連載対談 中島京子の「扉をあけたら」 ゲスト:長谷部恭男(憲法学者)
憲法は権力を縛るものであるはずなのに、いままさに権力にとって都合のいい方向に改正されようとしているのはなぜか。憲法学者である長谷部恭男先生と一緒に考えました。
第二十二回
日本国憲法は、どこへ向かうのか?
ゲスト 長谷部恭男
(憲法学者)
Photograph:Hisaaki Mihara
長谷部恭男(左)、中島京子(右)
『ハムレット』を正しく解釈すると
中島 安倍政権が憲法改正に前のめりになっていくなかで、それまであまり憲法のことを考えたこともなかった私たちが、憲法と向き合うきっかけの一つとなったのが、二〇一五年六月四日に開かれた衆議院憲法審査会でした。政府与党が推し進める集団的自衛権について、そこに呼ばれた憲法学者の先生が全員「違憲」だと発言。長谷部先生も与党側の参考人であったにもかかわらず「違憲」だとおっしゃった。テレビを通しても自民党の議員たちの顔色が変わるのがわかりました。
長谷部 そんなこともありましたね(笑)。
中島 自民党が集団的自衛権を合憲とする根拠に、「憲法九条は自衛権の否定を意味するものではない」とした砂川事件の最高裁判決を持ち出した。その時に、先生がテレビのニュース番組で「藁にもすがる思いで持ち出してきたんでしょうが、藁はしょせん藁です」と。五十六年前には話題にも上らなかった集団的自衛権の根拠に判決を利用する牽強付会に対して、手厳しい発言なのに、シニカルなユーモアを含んだ比喩が面白すぎて……。
長谷部 すいません。人間ができてないもので(笑)。ところで、私からもお聞きしたいことがあるんです。中島さんの小説『小さいおうち』は、カズオ・イシグロの『日の名残り』を意識してお書きになられたのでしょうか……。
中島 はい。大好きな作家なので影響を受けています。
長谷部 『小さいおうち』の主人公であるタキさんは、最初のうちはとても信頼できる語り手であるかのように描かれています。ところが最後の最後に、じつはそうではなかったことがわかります。これはカズオ・イシグロが使う、信頼できない語り手の手法ですよね。さらに物語としては、平井時子さんと板倉正治さんの恋の物語としても読めるし、親類の健史さんが人間として成長していく物語でもあり、タキさんの恋の物語でもあるし。本当にいろいろな読み方ができる本です。
中島 ありがとうございます。うれしいです!
長谷部 読み方がいろいろだということは、観点によってさまざまな解釈ができるということ。それは近代小説の特徴で、憲法学にも似たところがあるんです。
中島 小説と憲法学に類似性があるなんて、考えたこともありませんでした。
長谷部 中世末期のヨーロッパでは、宗教改革によって信仰と教会が分裂して、人々は今までと全く違う世界と対峙せざるを得なくなりました。価値観が多元化して、視点のとり方によって自分のまわりの世界がさまざまに解釈できる。そのなかで生まれたのが近代的な小説であり、戯曲です。軌を一にして、それに応じた社会生活のあり方を支える憲法学が必要になってきた。異なる視点は、当然激しく厳しく対立します。対立する世界観がフェアな形で共存するための枠組みは何かを探るのが近代的な意味の憲法学の使命なんです。
中島 なるほど。いろんな人が、いろんな考え方を持っているのが社会であって、それを何とかうまくまとめていくための考え方が立憲主義なんですね。
長谷部 同時に、宗教改革を経て、価値観や世界観が多元的になると、人はどういう生を生きるべきなのか自分で決めないといけなくなる。
中島 あ、そうか。それまでは、神様が決めてくれていたんですものね。
長谷部 そうなんです。その典型的な場面で発せられるのが『ハムレット』の最も有名な「To be, or not to be」のセリフ。一般的には「生きるべきか死ぬべきか」と訳されています。誤訳とまでは言いませんが、ちょっとミスリーディングだと思います。「not to be」というのは素直に読むと「生きないこと」で、「to be」は「生きること」ですね。
中島 だんだん哲学的になってきましたね。もっと詳しく教えてください。
長谷部 「生きないこと」というのは、与えられた身分やしがらみ、定めなどにただ従っていくということ。「生きる」というのは、運命の荒波に逆らい、たとえ命を落としてでも、自分の生を自ら切り拓いていくこと。ですから、あのセリフは生物学的な意味での生死とは、関係がないんです。
中島 ハムレットは、「to be」の道を選びますね。
長谷部 最後は命を落としてしまうので、「生きるべきか死ぬべきか」だと思っている人が結構多いですね。
正しい国のあり方が、一つに決まっている?
