連載[担当編集者だけが知っている名作・作家秘話] 第39話 川村二郎さんの俗世の牧歌
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名作誕生の裏には秘話あり。担当編集と作家の間には、作品誕生まで実に様々なドラマがあります。一般読者には知られていない、作家の素顔が垣間見える裏話などをお伝えする連載の第39回目。今回は、ドイツ文学者として知られ、文芸評論家の草分け的存在・川村二郎さんとの交流を振り返ります。評論、という分野だからこその独自視点や、文学研究者としての視点、ある意味二面性のある川村さんとのエピソードを、編集者ならではの視点で切り取り、その魅力をお伝えします。
私は、1975(昭和50)年に、エンターテインメント小説雑誌「小説現代」編集部から、純文学の極北と謳われていた「群像」編集部に異動した。
純文学誌の誌面には、連載評論が掲載されていたりするのが特徴で、編集者も評論家との付き合いが多くなった。「群像」の新人賞は、「新人文学賞」と言って、「文学」という文字を入れていて、小説部門と当時に評論部門がある。この評論部門を受賞して、秋山駿さんや柄谷行人さんなどがデビューした。第20回には中島梓さんが受賞しているが、中島さんはその翌年、栗本薫名義で江戸川乱歩賞を受賞して、一躍流行作家になっていって、世間を驚かせた。
文芸評論家になるには、新人賞を登竜門にするほか、大学の文学部の教師からなっていくケースもある。スラブ文学者の沼野充義さん、アメリカ文学者の佐伯彰一さん、ドイツ文学者の高橋英夫さんなど、外国語文学も多彩である。
評論の掲載が少ない小説雑誌から異動した私にとって、そうした文芸評論家たちとの付き合いは新鮮な感じがした。
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ドイツ文学者であり、文芸評論家でもあった川村二郎さんと一緒に過ごした時間は、私にとって、不思議でもあり面白い時間でもあった。と言うのも、川村さんは、いろいろのことで、ふたつの面を合わせ持っていたと、私は思っているからである。
川村さんは、小柄な体格だった。そして、その一挙手一投足に、いわゆる世間ずれがしていなくて、純粋な感受性が表れているように感じられた。
しかし、文学論でも、芸術論でも、あるいは下世話な話題でも、川村さんが、ひと度、口をきくことになると、辛辣で、かつ皮肉な論調に変わってしまう。もちろん、口にする内容は往々にして、厳しいものである。
川村さんは、酒を飲むのが好きだ。それでも、その飲み方たるや、いやいや飲んでいる風である。そして、あろうことか、川村さんは、酒乱の気味がある。
同じく酒の上で乱暴な振る舞いのある中上健次さんと、川村さんは酒席を共にしていたことがある。中上さんの暴言に腹を据えかねた川村さんは、立ち上がって、中上さんの胸ぐらを掴んだという逸話があるくらいなのだ。いや、私に聞こえてきた逸話では、川村さんが中上さんの胸ぐらを掴もうとしたが、相手は巨漢ゆえ、胸ぐらに届かず、臍ぐら(つまりは、臍のあたり)を掴んだと変わっていたのだが。
かくのごとく、川村さんの感覚は、表裏一体の二面性を持っているのである。だから、当時の言葉で軽蔑的に言われた「挿絵のある」小説雑誌から異動してきた私に、川村さんは興味を持ったようだ。
私はと言えば、川村さんが、「群像」の1978年の1月号から12月号まで連載した『感覚の鏡』という作品を面白く読んだ。ありていに言えば、『感覚の鏡』が書籍になったときの「あとがき」に、川村さんは、「この書物は吉行淳之介の文学の、包括的な解説、乃至手引を意図したものではない」と書いているが、私はこの書物を手引きとして、吉行淳之介作品を再読したのである。私は、「感覚」と「鏡」という言葉は川村さんと吉行さんを結ぶキーワードだと思っていた。川村さんの研ぎ澄まされた感覚の鏡に、吉行さんの芸術家としての感覚がどう写し出されているのか興味があったのだ。
吉行さんは、『私の文学放浪』の中で、「私に大きな影響を与えた二冊の本」として、『梶井基次郎作品集』とともにトマス・マンの『トニオ・クレーゲル』(訳者不明)を挙げている。これを引用した川村さんは、吉行さんの、市民に対する芸術家、大勢に対する少数派という感覚に共鳴を覚えたはずだ。
ところで、こういう文学的な感覚を持つ川村さんが、「川崎長太郎自選全集(全五巻)」が、1980年河出書房新社から出版されたとき、推薦文を書いた5人の作家の一人となっているのが、一見、私には不思議だった。
と言うのも、推薦人の3人は、川崎さんと同じ小田原に住んでいる私小説家の尾崎一雄さんが「彼の作品こそ、日本私小説の純血種」と、宇野浩二に師事したことのある水上勉さんが「私小説の極北」と、そして吉行さんが「私小説というのは我が国の風土に適った『詩』のようなもの(もちろん、氏の作品は十分に『散文』であるが、にもかかわらず)だ」と、いずれも「私小説」という言葉を使って、川崎さんの作品を推しているからだ。
川村さんは、私小説嫌いではなかったのか? 吉行さんの「私娼街を舞台とした小説」と同じ「私娼街」を舞台にした川崎さんの小説を、単に、私娼街でというつながりで推しているのか?
