連載[担当編集者だけが知っている名作・作家秘話] 第41話 藤枝静男さんの奇想
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名作誕生の裏には秘話あり。担当編集と作家の間には、作品誕生まで実に様々なドラマがあります。一般読者には知られていない、作家の素顔が垣間見える裏話などをお伝えする連載の第41回目。今回は、眼科医でありながら小説を書き続けた異色の作家・藤枝静男さんについて。いくつもの文学賞を受賞しており、その簡潔で力強く硬質な文章は、多くの読者や文壇を唸らせました。私小説の名手でもあった、と筆者はその人物像やエピソードを振り返ります。
藤枝静男さんは、小説家でもあるが、眼科医でもあった。私は、眼科医でもある小説家を、この人以外知らない。藤枝さんは、昭和11年に千葉医大を卒業したが、左翼活動をしていたために警察に拘留された前歴が問題となって、医科大学への正式な入局は許されなかった。昭和13年、菅原智世子と結婚。その年の10月、ようやく正式に入局が許され、眼科教室の副手となることができ、さらに昭和17年、平塚市にある第二海軍火薬廠海軍共済組合病院眼科部長となった。34歳のときである。
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藤枝静男さんを肉体的にも精神的にも苦しめ、そして、文学のテーマとなったことがいくつかある。
ひとつは、父親の結核から伝染して、兄弟姉妹が次々と死んでいったことであろう。
1966(昭和41)年に「群像」(1966年9月号)に発表した、短篇小説『一家団欒』に、こんな風に書かれている。
妹ケイ 明治四三年没 一歳
姉ナツ 大正二年没 一三歳
弟三郎 大正三年没 一歳
姉ハル 大正四年没 一八歳
兄秋雄 昭和一三年没 三六歳
父鎮吉 昭和一七年没 七〇歳
主人公の章はすでに死んでいて、内臓のすべてを病院に置いて、彼らが埋まっている墓にもぐっていくと、墓の空間の中に、父を中心にして三人の姉兄が座っている。二人の弟妹は、かたわらの小さな蒲団に寝かされている。これが、藤枝さんにとっての「一家団欒」なのである。
ふたつ目に、藤枝さんを執拗な力で苦しめているのは、性慾である。「群像」1966年2月号に掲載された、短篇小説『硝酸銀』書かれているように、どうやら、その性慾は一族の淫乱な血から来ているようなのだ。同じ『一家団欒』の中に、藤枝さんと思しき主人公が、冬の夜、祖父の道中差しを盗みだして、自分の陰茎のなかほどに刃をあてて引くシーンが書かれている。そして、
引っつれで右に曲ってしまった醜い陰茎を、彼は一生持ちつづけてきた。──そして全ての彼の生活が、そのような恥で貫かれてきた。
とある。自己嫌悪の感情が、さらに藤枝さんを苦しめるのだ。
みっつ目の苦しみは、妻の結核の発病だ。藤枝さんと妻・智世子さんとの結婚生活は39年に及ぶが、智世子さんが健康だったのは最初の4年間だけで、1979年に野間文芸賞を受賞した小説『悲しいだけ』に書かれているように、
戦争末期に肺結核を宣告されたのちの三十五年間は、多少の小休止がはさまれた以外は、八回の長期入院と五回の全身麻酔手術と胸郭整形術と肺葉切除術と気管支の硝酸銀塗抹、乳癌の発見と摘出、再三にわたる転移。背中と脇腹には太いミミズのように盛り上がったケロイドが走り、胸は乳房を切りとられて扁平となっている。最後に癌性腹膜炎によって生を奪われたのである。
智世子さんの人生も辛いことの連続だったはずだが、それをそばで見続けていた藤枝さんの苦しみも辛いことだったと想像がつく。
小説家としての藤枝静男さんの処女作『路』は、昭和22年、39歳のときに、文芸同人誌である「近代文学」に掲載された。原稿用紙25枚程度の短篇小説である。この処女作に、智世子さんの入院先のことが書かれている。
