連載[担当編集者だけが知っている名作・作家秘話] 第37話 川崎長太郎さんとトタン小屋
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名作誕生の裏には秘話あり。担当編集と作家の間には、作品誕生まで実に様々なドラマがあります。一般読者には知られていない、作家の素顔が垣間見える裏話などをお伝えする連載の第37回目です。今回は、独特なユーモアを持ってオリジナリティあふれる小説世界を切り拓き、多くの人に支持された作家・川崎長太郎さんとのエピソード。その「私小説一筋」だったという魅力を、担当編集者ならではの視点で語ります。
私が大学三年の時と記憶しているが、三鷹だったか吉祥寺だったかの食堂で、注文した料理を待つ間、店に置いてあるグラフ雑誌をめくっていた。
その雑誌は、もちろん新刊ではなくて、その店に長く置いてあるらしく、多くの人の手を経て脂じみてさえいた。
パラパラとページを繰っていた私が目をひかれたのは、一風変わった小説家の、何ページかにわたるグラビア写真だった。それまで私は、その作家のことをまるで知らなかった。
その作家は、川崎長太郎といって、トタン板の小屋に住んでいて、ビール箱を机がわりにし、大きな蝋燭で、明かりと暖をとって、近くの「抹香町」という私娼窟に通って、独特の哀感とユーモアを持って、男女のしがらみを小説化していると説明があった。
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私小説一筋に精進してきたその小説家は、グラビア写真に取り上げられるくらいだから、「抹香町もの」というたくさんの短篇小説で、ブームになっている小説家らしい。
「抹香町」? いかにも作り物めいた、それこそ抹香臭い名前の私娼窟が実際あるのか? まったくのフィクションではないのか?
学生だった私の脳裏に、たまたまグラビア雑誌で見た「抹香町もの」という小説でブームになったこともある川崎長太郎という可笑しな小説家が棲みついてしまっていた。
「抹香町」というのは、よくできた名前だが、小田原駅の近くに実際にあった私娼窟だった。
いまはもちろん無くなった町だが、小田原市浜町の路地に、表に「十王町・抹香町」裏に「じゅうおうちょう・まっこうちょう」と書かれた石碑が建っている。
どうやら、この辺りは、正式には十王町といっていたようで、十王町には、閻魔堂のほか近くに寺が多く建っていて、線香の煙がいつも絶えなかったから、「抹香町」とも呼ばれたと言われている。つまり、まったくのフィクションではない。
川崎長太郎さんが描く「抹香町」は、その十王町に1900(明治33)年を過ぎたころから、ボツボツと現れた私娼街だが、その私娼街が、1923(大正12)年の関東大震災の後に、東の方角に移転させられることになった。その「新開地」は長く私娼街の名前として親しまれてきた「抹香町」と呼ばれ続けたようだ。
この「新開地」は、戦後、「新開地カフェー街」と名乗り、川崎長太郎さんの文によると、
大きな保健所のたつ方角とは反対側の、寺の門前近くに『カフェー街入口』と大書きした、鉄骨アーチ
短篇小説『女色転々』より
があったようだ。
短篇小説『浮草』に、その「新開地」の「抹香町」のことを長太郎さんは、
昔の東海道で、今はアスファルトを敷いただだっぴろい大通りをぶらぶらゆき、二階屋の乏しい、空が広くみえる場末の、漬物屋と八百屋の間の路地へ曲り、少し行って突き当った寺の門前を通り抜け、カン酒、駄菓子等を売る店々がごみごみ並ぶ前を過ぎ、セメントで固めた小さな橋を渡ると、目当ての一劃であった。
橋について、正面を通っている路地の、南側に五本、北側に三本、同じ一間幅の路地があり、南側から北側に抜ける路地も数本あり、大体碁盤の目になっている通路の両側に、申し合せた如く平家建、トタン屋根、とりどりの板塀巡らした娼家が、三四十軒かたまり、パチンコ屋、射的屋、志那蕎麦屋の類もまざっていた。
と書いている。
川崎長太郎さんは、いくつかの自作の短篇小説の中で、当時住んでいた小田原の海の近くにあったトタン小屋のことと、そこでの生活振りを細かく描写している。
たとえば、『亡友』ではこうだ。