中島 迎合するか、信念を貫くか。森友問題で証人喚問に立った佐川さんにも「to be」の道を歩んでいただきたかったなぁ。
長谷部 そうですね。でも「すべて国民は個人として尊重される」という憲法十三条を書き換えてしまおうとする政党の党首が率いる政府ですから、佐川さんの選択もわからないでもない。
中島 ほんとうに、なさけない。でも、ハムレットのような悩みと対峙することが近代的な社会だとすると、近代的な個人というのは結構大変ですね(笑)。
長谷部 もちろん『ハムレット』の直面するような人生の一大事は、毎日起こることではありません。たとえば、入院している親友のお見舞いに行こうと思ったところ、大好きなオーケストラのコンサートに誘われた。さて、どっちを選ぶか。
中島 一般的にはお見舞いに行くべきなのでしょうが、コンサートにも行きたい。悩ましいですね。
長谷部 でも、正解はないんですね。価値は比較不能、比べられない。どちらを選んだとしても、それは自分が引き受けなければならないもの。その選択を通じて自分がどういう人間かを自分で決めていく。
中島 そうですよね。誰かに相談して決めるようなことではないですもの。
長谷部 一つの客観的な物差しがあって、その上に全部落とし込んで、どちらがいいか決める。もちろんそういうやり方が適切な場合もあると思います。でも、毎日私たちが突き当たる問題の多くは、そういうものではありません。個人に限らず国自体もそうだと思います。この国はどういう国であるべきなのか。正しい国のあり方は、一つに決まっているわけではないですよね。どうも今は、何か一つ正しい国のあり方が決まっているんだと言わんばかりの議論になっているような気がします。
中島 確かにそうですね。今回の改憲論議のなかでわかりやすい例をあげると、憲法九条の解釈があります。
長谷部 どんな危険な所であろうと、かわいそうな人を助けに行くためにPKO(国連平和維持活動)に自衛隊を派遣しなければならないというのはきわめて極端な議論で、私は賛成できない。でも、分に応じてそれほどひどいことにならないんだったら、行ってもらおうかというのもありだとは思うんですよね。
中島 政府のなかには、明らかに自衛隊を軍隊として位置づけたいという人たちもいますね。
長谷部 政府が自衛隊を派遣しなくてはいけないと言い出したのは、湾岸戦争のときに九十億ドルも出したのに誰も感謝してくれなかったから。すごく変な話だと思いませんか。感謝されて当然のことをして感謝されない。それは感謝しないほうがおかしいんですよね。感謝されないほうが後ろめたいことがあるかのように反省するから、頭がねじ曲がりそうになる(笑)。
中島 ただ憲法九条が支持されてきたのは、先の戦争に対する反省もあるでしょう。そこに日本のオリジナリティーがあるんじゃないかと思うのですが。
長谷部 九条の条文上では、「武力の行使はしない。武力の行使をするための組織も持たない」と言っています。日本の場合、武力行使の出発点はゼロなんです。他の国はゼロじゃない。武力を持つのが普通。国連憲章が認めている範囲内では武力も行使しますというのが出発点ですから、日本とは相当違いがあります。
中島 そう見ると、自民党の改憲草案は、日本オリジナルの出発点を無視しているような気がします。さらに言うと、多元的な多様な価値観の世界があることを大前提にした、近代憲法の根幹から外れている気がします。
長谷部 確かに、そのように思います。世の中には、さまざまな価値観を持っている人がいる。自分と違う生き方が正しいと思っている人たちもいるんだ、ということを前提にして社会の仕組みも考えていかなきゃならない。一方で、そういうものを一切認めないで、人として生きる道はこの一筋に決まっている、みんなこの道を生きるべきだという人たちもいる。そういう考え方でいろいろなものを切っていければ、こんなに楽なことはない。まあ、そういう生き方をしようという人がいること自体は、不思議ではないと思いますけれども。
中島 でもそれは、国としてじゃなくその人ひとりでやってくれればいい。巻き込まれるのはちょっといやだな。
長谷部 しかも憲法にしてしまうと、国民全員が巻き込まれてしまいますからね。その一方で、憲法九条に関して条文フェティシズム的な極端な理解をする人もいます。
中島 条文フェティシズム的な理解とは?