ところが、もうひとりの推薦人、澁澤龍彦さんは、「したたかな散文が生み出す特有のユーモアもあるし、一種いうにいわれぬダンディズムもあるからだ。そして、超低空を飛ぶひとの高等技術が必要だということは、あらためて私が説くまでもないことであろう」
と、言っている。
この言葉に共感する川村二郎さんは、川崎さんの『鳳仙花』の解説の中で、
「川崎長太郎の文学については、澁澤龍彦の評言以上に、簡潔にして的確な讃辞のあることを知らない」と述べている。そして、この川村さんの解説のタイトルは、「俗世の牧歌」となっていて、「構えのない受身の人、川崎長太郎は、(略)陋屋に逼塞しながら、地上一寸の生のなつかしい牧歌を紡ぎだしてみせるのだった。」と締めくくっている。
俗世の牧歌。反語を含んだいい言葉だ。
川村さんは、戦中の高校生時代、勤労動員の工場の薄明りの中、休憩時間に初めて読んだ、ホフマンスタールの「体験」と「数多は勿論……」の二篇に異様な衝撃を受けた。このとき、川村さんは文学的な眼を開かれたと言っていい。
なるほど、「俗世の牧歌」という言葉を見ると、ホフマンスタールの詩を愛する川村さんが、川崎長太郎さんの私娼街を舞台にした私小説を推す理由も分かる。
文芸時評家としての川村さんの存在も大きなものがある。
1978(昭和53)年3月、私が担当した林京子さんの短篇連作『ギヤマン ビードロ』が完結した。そのときに、川村さんは、「連載中に読んで、その時々の感想を持ったが、改めて全体を通読し、この作家が小説家として骨太になったのに感銘した。」と書いてくれた。
また、これも私が一篇だけだが、「傷」という短篇を担当した吉行淳之介さんの連作『夕暮まで』が完結したときも、川村さんは、
連作の第一作『夕暮れどき』が昭和四十年七月号の「文藝」に発表されてから、あちこちの雑誌に断続的に書きつがれ、十三年を経て。第八篇に当たる今月の作で完結したというわけである。
(略)
これまでの『傷』や『夜の警官』や『血』と同様、『夕暮まで』も、その力において際立っており(以下略)
と、手放しにほめてくれた。
同時に、時評家の川村さんは「群像」の新人賞にも目を通していて、1987(昭和53)年の、中沢けいさんの『海を感じる時』に好感を持ったと書いてくれ、1989(昭和54)年、村上春樹さんの『風の歌を聴け』には、「とにかく才気煥発の印象がある」と評してくれている。
反対に、1981年には、「今月は長老の長い作も幾つかある。」という書き出しで、「川崎長太郎の『地下水』(「すばる」)は、小田原海岸の物置小屋に住む「庄太」という男の、満州事変勃発から太平洋戦争末期までの生活記録」と紹介して、「同じことを飽きもせずにくり返し書くものだ、と啞然とする気持ちもなくはない。だが、愛読者にとっては、贔屓役者の同じ演目を何度見ても楽しい芝居好きのように、くり返しは何の苦にならぬことかもしれない」と、若手ばかりでなく、長老への目配りも欠かしていないのである。
川村さんは、私が「小説現代」編集部にいたことで、変な興味と期待を抱いたらしかった。
私も、その期待に沿わなくてはと、一度、友人が店長を任されている、新宿の路地の中にあるアダルト・ショップに案内したことがある。アダルト・ショップとは、張型などの性具や、非合法に近いヘア・ヌードの写真集などの裏本を売っている店のことだ。裏本とは、今は死語になったと思うが、若い女性の性器を露出させり、性交まがいの写真を掲載した薄手の写真集だった。
川村さんの、純粋な感性の日頃の生活を知っている私は、こんなところに案内して、激怒されるかと戦々恐々たる心持ちだったが、案外、川村さんは興味深げに裏本の棚を熱心に見て回っていた。そして、「清純な可愛い女の子がモデルなのがないかなあ」と呟いていた。
結局、気に入ったモデルのものがなくて、手ぶらで店を出てきたが、その実力もないくせに、私は意地でも、もっと淫靡ところへ川村さんを連れて行きたくなっていた。
次の機会には、川崎のストリップ劇場に行くことになった。当時のストリップ劇場では、過激なサービスがより過激になり、ある劇場では、観客からの志願者が舞台の上で、踊り子を相手に性行為を見せるサービスさえあった。ここ川崎では、踊り子が客席に降りてきて、ある観客の横に座り、その男性のペニスを出して、シゴいて見せて、最後の絶頂までいかせるというサービスが売り物だった。ひとつだけ席が空いていて、ストリップ見物は初めてだという川村さんはそこに座った。
やがて、踊りを終えた踊り子が、話題のサービスのために、観客席の椅子の背もたせをつたいながら、踊り子が川村さんのいる方向に近づいてきた。
危うし、川村さん。踊り子に黙ってペニスを触らせるのか?