冬枯れの天竜川の河原は、今暮れかかり、白く雪におおわれ、まん中あたりに細い黒い帯のように流れがあった。
という描写があるのを見ると、昭和21年、智世子さんが2度目の喀血をして、秋から約半年の間、人工気胸術を受けた天龍川畔の結核療養所が舞台のひとつになっていることが分かる。
結核療養所に入院している妻を、週に2、3度、食料を持って訪れる主人公の男。季節は、年譜にある通り、秋から翌年2月末までの、約4カ月間。作品の中で、重要な印象を与えるのは、主人公の夫が電車を降りて施設まで40分ほど歩く、山の中の坂路である。この坂路を歩くことが、藤枝さんにとっての人生の象徴なのであろう。
医師と小説家を両立させながら、病気がちの妻との生活を送っている藤枝静男さんは、光頭で、黒縁の眼鏡をかけ、立派な白い口髭を生やしているので、とても威厳のある医師に見える。だが、実際に会ってみると、磊落で、書生のようなところがあり、その容貌に似ず粗忽なところもある好人物なのである。
それは、新人賞の選考のために講談社に来るときなど、担当の編集者が東京駅まで送り迎えをしなくてはならないことで証明できる。藤枝さんは、東京駅から講談社がある護国寺の駅まで、自分で切符を買って乗り換えてくることができないのである。
藤枝さんの言い分によれば、「自動販売機が電車会社によってそれぞれ違うし、駅が変わってしまっていたりして迷ってしまうんだよ」ということである。
藤枝さんが上京するときには、何時の列車の何号車に乗ることが前もって知らされるから、その列車が着くホームに待っていればいいし、帰りは一緒に話をしながら、東京駅まで送っていけばいいのだ。東京に泊まらなくてはならないときは、東京駅に直結しているステーション・ホテルに決めているのは賢い選択だ。
藤枝さん自身が、自分の代表作は『空気頭』と『田紳有楽』だと言っているが、私が好きなのは、『田紳有楽』の方だ。この小説は、「田紳有楽」として10枚を「群像」1974(昭和49)年1月号に、「田紳有楽前書き(一)」33枚を同年7月号に、「田紳有楽前書き(二)」54枚を翌年の4月号に、そして「田紳有楽終節」110枚を、1976(昭和51)年2月号に掲載、この年に加筆の上、講談社から刊行された。
私は、1975(昭和50)年に「群像」編集部に異動していたので、『田紳有楽』の完成に間に合ったし、藤枝さんの送り迎えを任されたりした。
藤枝さんは、何の前置きもなく、唐突に話をはじめる癖があるが、東京駅への向う途中、いきなり、「五島美術館はけしからん」と怒り出した。聞くと、1977(昭和52)年に亡くなった奥さんの親指の爪ほどの遺骨を、この美術館の庭に散骨しようとして、館員に叱られた由、このことは『雛祭り』という短篇で触れられているが、こうした形での散骨は法律で禁止されている。そのことを言ったら、「ふむ」と言って黙り込んでしまった。
『田紳有楽』には、雑駁に要約すると、偽の瀬戸物たちが本物に変身するために池の中で過ごす物語と輪廻の宇宙観の物語が描かれている。
大きなユーカリの木が植っている庭に小さな池がある浜松の家に住んでいる、モグリ骨董屋の磯碌徳山が、4人いるナレーター「私」のうちのひとり。
徳山の周りをウロチョロするのが、骨董品の買い出しを副業している滓見である。滓見は、徳山に骨董の買い方を教えてくれるありがたい存在だが、座敷にちんまり正座していたかと思うと、池に飛びこんで潜ったり、近くの山にある小説家・村松梢風の墓の下に潜って行ったりする神出鬼没の男と言うより、アヤシゲな生き物である。