長谷部 とにかく自衛隊も憲法違反で、武力の行使は全てゼロ。もしものときはみんなただ殺されてればいいんだという考え方です。
中島 その人は自分の思想に殉じて、そこで死んでも悔いはないだろうけれど……。
長谷部 それは清く美しいことかもしれませんが、周りの人を巻き添えにするのは良くないと思うんですね。
中島 それでもう少し最大公約数的なというか、みんなこれでOKじゃないかというようなことを考えていくのが、そもそもの憲法の考え方なんですね。
長谷部 おっしゃるとおりです。
憲法改正案が、国民投票で否決されたら
中島 先生は、先程おっしゃったように、日本国憲法は別に攻められたときに抵抗することまで禁じてはいないという立場を取られています。
長谷部 はい。だから、九条を変える必要性は特にないと思います。
中島 安倍首相は、憲法学者がみんな九条に照らして違憲だと言うから、自衛隊がかわいそうだ、だから憲法に明記しなくてはいけない、と言っています。
長谷部 朝日新聞の記事によると憲法学者へのアンケートで、自衛隊違憲派は約四割という結果が出ています。でも、どういう理由に基づいて、自衛隊のどこが問題なんですかと聞いていかないと、実際のところはよくわからないんですね。私のように、集団的自衛権まで認めるのはおかしい。憲法に反していますという立場の人もいれば、自衛のための組織なのだから、国内にいて活動するのはいい。でもPKOで海外にまで出ていくのはちょっとおかしいだろうという人もいる。もちろんハードコアで、とにかく武力の行使なんか全部駄目という人もいるでしょう。
中島 なるほど、自衛隊のどの活動が憲法に違反するかという細かい議論を詰めていかなければならないんですね。でも安倍首相は、なにがなんでも憲法に自衛隊を明記するんだという姿勢を、頑ななまでにくずしませんよね。
長谷部 一つ落とし穴があって、憲法改正のためには国民投票が必要でしょう。そこで否決される可能性もあるんですね。
中島 そうしたら自衛隊は完全に憲法違反と確定するわけですか?
長谷部 「自衛隊の現状」を書き込むための憲法改正ですから、それが否決されれば主権者である国民は自衛隊の現状を否定したと受け取るのが素直ですね。例えば大学教育無償化の提案が否定されれば、無償ではない現状に戻ればいい。でも、自衛隊の現状を否定されると一体どこに戻ればいいんでしょう。集団的自衛権の行使は駄目というところに戻るのか。あるいはPKOも含めて海外には派遣しませんというところに戻るのか。あるいは、武力の行使は全部駄目、災害救助だけしていればいいというところに戻るのか。大混乱が起こりそうで、大丈夫かなと思っています。
中島 それで安倍首相は、もし国民投票で否決されても自衛隊はOKなんですと、よくわからない答弁をしていたんですね。
長谷部 可決されても変わらない。否決されても変わらない。
中島 それなら、何のために国民投票するのか。
長谷部 非常に不思議です(笑)。
中島 もう一つ私が気になっているのが、自民党の改憲案のなかには「緊急事態条項」が入ってくる可能性もあるんですよね。
長谷部 昨秋の衆議院議員選挙のときに自民党の政権公約が出ています。その最後に八行ほど憲法改正について触れられていて、緊急事態への対応も入っています。
中島 首相が緊急事態を宣言すれば緊急事態になるというのが、何だかすごく怖い感じがしました。
長谷部 二〇一二年の自民党の改憲案だとそうなっていますね。首相の独断ではなく、閣議にかけて緊急事態を宣言できますということですが。でも、まぁ、現在の内閣では首相がそう判断すれば、緊急事態を宣言することになるでしょう。その結果、どうなるか。本来なら法律を制定しなければいけないようなことも、内閣が政令でどんどん決められるようになります。
