連載[担当編集者だけが知っている名作・作家秘話] 第40話 安西水丸さんの色気
![連載[担当編集者だけが知っている名作・作家秘話] 第40話 安西水丸さんの色気](https://shosetsu-maru.com/wp-content/uploads/2026/03/secret-story_40_banar.png)
名作誕生の裏には秘話あり。担当編集と作家の間には、作品誕生まで実に様々なドラマがあります。一般読者には知られていない、作家の素顔が垣間見える裏話などをお伝えする連載の第40回目。今回は、村上春樹さんの作品の表紙を始め、そのイラストレーションが広く知られている、安西水丸さんのエピソード。イラストだけでなく、エッセイや漫画の名手でもあり、数々の媒体のアートディレクターとしても活躍。そんな安西さんとは、どのような人物だったのでしょうか。担当編集者として接した中で、印象に残る秘話です。
私は、1983年に、文庫版のPR誌「イン☆ポケット」の創刊に立ち会うことになった。
このとき、表紙の絵を誰に頼むかで、大いに揉めた。
私は、安西水丸さんを強力に推した。新しいコンセプトの雑誌は、新しく、新鮮な感じのイラストが必要だと思ったからだ。
役員と部長は、「まだ早いよ」と言って、反対した。誰を起用するつもりなのか忘れてしまったが、安定した実績を持つ絵描きを推したはずだ。
何度か押し問答があって、結局、水丸さんに決まった。私は、水丸さんに決まってよかったと、今でも思っている。
同じ年に、村上春樹さんの短篇集『中国行きのスロウ・ボート』(中央公論新社刊)が出ている。「群像」新人賞を1979年に受賞した春樹さんは、翌年に『1973年のピンボール』を、1982年に『羊をめぐる冒険』を出しているので、その間、中央公論新社の『海』という文芸誌に短篇小説を書いてきたのだ。
春樹さんは、タイトルを決めてから小説を書くタイプだと言っているが、この「中国行きのスロウ・ボート」は、テナー・サックスの名手であるジョン・コルトレーンのレコードを聴いて、インスピレーションを受けたと語っている。
![連載[担当編集者だけが知っている名作・作家秘話] 第40話 安西水丸さんの色気 写真1](https://shosetsu-maru.com/wp-content/uploads/2026/03/secret-story_40_image-1024x683.png)
ちょっと話がそれたが、短篇集『中国行きのスロウ・ボート』のカバーの絵は、水丸さんが描いている。単行本としては、水丸さんが春樹さんと組んだはじめての作品である。
このカバーの絵について水丸さんは、「ぼくはいつもの絵の中で、一番強い印象があると思っている線をはずしてみた。絵柄は皿にのった二つの西洋梨にした。見つめているとだんだん見えてくるような絵になったらいいと思った」と述べている。
また、春樹さんは、読者からの質問に対し、この絵の評を、次のように述べている。
僕は『中国行きのスロウ・ボート』の表紙を最初に見たときの驚きは忘れられません。ほんとうにセンスの良い、素晴らしい絵でした。担当編集者は「これのどこがいいの?」と首をひねっていました、わからない人にはわからないんだなあと、つくづく思いました。
わからない人にはわからないんだなあという感想は私の感じ方と同じだなと思ったものだ。
ちなみに、「イン☆ポケット」の創刊号から、村上春樹さんは、連作集『回転木馬のデッド・ヒート』を掲載してくれている。
そんなことがあって、水丸さんとはよく付き合うようになった。たぶん、村上春樹さんと三人のこともあった。春樹さんは、朝の4時に起きるらしく、夜、9時近くになると、眠たげに眼が半分くらいになったのを思い出す。
水丸さんは、幼いころ、身体が弱かったせいか、色白で、空咳をひっきりなしにしていた。それが妙に色っぽく見えた。当時流行ったIVYルックというのだろうか、アンダーにチノパンツを履いて、上にふんわりしたジーンズ地のジャンバーを羽織っているのが、また妙に水丸さんに似合っていた。
会うたびに、水丸さんはモテるだろうなあと思ったものだ。
水丸さんの本で、私が好きな一冊は、和田誠さんとの共著で、村上春樹さんが解説を書いている『青豆とうふ』(新潮社刊)という文庫本だ。
