「コートでは“表現者”、
離れると“無表情”」と監督
「ナメクジみたいに動かない」とコーチ

 松永監督は、高校時代の石川を振り返る。「私が全日本時代に何とか覚えたスキルを、彼はもう高校一年か二年ぐらいで実践してたんです。驚きました」。それは、相手の高いブロックに対応するため、打つポイントを変えること。本人に聞くと、「自分はそれほど大きくもなければ、すごいジャンプ力があったわけでもなかった。そういうことをしないと通用しなかったので」と理由を語るが、それこそが監督が絶賛する石川の「考える力」だ。
「彼が大学に入ってきた時は、こういうことを教えてあげたいなと色々思ってたんですが、練習を見てると、考えてやってる。ならば環境を上げようと。例えば二メートルの選手のブロックを二枚あてても、それをどうやって打ちなさいじゃなくて、ぶつけておけば勝手に自分でかわしだすんです。そういう練習方法に変えました」
 監督は石川という選手のオンとオフの差、成長の軌跡をこう語る。
「彼はバレーボールをしている時は“表現者”なんです。『バレーが好きだ』っていうのも、プレーに全部出ますしね。でもバレーを一歩離れると、どちらかというと“無表情”であまり感情表現はしない。マイペースに過ごしていました。それがイタリアでの海外留学を経て、将来へのプロ意識が高まったんでしょう。チャレンジしていかないと、新しい道は拓けないと感じてやってくれるようになりました」
 
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日本バレーは企業スポーツの側面から、海外へ行くことは離職や独立にもつながるため容易ではない。でも、「選手はみんな海外に行きたい。僕は大学生だから、これもなかなかないことですが、行くことができた」と石川。(写真:坂本清)

 
「バレーが楽しい」とは石川がよく語ってきたことだが、本人の口から聞きたかった。そこで、バレーの魅力を尋ねると、バレーの持つ特異なチームプレーについて雄弁に語ってくれた。
「バレーボールは一人が良くても絶対に勝てない。例えば野球だと……知ってる人にそうじゃないって言われるかもですけど、ピッチャーが良ければ点を取られなかったりします。でもバレーだとあり得ない。サービスエースを一人で連続十五点とかムリですから。それに、バスケみたいにボールを持てるわけでもない。瞬間なんです。一瞬しか触れない中で点を取っていく。道具を使うことなく身体だけで。その“一瞬”を安定させるのはすごく難しいけれど、面白いし、できるほどに楽しいんです」
 そんな石川のポジションは、ウイングスパイカー。スパイク、サーブ、レシーブ、ブロック、すべてをこなすオールラウンダーでなければ務まらない。すべてで上手くなりたいと石川はいう。驚くことに、ユーチューブなどの動画サイトで様々なプレーを見ては、「すぐに表現できる」という。監督の言う「表現者」の意味が広がりを放つ。
 チームメイトとの関係が良好なことは言うまでもない。中央大学では寮生活だが、これまで多くの代表選手を支えてきたトレーナーの菊池加奈子氏は、お尻を叩くように笑って言う。「ナメクジみたいに動かないんです」
 本人に伝えると、「ナメクジほどじゃないですけど、あまり一人で行動しないです。誰かと一緒なら動く。ご飯に行くのも誰かの部屋に行って、『一緒に行こう』って誘います」。なら一人で牛丼屋へは? と尋ねると、「あり得ないです」と即答。気安い仲間に囲まれているのがわかった。

二度のイタリア留学が持つ意味
「どの選手もみんな海外に行きたい」

 大学一年で経験した最初のイタリア留学は、右も左もわからない状態だった。今まで大学生で海外に行く選手もいなかったが、それでもまず行くことが大事だと監督やスタッフ、中央大学はモデナからのオファーに理解を示した。監督は、石川だけでなく他の選手や、男子バレー全体のレベルアップにつながる意義があると考えた。
「石川だけでなく、石川を取り巻く選手たちも育っていかないと、世界には勝てない」。バレー男子代表は、二〇〇八年の北京大会こそ出場を果たしたが、一次リーグで全敗。一九九二年のバルセロナ大会を最後に、五輪での勝利をあげていない。
 海外の選手と比べて、日本人は高さとパワーで劣るが、松永監督は「目線の高さ」も大きかったのではと語る。「石川が海外で世界のトッププレーヤーとチームメイトになることで、他の選手も『負けていられない』となるんですね。というのも、私の頃は海外の選手は、自分たちよりも“上”だった。でも過去の先輩たち、オリンピックでメダルを獲れる人たちは、目線が“下”なんです。僕らがずっと上を見てきたものが、彼が海外に行くことで目線を下げてくれた。ここに今までの全日本とは違いがはっきりと出てるんじゃないかなと。だから行かせてよかったなと思います」。海外のチームを“上”だからと見上げず、自分たちもやればできると信じること。その意識改革につながるという。
 二度目の留学では、「日本人選手としてアピールする」と意気込んでイタリアに渡った。イタリア語を自習し、どんな選手がどんなプレーをしているのか、目的意識を持って、観察した。それを日本に持ち帰り、伝えた意味は大きい。まさにパイオニアで伝道師だ。
 石川と人気を二分する柳田将洋は、サントリーに所属していたが、この春にプロ転向と海外挑戦を表明。六月にドイツ一部リーグのTVインガーソル・ビュールに移籍することが決まった。「石川がセリエAでプレーする姿が刺激になった」と明かしている。
 