中島 緊急事態というのは、戦争になりそうなときや、未曽有の大災害などを想定しているんですよね。
長谷部 自民党案の条文上は、その二つが例として挙げられていますが、例示にすぎませんから、首相が特に必要だと考えれば、緊急事態宣言が出される可能性もあるでしょうね。インドの話ですが、インディラ・ガンディーが首相の時代に、彼女に対して選挙違反の判決を下級の裁判所が出しました。このままでは首相でいられなくなると、非常事態を宣言して憲法の執行を停止したという実例があります。
中島 まあ、実際にそんなすごいことが起こっているんですね。素朴な疑問なんですが、国には政府がやろうとしていることが違憲かどうかを審査するようなシステムがないのでしょうか。
長谷部 今までは内閣法制局という部署が、関所のような役割をはたしていたのですが、安倍政権はその長官の人事に手を突っ込んで、集団的自衛権の行使も合憲だという方向にもっていきました。
中島 政権批判ばかりしていても、何の解決にもならないことはわかっているのですが、誰も考えもしなかったようなズルを、次から次へとしているように見えます。やめさせてくれる何かがないのがとても歯がゆい。
長谷部 もう後の祭りですが、内閣法制局長官がそれでも駄目ですと言えば良かったんですよね。
中島 でも、官邸が人事権を握っているので、クビになっちゃうかもしれない。
長谷部 次に長官になった人も駄目ですって言えば良い。そのうち、長官になる人がいなくなりますから(笑)。
中島 そうか、そういう抵抗の仕方があったかもしれないということですね。でも、現在の横畠内閣法制局長官は日本国憲法上「核兵器が禁止されているとは考えていない」とも言った人ですよね。
長谷部 そうです。でも、こんな政治のやり方はおかしいと思う人たちが霞が関の中にいるから、森友問題や自衛隊の日報のような情報が表に出てくるんでしょう。その点ではまだ捨てたもんじゃないと思いますね。
中島 政権の土台を揺るがすような問題が次々に出てきているので、憲法改正問題がどう動いていくかわかりませんが、明日の日本がどんな国になっていくのか。今年は歴史の教科書にも太字で記されそうな、すごく重要な年になりそうですね。
構成・片原泰志
プロフィール
中島京子(なかじま・きょうこ)
1964年東京都生まれ。1986年東京女子大学文理学部史学科卒業後、出版社勤務を経て独立。1996年にインターンシッププログラムで渡米、翌年帰国し、フリーライターに。2003年に『FUTON』でデビュー。2010年『小さいおうち』で直木賞受賞。2014年『妻が椎茸だったころ』で泉鏡花文学賞受賞。2015年『かたづの!』で河合隼雄物語賞、歴史時代作家クラブ作品賞、柴田錬三郎賞を受賞。『長いお別れ』で中央公論文芸賞、2016年、日本医療小説大賞を受賞。
長谷部恭男(はせべ・やすお)
1956年広島県生まれ。東京大学法学部卒業。学習院大学法学部教授、東京大学大学院法学政治学研究科教授を経て現在は早稲田大学法学学術院教授を務める。東京大学名誉教授、日本公法学会常務理事、国際憲法学会(IACL)副会長。専門は憲法学、公法学。ロンドン大学客員研究員、ニューヨーク大学客員教授、東京大学法科大学院長などを歴任。「立憲デモクラシーの会」呼びかけ人であり「国民安保法制懇」のメンバー。著書に『憲法学のフロンティア』『憲法と平和を問いなおす』『憲法の理性』ほか多数。
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初出:P+D MAGAZINE(2018/05/20)