この単行本の刊行は、2001年に青山の画廊で、和田誠さんと水丸さんとの「NO IDEA」というコンセプトのふたり展が開かれたことにはじまる。そのアイデアを本に出来ないかと相談して、和田さんが文を書くときは水丸さんが挿絵を、反対に、水丸さんが文を書くときは和田さんが挿絵を描くという企画が、「小説現代」で実現して、2003(平成15)年に単行本になったのである。
新潮社版の文庫の巻末に、村上春樹さんが「文庫版のおまけ」を書いている。『青豆とうふ』という本のタイトルは、「たまたま僕がつけたものです」とあり、
水丸さんと一緒に、渋谷近くの小さな居酒屋のカウンターでお酒を飲んでいて、「今度、和田誠さんと一緒に本を出すんだけど、村上さん、そのタイトルをなにか考えてよ」
と続けている。「そのとき僕はちょうど『青豆とうふ』というものを日本酒のつまみに食べていたので、『そうだなあ、じゃあ、〈青豆とうふ〉でいいんじゃないですか』ということになりました。」ということらしい。
私は、「小説現代」に連載したときには、すでに『青豆とうふ』というタイトルだったと記憶しているが、果たしてどうだったのだろう。私の記憶違いだろうか。
ランダムハウス社と講談社が合資して、ランダムハウス講談社というべンチャー会社を立ち上げたとき、私が水丸さんと作った本で、どうしても忘れられない翻訳の本がある。
2006(平成18)年に出版した、トルーマン・カポーティの『Summer Crossing』を翻訳した本である。
水丸さんは、1969(昭和44)年から2年間、ニューヨークのデザイン事務所に勤めていて、英語には強い。しかもカポーティの本は全部読んでいるという。私も、カポーティの主要な作品をすべて読んでいるし、カポーティ役でアカデミー主演男優賞を受賞した、フィリップ・シーモア・ホフマンの映画『カポーティ』も観ている。ふたりともカポーティ・フリークなのだ。
水丸さんは、多忙な時期なのに関わらず、翻訳を快諾してくれた。ひとつだけ問題なのは、『Summer Crossing』をなんという邦題にするかということだった。Summer Crossingとは、その昔、夏の間、暑いニューヨークを避けて、ヨーロッパに避暑に行くために大西洋を航海することだそうだ。悩んだ挙句、水丸さんがあとがきにも書いているように、「主人公たちが行き交う、マンハッタンとブルックリン。また登場人物に見る人間関係。小説のなかでさまざまな交叉が展開していきます」というところから、『真夏の航海』という邦題に決めた。
ところで、カポーティの『Summer Crossing』は、常識では考えられほどの奇跡的な運命をたどっている。
1940年代のある時期、トルーマン・カポーティはのちにこの原稿を捨ててしまうが、カポーティが住んでいたアパートの家主が1950年に、カポーティが原稿を捨てたゴミの山から拾い上げて、保存していたのだ。
この小説は2005年、ランダムハウスから、『Summer Crossing(サマー・クロッシング)』というタイトルで出版された。
Summer Crossingはカポーティの二作目の小説。1943年に、ニューヨークを舞台に、社交界の名士の娘と駐車場の係員をしている男とのひと夏の恋の物語『Summer Crossing』を書きはじめる。このとき、カポーティはThe New Yorker誌で働いていた。評判の高かった処女作『遠い声 遠い部屋』のあと、完成させた『Summer Crossing』はランダムハウスの編集者からはいい評価を受けなかった。カポーティ自身も、「よく書かれていていい文体もあるけれど、気にいらない」と、その原稿を捨ててしまったのだ。
その原稿は、幸いにも家主に拾われて、その甥の手にわたり、2004年のサザビーの競売に出展された。トルーマン・カポーティ文学財団は、「どこかが買ったとしても、買えるのは紙の原稿だけで、出版の版権は我々が持っている」と主張して、結局、New York Public Libraryが、紙の原稿だけを買い取り、カポーティ・コレクションの中に保存することになった。
この小説の出版権は、ずっとカポーティの作品を出版してきたランダムハウスが買い取り、2005年、抜粋がThe New Yorkerの10月号に掲載され、同じ年にランダムハウスから出版されることになった。
高級なプラザホテルで食事をするような上流階級のマクニール一家は、毎年、真夏にニューヨークを抜け出し、ヨーロッパなどで避暑をするSummer Crossingに行っていたが、今年は17歳になった娘のグレディ・マクニールが同行を拒否する。ニューヨークに残ったグレディは、数ヵ月前に知り合った、ユダヤ系の駐車場係のクレイド・マンザーとの密かな恋に夢中になる。グレディはクレイドと共に過ごし、彼の友だちと会ったりする。とくにセントラル・パークの動物園で過ごすふたりの時間は秀逸なシーンになっていて、カポーティの才能をうかがわせる。
