◇長編小説◇飯嶋和一「北斗の星紋」第5回 後編
「良いものはいい。お前さんが描くとおり、天空の下で人は蟻のごとき生き物でしかない。いずれ誰もが跡形もなく消えていく。それを知らず、米相場がどうの、両替がどうの、浮身をやつし、人の生の真相を忘れて狂奔し続ける。お前さんの絵を見ると、この浮き世の真相に気づかされる」
「旦那は、わたしが思いもかけないことを時々おっしゃる。そう言われてみれば、確かにそんなふうにも見えてきたりもしまして、描いた本人が驚いたりします」丸屋はそう言って笑みを浮かべた。
「そういえば先日、牛町(うしまち=芝車町)の亀太郎が来まして、わたしのオランダ鏡(かがみ)と眼鏡絵を買っていきました。昔、旦那の裏だなに住んで、洟(はな)をすすり上げながら納豆売りをやっていたあの薄汚い小僧が、まあ驚くほど立派になったもんです」
丸屋のオランダ鏡は八台も売れたという。あえて買った相手についてはきかなかったが、こんな不景気を絵にかいたような時に、玩具の覗き眼鏡なんぞに二十両からの大金を払う者は限られる。せいぜい新吉原を焼け出され浅草近辺で商売している大構えの女郎屋ぐらいなものだろうと伝次郎は思っていた。
「人はわからんものだ。一昨年、長左衛門が死んで、婿に入った亀太郎が枡屋(ますや)を継いだ。今や高輪(たかなわ)牛町の枡屋長左衛門だ。いつまでも納豆売りの小僧呼ばわりしたらバチが当たる」
「いや、あれは、薄汚い小僧の頃から、確かにそこいらの野ザルどもとは毛色が違っておりました。去年暮れの大火事の時、高輪の大木戸で亀太郎に出くわしました。もう見違えるほど大きく立派になって、誰なのかわかりませんでした。十何年ぶりかでしたが、江漢先生とわたしを大声で呼び、わたしの荷車を亀太郎が引き牛町の屋敷に連れていって、一晩泊めてくれました。火の勢いを気にして、牛飼いの若い者をここまで走らせ、しきりに旦那のことを気にかけておりました。旦那が七軒(しちけん)の森戸屋に移られたと聞いて安堵(あんど)していましたが、あれは一晩寝ずにおったようでした。わたしが帰る折にも、牛引きにわたしの荷車を引かせ送ってくれたような次第です」
「お前さんが近所の小わっぱに恩をほどこすとは、およそ思えんが」
「それがそうらしいんで、わたしもまったく覚えがありませんで、狐につままれたような気分でした。宇田川町(うだがわちょう)で亀太郎が納豆売りをやっていた頃に、亡母が腰高障子(こしだかしょうじ)の破れに、わたしの描き損じをよく貼りつけておりました」
「ああ、それは憶えてる。屋号ひとつ書くわけでなく、菖蒲の花の上に鳥追い女と蝦蟇(ガマ)が乗っかっているかと思えば、虚無僧と犬の喧嘩が隣合わせになっていたりする、色とりどりで訳のわからん、ひどい腰高障子だった」
「お恥ずかしい話で。まあ、その頃に、納豆売りに来ては亀太郎が腰高障子をじっと眺めていたそうで、出くわした亡母から問われるまま、この黄の蝶と菜の花がきれいでいつも見ておりますと亀太郎が言ったのだそうです。そして、後日に、わたしがそれを別な紙に描いてやったのだと本人が申します。わたしにはまったく覚えがないのですが、火事の時に泊めてもらった折、亀太郎がそれを出して見せてくれました。確かに、黄の蝶が二羽、菜の花の上を飛んでいる絵でした。おそらく母にうるさく言われ、酔っぱらった折にでも描きなぐったものでしょう。亀太郎はそれに裏打ちまでして小さな軸に仕立てておりました」