『江分利満氏の優雅で華麗な生活』刊行記念 山口正介×宮田昭宏トークイベント&サイン会
新聞連載小説だった『結婚します』の初出掲載紙が不明の謎!?
それでは、皆さんからあったご質問等に移らせていただきます。まず最初に「一番好きな山口先生の著作は何でしょうか?」。
山口:僕はうちの親父の自家薬籠中のものというと、ドスト氏―関頑亭先生と日本中スケッチしながら旅行した『湖沼学入門』とか、あのあたりが僕は一番好きですし、うちの親父らしいな、父というか山口瞳らしさが一番出てるんじゃないかなと思ってます。
――宮田さんの方は?
宮田:僕は先ほどから申し上げてるみたいに、我が家がスタートした『血涙十番勝負』っていうのが、やっぱり思い出に残ってます。ただ、読者として見ますと、山口さんは短編がとてもいいものですから、『世相講談』、あれが山口さんらしくていいんじゃないかなあ。僕は一番好きですね。
山口:それに付け加えるとしたら、『世相講談』って非常に入手が困難だったんですよね。だから一般に知られてないんですけど、沢木耕太郎さんも、うちの親父の最高傑作といったら『世相講談』と。
――ちなみに『世相講談』は、電子全集では第11回、今年の8月25日に『結婚します』とともに配信です。
宮田:今『結婚します』っていうのが出たんですけど、『結婚します』は昭和40年に単行本になっています。山口さんの年譜にも出てるんですが、この小説をどこでどういうふうにお書きになったかっていうことが未だに不明なんです。沼田陽一さんが『谷間の花』が文庫化されたときの解説に、「この小説は山口瞳さんが地方紙に連載した」っていうことを書いてるんですが、その地方紙が何であるか書いていない。その中の治子さんとの会話に「河北新報」って出てきたりするんですけど、そこをあたってみても記録がない。
山口:そうなんです。
宮田:この小説のなかに1か所だけ、時代、時を特定するシーンがあるんです。初めてのお見合いのときの2章目なんですけど、そこに「3月22日の日曜日」とありまして、3月22日が日曜日っていうのは、1963年。その3月22日に巨人と国鉄スワローズのダブルヘッダーがあるっていうのが小説の中に出てくるんです。調べてみると確かにダブルヘッダーがありまして、その前に開幕戦があって、20日と21日にそれぞれシングルのゲームがあるんです。そこで王と長嶋が巨人が入れた9点のうちの7打点をたたき出してるっていう記述があるんです。どなたか心当たりなり、あるいは何かヒントがございましたら、ちょうだいできると大変ありがたいです。
会場の声:このことについてはたまたま私が調べる機会がございまして、山口先生をご存じの方でも山口瞳の会を立ち上げた中野朗さんという方がいらっしゃるんです。今、北海道にお住まいで、著作が何冊かございます。その中野さんとたまたま昨日、この話をしておりましてですね、「岐阜日日新聞」に昭和39年の8月18日から昭和40年の3月17日まで、計210回、ということを、たまたま中野さんが何かのメモとして残してらっしゃる。ただ、中野さんご自身はその確認はされてないんです。現物をごらんになったかどうかというのがわからない。
宮田:最後がいつですって?
会場の声:昭和40年の3月17日なんです。
宮田:それはちょっとあり得ないかなあ……。
会場の声:実はその奥付の問題と少し絡んでくるところがあるんですね。
宮田:3月5日なんですよね、奥付が。
会場の声:若干の記憶の違いがあるのかもしれません。
宮田:通信社は配信していないっていうことは調べてもらったんです。個別に、ある地方紙が直接山口さんに交渉したということは考えられるので。「岐阜日々」をすぐ調べるようにします。どうもありがとうございます。
――時間に限りがありますので、あと2つくらいで。山口瞳さんはよくお酒を召し上がったと思うんですけど、自宅であるいはなじみの店で飲んでらっしゃったような銘柄とか、そういうのは何かありますか?
山口:銘柄は書いたものを読んでいただければ全部書いているので。洋酒はサントリー、日本酒は菊正宗ですよね。その樽酒。
――わかりました。あと、「山口家の庭は今どうなっていますか?」
山口:えーとこれがね。なるべく現状維持と思ったんですけどね。ついうっかりして水やりと肥料をやるのを怠っていたら、だんだん枯れてきちゃって、今年から少しがんばって盛り返すようにしようと思ってます。
――宮田さんへの質問です。「旅へも同行されたことはありますか? ニックネームはおありですか?」
宮田:『血涙十番勝負』を「小説現代」で連載するようになってからですから、十八編を僕が担当してるんですけれど、そのうちで地方に行ったことはあります。関西、名古屋、それから近いところでしたら小田原。時々同じ部屋で寝ることがあって、山口さんは野球なんかやってらしたので、時々ムチムチした太ももを見たりするようなことがありました。あと、いっぺんだけ、将棋の帰りの新幹線でちょっと昼酒を飲み過ぎて山口さんに絡んだことがありますけど、それはうまく小説のなかではかわして書いていただいて、ほっとしたことを覚えています。その当時、僕は『血涙十番勝負』の中ではミヤ少年と書かれていました。小柄だったのと、その頃はこんなしわくちゃじゃなくて、自分でもちょっとうっとりするぐらい(笑)紅顔の美少年だったものですから、ミヤ少年っていう。カタカナでミヤ。「盤側で溜息ばかりつくミヤ少年」っていうふうに。「予算のことが気になるのかなあ」なんていうことが書かれていますけれど、そんな感じです。
山口:うちの親父、いろんなものを書いてきましたけど、ここにもある『江分利満氏の優雅で華麗な生活』の優雅と華麗、『月曜日の朝』と『金曜日の夜』、『血族』と『家族』、っていうふうにカップルになった作品が多い。そのなかで『結婚します』『結婚しません』というのも、これもまたカップル、対になっているんですけど、そういう瞳文学を象徴するようなカップルのうちのひとつ『結婚します』『結婚しません』の『します』の出自がわからないというところが、一番のおもしろいというか、謎なんです。どこに最初に書いたのか、誰に聞いてもわからない。それで宮田さんが先ほどからこだわっているんですね。
宮田:そうですね。それは非常な謎なものですから、今度「岐阜日日」をあたって、その結果は電子全集11巻を見ていただければ、僕が「解題」を書いていますので、どうなったかということがおわかりになっていただけると思います。で、『結婚します』と『結婚しません』は、僕の好みでいうと『しません』の方が断然いいと思います。やっぱり、しちゃうとだめなんですね、小説としては(笑)。
――ありがとうございました。
プロフィール
山口正介 作家、エッセイスト、映画評論家として活躍。『ぼくの父はこうして死んだ 男性自身外伝』『江分利満家の崩壊』(新潮社)など、父・山口瞳に関する著作も多い。
宮田昭宏 文芸編集者。1968年講談社に入社。「小説現代」、「群像」等の編集部を経て、1982年、「IN☆POCKET」創刊編集長。その後、「小説現代」の編集長、文芸局長を歴任。山口瞳の担当としても『血涙十番勝負』はじめ、多数の作品を手がけた。
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初出:P+D MAGAZINE(2017/04/18)