◇長編小説◇飯嶋和一「北斗の星紋」第8回 前編

◇長編小説◇飯嶋和一「北斗の星紋」第8回 前編

佐藤玄六郎は蝦夷地から江戸に戻る。
勘定奉行の松本秀持の目を引いたものは──。

 

     二十六
 

 十二月二日、神通丸と雇い船の自在丸は、折からの北西風に乗って半月の航海の後、品川港に到着した。品川で町家を借り上げ、勘定所から派遣された普請役を立ち会わせ、東蝦夷地の先住民との交易で得た塩引き鮭やイルカなどの油を売りさばかせた。売り上げは金千三百余両を計上し、蝦夷地交易が幕府財源として極めて有望であることを証した。

 佐藤玄六郎は、翌天明六年も幕府御用の苫屋久兵衛(とまやきゅうべえ)に引き続き東蝦夷地での交易を行わせる必要があること、また、品川での売上金千三百余両を翌年度の交易品の仕入れ資金に廻し、松前にとどめた五社丸の積荷を売り払った代金も同じく翌年の仕入れ資金に当て、翌年の秋に幕府による蝦夷地交易がすべて終了した時点で、苫屋に貸し出した三千両の返済をふくめ清算する形をとりたいこと。この二つを勘定奉行の松本秀持に願い出ることにした。

 佐藤玄六郎は、松本秀持の役宅を早速訪ね、本年の検分結果と、翌年も引き続き幕府廻船御用商の苫屋久兵衛に東蝦夷地での交易を行わせたいとの要望を上申した。

 蝦夷地における飛驒屋など本土商人の商場請け負いは、松前藩が商人に多額の借金をし、その穴埋めのため藩士に割り当てた交易場を飛驒屋などに証文を渡して請け負わせていた。これでは松前藩が商人に交易地の質入れをしているようなもので、松前藩は現地の様子も満足に知らず、請け負わせた商人にすべてを任せるしかなくなっていた。運上屋と呼ぶ交易小屋は利尻島やクナシリ(国後)島にもあったが、知行を与えられた松前藩士が蝦夷本島より外に足を運んだためしはなかった。請け負い商人のやりたい放題となり、抜け荷の取り締まりや異国人の出入り規制などできるはずもなかった。

 とくに問題となるのは、赤人(オロシャ人)の通路口に当たる東蝦夷地のアツケシ、キイタップ(霧多布)、クナシリ島、そして、カラフト(樺太)島への渡航口となっている西蝦夷地のソウヤだった。

「来春、わたくしどもは東蝦夷地の赤人の通路となっている島々へふたたび渡って、地理の様子をしっかりと検分するつもりでおります。当然のことながらそれらの地に船を送る必要があり、そのためにもアツケシ、キイタップ、クナシリの東蝦夷地三カ所は、来年も引き続き苫屋に一年間請け負わせたく存じます。この三カ所は、オロシャ人の通路口であるため詳しく調べようとしましたが、請け負い商人飛驒屋の手先どもは、虚偽を申し立てたり証拠品を隠したりし、調査に重大な障害をきたしております。現地の蝦夷人からの評判も極めて悪く、松前家が掲げている藩法も守られてはおりません。このようなことでは、もう一年飛驒屋が営業を休止させられてもやむを得ないと考えます。
 もう一年だけの商売休止ですので、飛驒屋はたいして損失もなく、松前藩への運上金などは本年同様にすべて苫屋のほうから納め、蝦夷交易での売り上げが増すことになれば松前藩への口銭も増え、松前藩にとって会計上よいことになるはずです。
 また、来春の両蝦夷地の検分の際は、わたくしどももかなり蝦夷地の様子がわかってきましたので、松前藩による士分の者の派遣は必要がありません。蝦夷人との対応のため通辞と足軽の一人ぐらいを派遣してくれればそれでよいと考えております。松前藩でも出費が減ることになりますので、そのように申し入れたく存じます」

 佐藤玄六郎は松本秀持にそう上申し、ここまでの報告書を提出した。

(後編へつづく)
〈「STORY BOX」2019年10月号掲載〉

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飯嶋和一(いいじま・かずいち)

1952年山形県生まれ。83年「プロミスト・ランド」で小説現代新人賞を受賞しデビュー。88年『汝ふたたび故郷へ帰れず』で文藝賞、2008年『出星前夜』で大佛次郎賞、15年『狗賓童子の島』で司馬遼󠄁太郎賞を受賞。18年刊行の最新作『星夜航行』は、第12回舟橋聖一賞を受賞。

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