山口瞳-昭和の戦後庶民を描いた「男性時代」等、“エッセイの達人”の世界が蘇る!
昭和の世相を「週刊新潮」に連載し続けた「男性自身」シリーズを始め、競馬、将棋、野球にも造詣が深く、多彩な作品を遺し“エッセイの達人”といわれた山口瞳。その初めての電子全集の配信がスタートしました。息子・正介氏からの熱い想いが込められた寄稿文を掲載します。
昭和の世相を、32年間、全1614話に渡って、「週刊新潮」に連載し続けた「男性自身」シリーズを始め、競馬、将棋、野球にも造詣が深く、多彩な作品を遺し“エッセイの達人”といわれた山口瞳。
山口瞳は雑誌編集者を経験した後、開高健の後任として寿屋(現サントリー)宣伝部に入社し、PR雑誌「洋酒天国」の編集長を務め、コピーライターとして「トリスを飲んでHawaiiへ行こう!」の名キャッチ・コピーを生み出した、開高健と並ぶ、初期コピーライターのスターです。
やがて、サラリーマンと作家の二足の草鞋を履きながら、高度成長期のサラリーマン生活の悲哀を「婦人画報」に連載した『江分利満氏の優雅な生活』で、第48回直木賞を受賞した山口は作家専業となります。その後は、「男性自身」、「礼儀作法入門」等の軽妙なエッセイのほか、親族や息子を登場させるなど、自身の内なる物語を外の世界に向かって発信し、実母の半生をモデルに描いた小説『血族』で第27回菊池寛賞を受賞する等、第一線で活躍し続けた昭和を代表する作家のひとりです。
そんな一流作家・山口瞳の全集が、初めて電子書籍として蘇ることに。
12月22日より、『山口瞳電子全集』の配信が開始。その特典として、特別監修を務める長男・山口正介氏が、毎回、父との思い出や、各作品の背景等、家族でなければ知りえない裏事情等を綴る回想録「草臥山房通信」を寄稿しています。
電子全集配信開始に向けて、正介自身より「草臥山房通信」寄稿について“熱い思い”
と“その意義”について序文を寄せてもらいましたので、ご一読ください。
山口瞳ファミリー揃い踏み。写真右より山口瞳、妻・治子、長男・正介
『山口瞳電子全集』配信開始に寄せて
山口 正介
作家であった父・山口瞳の個人全集が、電子書籍として配信されることになった。
山口瞳としては、はじめての完全版個人全集である。
筆者自身が作品を選んだり若干の手直しをすることができるということで、生前に個人全集が出版されることも少なくないが、多くは死後に刊行されるものだ。死後でなければ、全貌がつかみにくいということもある。
瞳の場合、生前に、「山口瞳大全」があるが、これは選集的なもので、小説に関しても、すべての作品を網羅したものとはいいがたい。
この電子書籍版の「山口瞳全集」はアーカイブ的なものになると思う。つまり、瞳が書いたものは、なにもかも収録してしまおうということが基本となる。
一橋大学の文化人類学の教授で、山口瞳の競馬友達として知られる長島信弘先生からアーカイブの重要性をうかがったことがある。
先生は、どの作品や習作が、後になって重要になってくるか、今現在はわからないので、ともかく一切合切収集しておくということがアーカイブなのだとおっしゃる。重要な作品や貴重な資料だけを収蔵する美術館などとは性格が異なる。
アーカイブとは、思いついた一、二行の言葉をバーのコースターや喫茶店のナプキンにメモしたものもふくめて、書いたものなら、なんでも収録しようという精神だ。
この電子版では、瞳が、その存在を消去しようと思っていたであろう、俗にいう若書き、習作の類も、可能なかぎり、収録しようと試みている。そうすることで、作者の全体像が見えてくるはずだと思っている。
瞳自身が存在を抹消したいと思った失敗作、僕や母ですら存在そのものを知らなかった作品も、あえて再録してある。
実は、瞳の死後、そうした中の一編について、ある読者から、自分の人生を決定づけた思い出の作品なのだが、どこにも再録されていない、ぜひ読みたいのだが、なんとかならないかというお便りをいただいたことがある。
ことほど左様に筆者自身と読者の受け取り方は違うのだ。だから、あえて集められる限りの作品を集めてみた。
そうして、編集作業をしているうちに、僕がこれまで知っていた山口瞳とは違った像が、浮かび上がってきて、僕は戸惑いを覚えている。
父の死後、思い出を書いた書物を出版したときに、たかが息子だというだけで、山口瞳の何が分かる、というような趣旨の投書を頂いたことがある。いま、この投書の意味が痛いようにわかる。