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イタリアでは「高いレベルでできたことは楽しかった」と石川。すぐに生活にも慣れ、「毎日イタリア料理でも大丈夫。ご飯や味噌汁が恋しくなることもなかった」。2度目の留学では、長い食事会にも会話力をアップさせて、さらに楽しめるよう順応した。(写真:坂本清)

 

まずは「個」のレベルアップ
高いレベルで感覚を磨くことは不可欠

 石川いわく、男子代表が強くなるには、海外でプレーをして「個」のレベルアップをすることが不可欠という。そう言いつつも、石川は別の視点も欠かさず添える。知らないことは知らないと断りつつ。海外に出ることで、より日本のことが見え、視野が広がったのだ。
「企業のバレーの良いところももちろんあります。バレー選手として終わった後もある(社員として残ることができる)ので。それはすごく良い部分だと思います。でも日本のバレーのことだけを考えた時には、それだと難しいのかなと。でもまだ自分は企業に所属したことがないので、間違ったことを言ってるのかもしれないですけれども」
 トップ選手が集まる海外リーグでは、サーブも年々レベルが上がっているという。ならば、その分、日本もさらに頑張らないといけない。そのためには、どうすればいいのか。石川は理路整然と語る。
「日本は高さがないので、サーブレシーブを他の国よりしっかりしないといけない。高さやパワーがある他の国は、サーブレシーブで少し乱れても、トスで修正をして、アタッカーがなんとかすれば点を取れたり、ブロックとかで簡単に点が取れたりします。でも、日本はそういう力がない。そこをブロックとかで補えるようになれば、また変わってくるとは思いますけども。現段階ではサーブレシーブをしっかりやっていかないと。そこがベースにないと勝っていくっていうのは難しいです」
 そうしたレベルの高いサーブを受けるには、男子は海外に行くしかない。女子なら、より高さとパワーのある男子で海外プレーヤーを仮想できるが、男子にはそうした存在が国内にないからだ。
「海外でも、やっぱりサーブの強いチームが勝ってるんです。試合や結果を見ても、(サービス)エースの多いところが勝っていたりするので、大事ですね」と改めてサーブの重要性を語ると、「スピード、パワーともに、レベルアップしたサーブを打っているということは、受けている選手も比例して良くなっているはずなんです」と世界とのレベル差が生まれる危機感を募らせる。
 サッカーのブラジルワールドカップに挑む時、本田圭佑が「個の力」を上げる重要性を訴えた。同じことを石川も自らの言葉で男子バレーの状況に当てはめて言う。「まずは個人のスキルを上げることが第一。代表チームは、集まってからじゃないとコミュニケーションは取れないですから。集まってはじめて、そこからチームを作り上げていくわけです。でも、そこでその短期間で(個の力を)強化しろと言われても難しい。強化というのは、所属チーム、個でやれる時間の方が長いと思うので、そこでいかに強化するかだと思うんです」
 レセプション(サーブレシーブ)は感覚に頼る部分が大きい。慣れるのは早いに越したことはないが、簡単なことではないし、選手によって個人差もある。だからこそ、海外に行って「慣れる」しかないのだと。
 パイオニアで伝道師という立場を自覚しつつも、自分の足りないところだけでなく、他の選手の視点、チームとしての視点、日本代表としての視点をくまなく見渡して、的確に表現するのだ。今後も石川の成長そのものが、きっと日本バレーの成長をも促していく。もちろん、男子バレーが東京オリンピックに出場することが叶うことは楽しみだけれど、石川をはじめ日本人選手がどんどん世界で活躍し、日本のレベルを引き上げる姿はもっと大きな“予想図”かもしれない。男子バレーを導く、石川のマイルストーンが見られる幸運に感謝したい。

 

プロフィール

アスリート第4回プロフィール画像
石川祐希
いしかわ・ゆうき
バレーボール選手。1995年生まれ。身長192センチ、体重84キロ。愛知県岡崎市出身。愛知・星城高校でエースとして活躍し、史上初となる2年連続の高校三冠(インターハイ、国体、春高)を達成。2014年に中央大学へ進学し、同年に史上最年少の18歳で日本代表に選出される。大学1年でイタリア・セリエAのモデナからオファーを受けて短期“留学”し、史上初めて在学中で海外プロリーグに限定移籍した選手になる。3年次にも、冬から春にかけて、同リーグのラティーナに所属。4年生となった今年は、現地のシーズン開幕に合わせて、秋からラティーナに合流する。
 
 
松山ようこ/取材・文
まつやま・ようこ
1974年生まれ、兵庫県出身。翻訳者・ライター。スポーツやエンターテインメントの分野でWebコンテンツや字幕制作をはじめ、関連ニュース、書籍、企業資料などを翻訳。2012年からスポーツ専門局J SPORTSでライターとして活動。その他、MLB専門誌『Slugger』、KADOKAWAの本のニュースサイト『ダ・ヴィンチニュース』、フジテレビ運営オンデマンド『ホウドウキョク』などで企画・寄稿。

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