かねて馴染の古畳が二枚宙吊りの棚式な場所へ敷いてあり、雨戸をはめた一間幅の押入れ、海へ向いた方にはトタン板で出来た観音びらきもしつらえてある物置小屋は、都落ちしてきた当座、あまり居心地のいいものでもなかったが、追おい近くの防波堤の頭にある公衆便所で、毎朝の用を足し、ついでにそこの水道口で顔を洗う手順にも馴れ、近所の人眼を気にしながら、バケツへ身につけるものを入れて、緑色のペンキもはげた臭い建物の中へ持って行き、ぎごちない手つきしいしい、洗濯までしてのけるあんばいでもあった。
ビール箱を机代り、その上へ原稿用紙をひろげて文字を書く方は、今に始まったためしでもなかった。
別の短篇小説『途上』では、
都落ちしても、通信社向けの匿名仕事で、最低に近い生活費は保証されており、年間二、三篇位稿料の安い文芸誌からの需要も見込まれ、毎日たっぷりオゾンを含む海岸の空気を呼吸して、一膳めし屋あたりで生きのいい魚を口にすれば、こけていた頬にも肉がついてゆく。しかし、二十匁ローソクなんか電気代りに使ったりして、四十近いとしをしながら、ひとりでへんなところへ寝起きしているたわけ者とさげすむ故里人の眼はやはり痛かった。
とある。
このあと、川崎長太郎さんは、十一時に暖簾をかける「だるま食堂」で、一日一回、二十何年間も、必ずちらし寿司を食べ続けた。あきることはなかったようだ。
こんな生活を二十年以上続けていた川崎長太郎さんは、しかし、世捨人ではない。
小説『蝋燭』に、長太郎さんは、良寛の『余生』という詩を紹介しながら、その心境をこう語っている。
雨晴雲晴気復晴
心清遍界物皆清
損身棄世為閑人
初月與花送余生
良寛にこんな詩がある。世捨人の心境の快適さを唱って剰さないと思われるが、私などはまだそこまでいっていないし、またぜひ行きたいとも思わない。まだ娑婆にも人にも愛着があるのだが、では何を望みにお前は生きているのだと問われたら、そんなに派手な返答はむずかしそうであった。
(ルビ筆者)
念の為に、『余生』を読み下してみる。
雨晴れ雲晴れて 気も復晴れる
心清ければ 遍界 物皆清し
身を損て世を棄てて 閑人と為り
初めて月與花に 余生を送る
さて、長太郎さんの「抹香町もの」と呼ばれる短篇小説の数々は、ときに「私」が語り手になることがあるが、自分自身のこととも読める主人公が、いろいろな名前を持って登場している。ちなみにその名を列挙してみると、川上竹七、竹六、参六、捨七、道七であり、そうして抹香町で出会う娼婦たちは、節子であったり、雪子であったり、浜子であったり、初子であったりする。
「抹香町もの」では、こうした名前を持った登場人物たちが、男と女のしがらみを濃厚に演じていくのである。
1981年の『文藝』10月号に、川崎長太郎さんは、『作家の姿勢』と題して、吉行淳之介さんと対談している。
この対談で川崎長太郎さんが語っていることは、当時の文壇のことがよく表現されているので、少し長くなるが紹介したい。
川崎 ちょっと居直るような形になりますけど、昭和八年ですね、文芸復興のことについて書いてきたことがあるんです。昭和八年、プロレタリア文学が急速に下火になりましたね。『文藝』ですね、改造社から出ました。それから『文學界』は文圃堂から出て、小林秀雄だ、武田麟太郎だというのがいますね。『文學者』は尾崎士郎その他でしたね。それから『行動』が、舟橋聖一、阿部知二あたり。そういうわけで、四つばかり新刊になりましたね。大いに文芸復興の気勢が上がったですね。
書く側で見ますと、(徳田)秋声とか、宇野浩二とか、そういう既成作家の面々が息を吹き返して、ダッとのり出す。新進、中堅もそのころから書き出す。で、今言った中堅新進の次に、新人がいるわけです。横光(利一)、川端(康成)の新感覚派と、新潮社系の尾崎士郎とか、岡田三郎とか、いろいろですね。それからいちばん下にわれわれがいるわけです。プロレタリア文学で、出鼻くじかれて、しかも三十代ですね、みんな所帯持ち、子供があるんですね。そういうのが背水の陣を敷くわけです。気風っていいますか。背水の陣を敷いて、同人雑誌をやる。その連中、いま言ったとおり、だいたい三十は過ぎていて、学校出て、もう十年近いというのが多かったわけですけどね。そのなかに、いままでやっていた勤めをやめて、背水の陣を敷いて、同人雑誌へ入った井伏鱒二、中山義秀、上林暁、小田嶽夫、古木鉄太郎。親の仕事をしていた、その仕事をやめて、丹羽文雄の場合は坊主をやめて田舎から飛び出し、外村(繁)の場合は、日本橋の木綿問屋です。代々、近江商人ですね。それが親父の後を引き受けていたけど、業績芳しからずという点もあったでしょうね。やめて、ずっと……。それから田畑修一郎は、山陰に石見益田というところがあるんですね。そこで宿屋をやっていたわけです。それをたたんで、財産を全部金に換えて、東京に来、同人雑誌をはじめる。
