芥川賞作家・花村萬月が書き下ろし! 新感覚時代小説【くちばみ 第18回】

 道三が用意した八百名をはるかに超える配下を、信長は引き連れていたのである。
 武装といえば腰の物のみの伴衆だけでも、八百以上、さらに槍の者と鉄砲の者を加えれば総数は二千近くにもなるであろう。充分に(ひと)(いくさ)ができるだけの頭数と武器だ。
 無礼討ちなど、絶対に無理だ──。
 道三は微妙な息をつきつつ、鉄砲をもっている兵の数をざっと数えた。
 おおよそ五百ほどか。すべての鉄砲を正徳寺にもってくるとも思えぬから、おそらくは千を越える鉄砲を信長はもっているだろう。道三と義龍のもっている鉄砲の数をすべて合わせても四百に届かぬ。
 林立する鮮やかな朱塗りの長槍の群れと、その穂先が撥ねかえす陽光の銀の輝きを道三はやや虚脱気味に見送り、あわてて正徳寺にもどった。
 正徳寺では春日丹後と堀田道空が信長を迎えにでた。丹後も道空も一瞬、目を剝いた。あわてて小者を呼び寄せ、耳打ちする。
 小者は小走りに奥の間に控える道三に近寄り、その耳朶に触れんばかりに信長のいでたちを告げた。
「なんと──」
 道三は絶句し、うーむときつく腕組みし、小者の報せを反芻した。
 信長は頭を折り()げに結い、褐色の長袴を着用しているという。即ち正装中の正装である。さては上総介信長殿の阿房振り、わざとおつくりになられたものであるか──と、奥の間にまで道三配下の感嘆の声が洩れ聞こえた。どうやら信長は、御堂の縁に並ばせている八百人の配下の前を、あえてゆるゆると歩いて見せているようである。
 ささ、山城殿がお待ちです──という道空の声が聞こえた。信長が這入ってきた。驚いた。優男で、じつに正装が似合っている。岳父に対する礼は知っているようで、しっかり頭をさげ、下座から道三を真っ直ぐ見つめてきた。
 湯漬けを啜るように喰い、盃を交わす。道三も信長もひたすら無言である。どちらも肩から力が抜けている。道三が抑え抜いた声で問う。
「三間半柄と見たが、あのような長槍、扱えるものなのか」
「はい。ごく軽く、しかも強く(こしら)えてあります。つくりかたは極秘ゆえ、だんまりを決め込みますが、我が兵共は、あれを自在に操ります」
「要は、間合いということか」
 道三の呟きに、信長はやや表情を変えた。道三を侮ってはならぬという貌である。
「まさに、間合い。長い方が敵に近づかずに戦えるということでございます」
「ん。間合いの最たるもの、鉄砲だな」
「然様。遠くから敵を倒せるのですから、いまのところ鉄砲に優るものはございませぬ」
「どれくらい」
 道三の問いに、間髪入れずに答えた。
「今回は五百丁ばかり持参致しました」
「国に残してきたものを加えれば、優に千は越えるということか」
「さあ。精一杯、はったりをかましているだけかもしれませぬ」
「食えぬなあ」
「山城殿ほどでは、ございませぬ」
 そう呟いた信長の笑みが深い。
 道三とて鉄砲の威力には目を付けていたから、あらゆる手立てを用いて入手をはかっている。けれど、如何ともしがたい品不足であり、ようやく三百丁強ほど揃えた時点で、いかに金を積んでも入手が滞るようになってきた。
 そんな道三の目の色を読んだのか、薄笑い一歩手前の笑みを泛べて、信長が言う。
「鉄砲。なかなか入手が難しいようでございますな」
 道三は率直に頷いた。なぜかこの若者に対して突っ張る気が失せていた。信長は薄笑いを引っ込め、鋭い眼差しで道三を一瞥した。
「たかが鉄砲。仕組みさえわかれば、あとはつくらせればよいだけのことではございませぬか」
「そう言うが──」
「言い値で(あがな)い、堺を肥え太らせるのは由々しきことにございます」
 そこまで思いを致しているのか。虚け道化に身をやつしつつ、この若さで着々と先々に対する布石を打っているようだ。世の中には途轍もない男がいるものだ。道三は感嘆の眼差しを隠さない。そんな道三の顔をじっと見つめ、やや思案の気配の後、信長は率直な口調で告げた。
「山城殿には、隠し立てせずに申し上げましょう。織田の鉄砲、二千五百を超えております。今年のうちに三千を超えるでしょう」
 三千──。
 有り得ぬ数である。道三が思わず身を乗りだすと、信長は頷いた。
「織田の鉄砲は、尾張にてつくらせております。幸いにも(やま)(おとし)なる者たちが、尾張山中にて(いにしえ)より鍛冶を営んでおります。近ごろは雑兵らに貸し与える数打物の刀などを拵えることを生業にしておりましたが、いまや鉄砲に専念させております」
「数打物の技で、鉄砲がつくれるのか。なによりも山落なる者たち、山中流浪の民と聞いた」
「身分にこだわると、取り逃がすものも多いかと」
 道三は喉仏を動かした。信長が身分という言葉を山落だけでなく、油売りという出自の道三のことも含めて用いたことを悟ったからである。
 信長は道三の顔色を読んだ。破顔した。あたり憚らぬ大笑いである。道三は抑えたつもりではあるが、幽かに眉が動いた。信長はすっと真顔になった。
