芥川賞作家・三田誠広が実践講義!小説の書き方【番外編(2)】村上春樹の想い出 同じ時期に同じ風景を見ていた
芥川賞作家・三田誠広が、小説の書き方をわかりやすく実践講義! 番外編(2)では、同じ時期に同じ早稲田大学にいたという村上春樹の想い出を語ります。
村上春樹さんとは1度だけ会ったことがあります。それもパーティーの会場で立ち話しただけなので、語るほどのことはないのですが、偉大な作家ですので、ぼくにとっての春樹体験みたいなものをお話ししたいと思います。ぼくと村上さんには共通点がいくつかあります。まずは同学年だということですね。生まれた年だとぼくは1歳上ということになるのですが、村上さんは早生まれなので、学年は同じです。関西出身で、早稲田大学の文学部に入りました。早稲田に入った年も同じです。
ぼくは高校で1年休学して、小説を書き始めました。ですから卒業が1年遅れたのですが、ストレートで大学に入りました。村上さんは1年浪人したみたいです。ということは、たぶん東大受験に2度落ちたのでしょう。早稲田の楽しいところは、東大に落ちた人と、早稲田が第一志望という人が、共存しているところです。ぼくは早稲田しか受けませんでした。同じ年に入学したので、同じ風景を見ているはずです。当時の大学は、学園闘争のまっただ中で、大学はほとんどバリケードで封鎖されていました。
当時の文学部は、教養課程が2年間ありました。3年に進級するまでは、専攻が決まらないのですね。早稲田は中退が多いことでも有名ですが、ぼくが入学する2年くらい前に制度が変わって、入学直後に中退すると、仏文中退とか、哲学科中退とか、そういう肩書き(?)がつかないのですね。だから、とにかく教養課程を終了するまでは、がんばって大学に行こうと思っていたのですが、バリケード封鎖で授業をやっていないので、どうしようもなかったのです。レポートを出すとか、別の学部で試験があるとか、そういう表示が出ていたようなのですが、よくわからないうちに単位が足らなくなりました。
それで2年間の教養課程を終了するのに3年かかりました。村上春樹さんの年譜を見ると、やっぱり3年かかっていますね。そうすると、入学も同じだし、専攻に進んだのも同じです。しかも、入ったのが演劇科なのですね。30人のクラスで、まったく同じゼミを受けるはずなのですが、ゼミの教室で村上さんの姿を見かけたことはありません。というか、ぼく自身、ゼミに行った記憶がありません。ゼミに出なくても、何となく卒業できるというのが、早稲田のいいところです。
共通点と相違点
というわけで、学生時代に村上春樹さんと出会うことはなかったのですが、それでも同じ時期に同じ大学にいて、同じ風景を見ていたはずだという、仲間意識みたいなものがあります。ぼくは結局、5年かかって大学を出て、業界誌の記者とか、広告関係の仕事とか、週刊誌のアンカーとか、4年ほど社会に出て働いていました。村上さんは7年くらいかけて大学を卒業するのですが、在学中からジャズ喫茶を始めたようです。その店は最初は国分寺、のちに千駄ヶ谷に移転しました。いろいろ調べていたら、卒論の指導教官も同じ人だったという「発見」をしました。でも、違う点もあります。村上さんはヤクルトファン、ぼくは巨人ファンです。
ぼくは河出書房の『文藝』がホームグラウンドでした。その編集部が千駄ヶ谷にあったので、担当編集者といっしょに村上さんの店に行ったことがあるのですが、時間が早過ぎてまだ開店していませんでした。その時、入口の前をデッキブラシで掃除していたのが、村上さんではなかったかと思います。その時は残念ながら、言葉を交わすことができませんでした。
言葉を交わしたのは1度だけです。何かのパーティーの席上です。村上さんはパーティーなどに出る人ではないのですが、その時は確かに会場にいました。それでぼくは村上さんをつかまえて、しばらく話をしました。入学年度が同じだとか、演劇科の出身だということもその時に確認しました。その他にも何か話したはずなのですが、たぶん、話はあまり弾まなかったと思います。村上さんは見るからにシャイな人ですし、ぼくも、どちらかというとシャイな方ですから。
あの時代に特有の喪失感
村上さんのデビュー作『風の歌を聴け』を読んだ時は、まったく新しいスタイルの作品だと直観しました。おしゃべりの口調で書かれた文体については、読みやすいけれども軽すぎないかと感じたのですが、引用されているディレク・ハートフィールドの言葉には、深さを感じました。そんな作家はいませんから、これが村上さんが捏造した作家だということはすぐにわかりました。少しあとで、誰かに教えられて、カート・ヴォネガットの『猫のゆりかご』を読んでみました。確かに似たところはあるけれども、村上さんの文章の方が、はるかにレベルが高いと感じました。
ぼくが村上さんをすごい作家だと感じたのは、2作目の『1973年のピンボール』です。これは生きる目的を見失った寂しい男が、子どものころに遊んだ電動ピンボールのマシンを求めて、さまよい歩く物語です。でもその背後に、あの時代に特有の喪失感、挫折感があって、その程よいセンチメンタルな感じがとても好きでしたし、その感傷性がきっちりと抑制されていることにも感心しました。この作家は本物だし、大きな作家になるだろうと思いました。ただしこのぼくの感想は、同じ時期に早稲田の学生だったということが関係していると思います。ぼくが喪失したものと同じものを、村上さんも喪失したのだろうと感じました。これはぼくの深読みかもしれません。
村上さんの書くものと、いまぼくが書いているものとは、方向性がまったく違うようにも思うのですが、どこかで重なりあっているところもあるのではないかという気がしています。村上さんは『ノルウェイの森』のようなリアリズムの作品と、『1Q84』のようなSFっぽい作品を書き分ける人です。これからも、スタイルが変わるかもしれません。ぼくと同世代ですから、高齢者ではあるのですが、まだまだ若い作家だといっていいでしょう。ぼくも自分はまだ若いと思っていますから。これから何が出てくるのか、村上春樹から目が離せないと感じています。
初出:P+D MAGAZINE(2020/02/27)