もう一つ、学校出て、十年になるけど、どこへも勤めなかった連中もいるわけです。尾崎一雄、中谷孝雄という面々だったんですね。同人雑誌をやるんですけど、五円でしたね、同人費は。
吉行 同人費が、ですか。
川崎 五円でしたね。昭和八、九年。上がつかえているんですよ。大家、中堅、新進、新人ね。吉行君のお父さんのエイスケさんの新興芸術派ね、十三人倶楽部もありましてね。こういう三十代で女房子供もあるトッちゃん連中に、なかなか口がかかってこなかった、丹羽と井伏がいちばんスタートが早かったですね。
1981(昭和56)年、「群像」編集部にいた私は、編集長に言われて、川崎長太郎さんのお宅に原稿をいただきにいく用を言いつかった。たぶん、異動の隙間のため、少しの間長太郎さんの担当に穴が空いたのだろう。
あのトタン小屋に棲む長太郎さんから、新年号のための短篇小説をいただきに行けるなんて、私にとって奇跡のようなものだった。
だが、編集長は、冷たく言った。
「もう、長太郎さんはトタン小屋になんか棲んでいないよ」
なるほど、そうだった。長太郎さんは1962(昭和37)年に、30歳年下の女性を結婚して、小さいながらも普通の家に棲んでいるのだ。
それでも、私は勇躍小田原に向かった。
私を迎えてくれた長太郎さんは、1967(昭和42)年に脳出血で、右半身不随になっていたが、握り寿司をとってくれて、ビールの栓を栓抜きでコンコンと叩いて、栓を抜き、グラスに注いでくれた。
「君は幾つだ」
と、唐突に年を訊かれ、
「37です」
と答えると、
「いいなあ、日本の文壇はどうなっているか、私小説はまだ読まれているか、30年も見られるんだな」
と、川崎長太郎さんは言った。
帰りの電車の中で『途上』と題した短篇小説を読むうちに、「質草も底を衝き勾配、喰うものにことを欠いて、食パンや駅弁を盗んだり、母のゆるんだ前歯の金冠まで毟り取って金に換えたりするていたらくになっていた私」という行に行き当たると、度肝を抜かれて、「私小説はまだ読まれているか」と言ったときの川崎長太郎さんの目の光を思い出して、しばらく呆然としていた。
それより4年ほど前の1977年に、川崎長太郎さんは、菊池寛賞を受賞している。ホテルオークラで開かれた贈呈式に続くパーティの席で、私は、尾崎一雄さんと吉行淳之介さんと三人で雑談をしていた。
吉行さんは思い出したように、
「川崎さんにお祝いのことばをかけてこなくちゃ」
と、言った。それを聞いた尾崎さんは言ったものだ。
「同好の士だものな」
吉行さんは一瞬息を詰まらせたが、すぐに、
「ああ、うまいことを言うなあ。ふたりとも私娼窟を題材に小説を書いてますものね」
と答えながら、川崎さんのいる方へ向かって行った。
【著者プロフィール】
宮田 昭宏
Akihiro Miyata
国際基督教大学卒業後、1968年、講談社入社。小説誌「小説現代」編集部に配属。池波正太郎、山口瞳、野坂昭如、長部日出雄、田中小実昌などを担当。1974年に純文学誌「群像」編集部に異動。林京子『ギヤマン・ビードロ』、吉行淳之介『夕暮れまで』、開高健『黄昏の力』、三浦哲郎『おろおろ草子』などに関わる。1979年「群像」新人賞に応募した村上春樹に出会う。1983年、文庫PR誌「イン☆ポケット」を創刊。安部譲二の処女小説「塀の中のプレイボール」を掲載。1985年、編集長として「小説現代」に戻り、常盤新平『遠いアメリカ』、阿部牧郎『それぞれの終楽章』の直木賞受賞に関わる。2016年から配信開始した『山口瞳 電子全集』では監修者を務める。
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