ふたりの恋はニューヨークの暑さと同じように、燃え上がり、結婚までする。クレイドの家を訪ねたグレディは、自分たちの階級との差を意識せざるを得なくなる。そして、姉の家で、妊娠6週間であることを知る。
グレディが運転する車は制御不能になり、グレディの幼馴染のピーター、今の恋人のクレイド、そしてクレイドの友人のひとりであるガンプを乗せたまま、クイーンズボロ橋から墜落してしてしまう。この突然の終幕を迎えて小説が終わる。
水丸さんは、簡単で、精細なタッチで女性を描くのが上手い。「好きこそモノの上手なれですね」と、水丸さんの「女好き」を茶化したことがある。水丸さんは知らんふりをしていた。
2015(平成27)年に出版された、『真夏の航海』の講談社版文庫のカバー絵は水丸さんが書いている。まだ女でなく、もう少女でもないグレディが、簡単な線画のエンパイアステート・ビルとクライスラー・ビルを背景にこちらに顔を向けている。赤い唇が印象的で、これを見たら、カポーティも捨てたはずの原稿がこうした形になったことに満足するはずだ。
【著者プロフィール】
宮田 昭宏
Akihiro Miyata
国際基督教大学卒業後、1968年、講談社入社。小説誌「小説現代」編集部に配属。池波正太郎、山口瞳、野坂昭如、長部日出雄、田中小実昌などを担当。1974年に純文学誌「群像」編集部に異動。林京子『ギヤマン・ビードロ』、吉行淳之介『夕暮れまで』、開高健『黄昏の力』、三浦哲郎『おろおろ草子』などに関わる。1979年「群像」新人賞に応募した村上春樹に出会う。1983年、文庫PR誌「イン☆ポケット」を創刊。安部譲二の処女小説「塀の中のプレイボール」を掲載。1985年、編集長として「小説現代」に戻り、常盤新平『遠いアメリカ』、阿部牧郎『それぞれの終楽章』の直木賞受賞に関わる。2016年から配信開始した『山口瞳 電子全集』では監修者を務める。
![連載[担当編集者だけが知っている名作・作家秘話] 第40話 安西水丸さんの色気2](https://shosetsu-maru.com/wp-content/uploads/2026/03/secret-story_40_image01.png)
![連載[担当編集者だけが知っている名作・作家秘話] 第39話 川村二郎さんの俗世の牧歌](https://shosetsu-maru.com/wp-content/uploads/2026/02/secret-story_39_banar_t-e1771386564458.png)
![連載[担当編集者だけが知っている名作・作家秘話] 第38話 嵐山光三郎さんの顔](https://shosetsu-maru.com/wp-content/uploads/2026/01/secret-story_38_banar_t-e1768387503396.png)
![連載[担当編集者だけが知っている名作・作家秘話] 第37話 川崎長太郎さんとトタン小屋](https://shosetsu-maru.com/wp-content/uploads/2025/12/secret-story_37_banar_t-e1765884250564.png)
![連載[担当編集者だけが知っている名作・作家秘話] 第36話 五木寛之さんと日航機事故](https://shosetsu-maru.com/wp-content/uploads/2025/11/secret-story_36_banar_t-e1762944340969.png)
![連載[担当編集者だけが知っている名作・作家秘話] 第35話 田中小実昌さんの偉さ](https://shosetsu-maru.com/wp-content/uploads/2025/10/secret-story_35_banar_t-e1759991353958.png)
![連載[担当編集者だけが知っている名作・作家秘話] 第40話 安西水丸さんの色気](https://shosetsu-maru.com/wp-content/uploads/2026/03/secret-story_40_banar-600x315.png)