芥川賞をめぐるトリビアまとめ。
作家が作家を選ぶ、そんな選考スタイルが数々のドラマを呼ぶ芥川賞。その過去のトリビアについて紹介します!
2016年1月19日夜、第154回芥川賞、直木賞の受賞作品が発表されました。ネット上でもさまざまな予想がされていましたが、結果は、芥川賞に滝口悠生氏の『死んでいない者』、本谷有希子氏の『異類婚姻譚』の2作品が選出。直木賞は青山文平氏の『つまをめとらば』に決まりました。人気・話題を呼ぶ作品となるに違いないでしょう。
これまでも、繰り返し大変な騒ぎになってきた賞レース。今回は、芥川賞にまつわる過去のエピソードを、様々な角度から振り返ってみたいと思います。
異常な執念、ぬか喜び・・・芥川賞の人間ドラマ
まずは、芥川賞トリビアの「古典」ともいえるエピソードから。
1935年、第1回芥川賞受賞作として石川達三「蒼氓(そうぼう)」が選ばれました。このとき、太宰治の「逆行」が候補作にあがったものの、受賞を逃します。ショックを受けた太宰は、選考委員の川端康成を批判した文章「川端康成へ」を、『文藝通信』10月号に発表します。「私は憤怒に燃えた」「刺す。さうも思つた。大悪党だと思つた」などの過激な言葉が使われたものでした。川端はこれに反論。芥川賞はその最初から、選考をめぐる騒動に突入します。
太宰にとって、芥川賞は喉から手が出るほど欲しいものだったようです。昨年、太宰が選考委員の佐藤春夫に宛てた手紙が新たに見つかりました。その資料には、第2回芥川賞をください、と頼み込む内容も含まれています。
欲しいはずの芥川賞を辞退?
しかし、この一方で、作家であれば皆が皆、芥川賞を喜んで受け取った、というわけでもありませんでした。第11回芥川賞(1940年上半期)の選考で、高木卓「歌と門の盾」が選ばれたときのこと。その知らせを受けた高木は、なんと芥川賞を辞退します。本人はあくまでも「自分の作品は受賞作に選ばれるほど優れていない」と判断したことが理由だったといいますが、この辞退について、文芸春秋社社主の菊池寛は当然いい気はしませんでした。その一方、高木の行為に賛同する声も起こるなど、多くの人のあいだで議論が巻き起こりました。
その議論のなかで、高木と同じ『作家精神』の同人作家である櫻田常久は次のような説を展開します。高木は、自分が辞退すれば、櫻田に芥川賞が授与されるだろうという勘違いから辞退したのではないかというのです。実際に「繰り上げ当選」となることはなかった櫻田でしたが、第12回芥川賞を「平賀源内」で受賞することとなります。
高木にしてみれば、自らの受賞と引き換えに、友人作家に花をもたせるという粋な計らいが空回り。それどころか、当の友人は自力で芥川賞を手にした結果に…。この作家同士の友情関係に基づいた「勘違い説」が本当なら、「もったいないことをした…」と高木本人も思ったのではないでしょうか。
受賞の大誤報!
「芥川賞の受賞が決まりました!」と言われてから、それが「間違いでした」と言われたら、どんな気分になるでしょうか。何とこれは実際に起こったことでした。
第46回(1961年下半期)、選考委員たちは二つの候補作をめぐって、議論を続けます。吉村昭の「透明標本」と、宇能鴻一郎「鯨神」と、どちらに受賞させるべきか。結果を待っている吉村のところに受賞の連絡が届きます。喜んだ吉村は、言われた通り、さっそく車に乗っていくのですが、しかし、これは賞を主催している文藝春秋社の編集者が勘違いをしたことによる誤報でした。実際は、宇能鴻一郎が受賞し、吉村はぬか喜びで終わります。
しかもその後、吉村は受賞候補には挙がるものの、ついに芥川賞を受賞することはありませんでした。芥川賞をとれなかった作家のなかでも、ここまで悲劇的な例は珍しいでしょう。
わいせつ?いやいや、芥川賞受賞作です!
戦後、芥川賞作家として一躍有名になったのが、石原慎太郎。第34回芥川賞(1955年下半期)受賞作「太陽の季節」には、男性器を用いて障子を破るというくだりがあることで有名です。
もちろん、〈性〉というテーマを追求することは純文学でもおなじみであり、驚くには値しません。第75回芥川賞(1976年上半期)を受賞した村上龍の「限りなく透明に近いブルー」も、乱交パーティーやドラッグを描いたものでした。これもまた、「純文学なのだから」という風に考えれば、いちいち目くじらをたてるようなトピックではないといえるでしょう。
しかし、なんとこの小説、もともとのタイトルは「クリトリスにバターを」だったというのだから驚きです。もし仮にこの題名のままだったとして、はたして芥川賞選考委員が受賞作に選んだかどうか、などと考えるものも楽しいですね。
先にも述べた通り、〈性〉は純文学の追求する普遍的テーマのひとつ。とはいえ、どうも官能小説が芥川賞を受賞したことはないようです。ただし、戦時中に遡りますが、芥川賞作家に石塚喜久三という人物がいます。第17回芥川賞(1943年上半期)を、中国を舞台にした「纏足の頃」で受賞しています。その石塚は戦後、『回春室』、『肉体の山河』などの官能小説を書きます。
その他にも、純文学の一線から退いたのち、日活ロマンポルノの原作にもなった官能小説を多数生み出した宇能鴻一郎もまた、「芥川賞作家」から「官能小説家」へと転身を果たした有名な作家です。一見すると異色のキャリアのようにも思えますが、はたしてどこまでが純文学的な性愛表現で、どこからが通俗的な官能小説にあたるのか、これらの作家の作品を手にとって考えるのも楽しいでしょう。
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