父については、僕はもうずいぶんの量を書いてきたと思う。だから、この全集の解説の依頼を受けたときは、これ以上、書こうとすると、あとは悪口ばかりになりますよ、と固辞したい気持ちもないわけではなかった。
しかし、僕がこの全集を編んでいるうちに知ることになった、新しい山口瞳像を目の前にして、しかも息子でしか知り得ない幾つかの事柄を交えながら、全集の解説を書いていく意義を、僕なりに見出しているように思うし、それが読者の方に興味を持って読んでいただける山口瞳論になると信じられるようになったのである。
もちろん、初出時には読んでいるが、僕は山口瞳の作品を再三再読するような、よき読者ではない。この解説のようなものを書くことになって、はじめて読み返している。
だが、初めて読んだときの記憶が鮮明であることも、読み返してわかった。
そして、再読してこなかった理由には、すぐ思い当たった。ぼくにとってはあまりにインチメイト(父の好きな表現)だったからだ。
十三歳の自分に再会するのは、なんとも気恥ずかしい。ましてや文章の達人であった瞳の筆によって描かれた僕は、自分のようで自分でないような、何者かであった。
それは実像とも虚像とも違う、別の存在となって、僕の前に立ち現れる。
あくまで、瞳の作品の中でではあるが、あのころの僕は、生意気なガキであり、今はだいぶ惚けかかった老人である。
今現在(2016年)の僕は、父、瞳が『江分利満氏の優雅な生活』の中で書いた当時の年老いて覇気がなくなった祖父、山口正雄よりも一つ年上の六十六歳なのだ。
もう一つ、この全集の特徴は、父の全作品をクロニカルに編んだことである。特に「男性自身」シリーズは昭和のある時期から平成にいたる庶民の歴史を描いたサブ・テキスト、あるいは補助線として、大変に重要な作品群だと考えている。その時々に起こった出来事とリンクさせて、市民生活を活写しているという点、あの「サザエさん」にならぶ、昭和と平成史の良質な資料という一面を持っていると思う。
さらに言えば、山口瞳の古くからの愛読者にとって、この全集は、はじめて陽の目を見る「男性自身」シリーズの完全復刻版で、得難いものとなると確信している。さきに書いたようにアーカイブなので、単行本未収録のものも、すべて再録した。これは一つの事件だと思う。
山口正介
Shosuke Yamaguchi
1950年10月29日、山口瞳と治子の長男として生まれる。桐朋中学校、高等学校を経て、
桐朋学園大学短期大学部芸術科演劇コース卒業。舞台演出家を経て、映画評論、小説、
エッセイなど幅広い活動を続ける。著書に、『アメリカの親戚』『道化師は笑わない』
『麻布新堀竹谷町』などの小説のほか、父母のことを描いた『ぼくの父はこうして死ん
だ』『親子三人』『江分利満家の崩壊』などがある。山口瞳の数多くの作品の中で「庄
助」として登場するほか、トリス・ウイスキーの広告では、父と共に、写真のモデルと
して出演した。
おわりに
山口正介氏の 『山口瞳電子全集』配信開始によせて、は如何でしたか?
山口瞳の作品中には、長男・庄助(山口正介氏のこと)が度々登場いたします。山口作品の
背景を知る“証人”として、山口正介氏の回想録は貴重なものとなります。
回想録「草臥山房通信(一)」の全貌は、『山口瞳電子全集1 男性自身Ⅰ1963~1967年』にてお楽しみください。
32年間連載し続けた「男性自身」シリーズの記念すべき初回~212話までを完全収録。
収録作品は、「週刊新潮」に連載がはじまった1963年12月2日号の第1話「鉄かぶと」から、1963年12月30日号の第212話「女」まで、単行本から漏れた話も含め、連載掲載順に212話を完全収録。
付録として、電子全集の総監修を務める、山口瞳の長男・山口正介が回想録、「草臥山房通信」を寄稿。「庄助」名で、「男性自身」に度々登場した長男が、連載当時の山口家の様子や裏話、そして父への思いを綴る。また、盟友・柳原良平氏が描く山口瞳のイラスト原画も収録しています。
「男性自身」の連載が開始した1963年と言えば、山口瞳、37歳。『江分利満氏の優雅な生活』で、第47回直木賞を受賞した年で、勤務先の寿屋が、サントリー株式会社に社名変更した年でもあります。
初出:P+D MAGAZINE(2016/12/24)