ジリジリと踊り子は川村さんのいる方向に近づく。
川村さんは、背筋を伸ばして、微動だにしない。淫靡なサービスを受ける決心をしたのか?
踊り子が、ついに相手に選んだ男は、幸か不幸か、川村さんの前の列の男になった。その男の隣の席の男をどかして、そこに座るや、踊り子はその淫靡なサービスを始めた。
そのサービスが行われている間も、川村さんは眉ひとつ動かすこともなく固まったようにしていた。
その踊り子がコトを済ますと、場内が明るくなった。
出口に向かいながら、私たちは無言のままだった。
ドイツ文学者なのに、川村さんは、日本の語り物について面白い本を書いている。
その一冊が、『語り物の宇宙』(1981年 講談社刊)で、そのあとがき「旅の機縁」に、
古い語り物への興味は、折口信夫や柳田国男の仕事にふれることによって初めて、はっきりした形と方向を取ったのである。
(略)
彼らの導きによって、形の整った、いかにも文学とは異質の、およそ無骨で荒削りで、文化的洗練とは縁遠い、しかしその代わりに、なまなましい生の息吹がそのまま噴き上げてくるような力強さを持つ文学の世界へ、目を開かれたのだった
と書いている。
表4の惹句にも、伊吹山の天狗に妻を捉われ、山々を遍歴する「甲賀三郎」。地獄巡りの「小栗判官」。ギリシャ神話に通う「しんとく丸」。浄瑠璃、歌舞伎、説経節などに息づく庶民の英雄たち。柳田国男、折口信夫らの先駆的業績を踏まえつつ、遥かな神話、伝説、に始源する「語りの世界」の魅力を豊饒な自立した言語表現として初めて本格的に論究するとある。
この日本の語り物の世界への興味が、川村さんを、次の作品のための日本巡礼に誘い出すのである。川村さんは、1978年から九年の歳月をかけて、全国六十八ヵ所の一宮を巡歴した。
土地に結びついた神秘と交感しながら、地方色に富んだ風景にとけ込み、記紀や民間伝承文芸などの叙述をふまえて、地神・外来神などと、祭神の関係をつづった。
そこで出来た一冊が、『日本廻国記 一宮巡歴』(1987年 河出書房新社刊)である。
ドイツ文学者の川村さんは、日本の人々と祭神の関わりを説く物語の中に、日本文化の根底を見すえるのである。
【著者プロフィール】
宮田 昭宏
Akihiro Miyata
国際基督教大学卒業後、1968年、講談社入社。小説誌「小説現代」編集部に配属。池波正太郎、山口瞳、野坂昭如、長部日出雄、田中小実昌などを担当。1974年に純文学誌「群像」編集部に異動。林京子『ギヤマン・ビードロ』、吉行淳之介『夕暮れまで』、開高健『黄昏の力』、三浦哲郎『おろおろ草子』などに関わる。1979年「群像」新人賞に応募した村上春樹に出会う。1983年、文庫PR誌「イン☆ポケット」を創刊。安部譲二の処女小説「塀の中のプレイボール」を掲載。1985年、編集長として「小説現代」に戻り、常盤新平『遠いアメリカ』、阿部牧郎『それぞれの終楽章』の直木賞受賞に関わる。2016年から配信開始した『山口瞳 電子全集』では監修者を務める。
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