徳山は池の中に、鯉、鮒、駄金にまじって、近くの田圃でとってきた泥蟹1匹、殿様蛙2匹、泥溝蛙2匹、それと食用蛙の蝌蚪(おたまじゃくし)5匹の他に田螺も10粒ほどを放っている。さらにその池に、志野筒形グイ呑みと朝鮮生まれの柿の蒂と呼ばれている抹茶茶碗と丹羽焼きの丼鉢 と、唐津と備前二枚の皿を沈めているが、それは、これら偽の瀬戸物たちが、池の底で本物に生まれ変わるとの思惑からである。
志野筒形グイ呑みが「私」となって語るのは、同じ池に棲んでいる、出目金と和金の混血児であるC子との分不相応な恋愛だ。静物と生物の性行為は、
私のガランドウの胴腹の中に全身を没入させ、私の内壁にぬらつく卵塊を擦りつけて、竜巻き様の回転運動をくりかえして狂いまわ
ることで成立するのである。
柿の蒂と呼ばれる茶碗が、「私」となって語るのは、池の底から下水道づたいに、新川、佐島湖、浜名湖などを巡り、帰りには今切、遠州灘、天竜川、馬込川とのぼる冒険をしながら、人間に変身できる術を習得したようだ、という話だ。
丹波焼きの丼鉢が「私」となって語ることには、「私」は池底の最古参で、空を飛ぶ術を会得し、本名は滓見白であるとか。物心ついた時分にはもう巡礼僧サイケン・ラマの懐にいて、内蒙の包頭あたりをうろつき、最後の最後にはチベット、ブータン、シッキムの国境に聳えている標高6700メートルのザリーラ峠で、ラマ僧に化けた日本密偵の手に渡り、敗戦後に日本にやってきた。つまりは千古の秘境を往来した挙句、天空を自由に駆けめぐる術まで会得しているわけである。
磯碌徳山が、「私」と名乗り、つらつら語るところでは、
永生の運命を担ってこの世に出生し、釈迦の遺命によって兜率天に住し、五十六億七千万年後に末法の日本国に下向して竜華樹のもとで成道したのち、如来となって衆生に説法すべき役目を負った慈氏弥勒菩薩の化身であるが、今日只今のところモグリ骨董屋に身をやつして街裏の二階屋に日を送っている通称磯碌徳山という者
ということである。
こうして、4人の「私」が揃ったわけであるが、これに偽阿闍梨の黙次だの、日本人密偵の山村三量だの、柿の蒂が人間変身した貝谷歌舞羅などが、入れ替わり立ち替わり、変身術や飛行術を駆使して、摩訶不思議な世界で、摩訶不思議な物語を繰り広げるのであるから、『田紳有楽』が面白くないわけはないのである。
藤枝さんは、1981(昭和56年)から3年間、川村二郎さん、木下順二さん、瀬戸内晴美さん、田久保英夫さんと、「群像」新人賞の選考委員を務めている。
はじめの年の選考で、笙野頼子さんの『極楽』を強く推している。藤枝さんが、狂騒的な語り口と奇抜な設定で知られる笙野頼子という作家の生みの親のひとりだというのは、藤枝静男さんの文学を象徴しているようで、興味深い。笙野さんは、のちに小説『未闘病記──膠原病、「混合性結合組織病」の』で、藤枝さんと同じ野間文芸賞を、2014年に受賞している。
【著者プロフィール】
宮田 昭宏
Akihiro Miyata
国際基督教大学卒業後、1968年、講談社入社。小説誌「小説現代」編集部に配属。池波正太郎、山口瞳、野坂昭如、長部日出雄、田中小実昌などを担当。1974年に純文学誌「群像」編集部に異動。林京子『ギヤマン・ビードロ』、吉行淳之介『夕暮れまで』、開高健『黄昏の力』、三浦哲郎『おろおろ草子』などに関わる。1979年「群像」新人賞に応募した村上春樹に出会う。1983年、文庫PR誌「イン☆ポケット」を創刊。安部譲二の処女小説「塀の中のプレイボール」を掲載。1985年、編集長として「小説現代」に戻り、常盤新平『遠いアメリカ』、阿部牧郎『それぞれの終楽章』の直木賞受賞に関わる。2016年から配信開始した『山口瞳 電子全集』では監修者を務める。
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