「山城殿が油売りならば、織田は越前は丹生郡織田荘の神社の神官。油売りよりはましではございますが、所詮は(いん)()でございます。ゆえに先々、とことん傲岸な面差しにて藤原あるいは平氏を名乗ってやるつもりでございます。出自など、いかようにもなるもの。強ければ、よいのです。強い者が、そうであると強要すれば、者共は(ひれ)()す。そもそも名門なるもの、その昔は喧嘩が強いだけの破落戸(ごろつき)にすぎませぬ。破落戸は、喧嘩を他人まかせにできるようになれば、あれこれ優雅を装うもの。家柄など、その程度のものにすぎません。この信長、家臣は家柄ではなく、()(りき)のみで取り立てることを心懸けております。いまは藤吉郎なる山落の者を側に侍らせ、窃かに目をかけております」
 勢いこんで語った信長であるが、我に返って口を噤んだ。道三が気にするなと首を左右に振ると、深々と頭をさげた。
「図に乗って喋りすぎました」
 道三は虚脱気味だった。織田信長、じつに鮮烈であった。
 信長がぼそりと尋ねる。
「ところで義龍殿の御様子はいかがです」
 道三は瞬きをとめてしまった。信長は道三に喋らせぬよう、畳みかけてきた。
「我が尾張にも外患は当然として、内患内憂がございます」
 とたんに道三は深く長い溜息をついた。
「信秀殿と婿殿はじつに仲がよかったようだな」
「はい。己よりも年長の者のなかでは父信秀と平手中務丞政秀。尾張ではこの二人だけがこの信長を認め、支えてくださりました」
「美濃では──」
 すべてを言わず、中空を睨んで言葉を吞む道三だ。義龍は恭順を装って、けれど着々と牙を研いでいる。いまではあちこちで土岐頼芸の胤であると吹聴し、美濃を支配するのは油売りではなく、この義龍であると暗に仄めかしている始末である。身分が違うというわけである。実際、者共は土岐家の権威をいまだに有り難がって頭をさげるのだ。道三はすべてを()(すか)していたが、あえて知らぬふりをして好々爺を演じていた。
「婿殿が鉄砲その他、ありていに述べてくれたから、俺も隠し立てせずに言おう。義龍はまちがいなく俺の胤である。が、巷の噂に自らのって土岐頼芸の血筋であると吹聴する始末。が、なによりも、俺の胤だけあって、くちばみの血がやたらと濃い。俺の予感では、じき親子で争うことになろう」
 視線が交錯する。道三と信長、戦国下克上の世にあるまじき心情の交差であった。
 信長は思った。俺は父に可愛がられてきたが、道三はずいぶん義龍につらく当たってきたらしい。噂だから尾鰭がついているではあろうが、火の無い所に煙は立たぬ。
 道三が表情を柔らかなものに変えた。
「帰蝶がな」
「はい」
「得意げに書状をよこす」
「はい」
「婿殿を褒め称える書状ばかりだ」
 意外にも色白な信長の頰が赤らんだ。
「帰蝶も、よい婿殿に嫁いだものよ」
 道三は息を継いで、過剰な感情がこもらぬよう意識して言った。
「老いたときにな」
「はい」
「相思相愛のよさ、すばらしさがわかる」
 深芳野は剃髪してしまい、小見の方は死んだ。どこで擦れちがったのであろう。側室は許多あれど、いまや道三は絶望的な孤独のなかにあった。
 加えて、最愛の帰蝶は眼前の若者の妻である。義龍はともかく、龍重や龍定といった倅たちは、いかに親の(ひい)屓目(きめ)で接しようとも阿房に毛の生えた程度でしかない。
 俺と小見の方の血を引いたのだから、もう少しましなものになるはずなのだが──と道三は嘆息する。こうなると、いまさら厳しく対しても意味がない。いままで通り甘やかして、せいぜいよけいなことをせぬように仕向けるしかない。生まれたときからなに不自由なく育つということ、どうやら才気を殺してしまうようである。
 信長の視線に気付いた。ふしぎと柔らかく笑うことができた。
「我が方の槍は短く寸足らず。鉄砲の数に至っては、ここで婿殿を襲えばあっさり返り討ち、穴だらけにされてしまうという為体(ていたらく)。しかも虚けの仮面をはずした婿殿は、斯様に美丈夫」
「褒めすぎでございます。育ちが悪いがゆえに、なにやら企まれているのかと邪推致しかねませぬ」
 血のつながりとは、いったいなんなのであろうか。道三は眼前の若僧にすべてを譲ってしまいたい衝動を覚えた。どうやら帰蝶と相思相愛でもあるし、美濃を呉れてやりたくなった。

   *

 正徳寺からの帰路、茜部(あかなべ)口に至ったあたりで猪子兵介が道三の顔色を覗いつつ、声がけしてきた。
「しかし、どう見ても上総介信長は(たわ)けでございますなあ」
 道三の配下は、この後に及んでも、このようなことを()かしているのである。それが道三に対する機嫌取りであるとしても、あまりにも的外れであり、度し難い。道三は馬上から兵介を睨み据えた。
「まことに無念なことである。この山城の子たちがあの戯けの門外に馬をつなぐことはまちがいないだろう」
 馬をつなぐ。すなわち家来になるという意味である。実際に、猪子兵介は後に織田信長に仕えることとなる。
 道三は、溜息を吞む。いずれ牙を剝いてくるにせよ、義龍は上出来であると内心思っていた。けれど世の中には、途方もない男がいる。年齢や経験などでは覆しようのない如何ともしがたい(ぬき)んでた存在がある。道三自身も、信長には歯が立たぬことを実感して、いっそさばさばした気分であった。
□〈以下次号〉

 

〈次回は3月下旬頃に更新予定です。〉

プロフィール

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花村萬月(はなむら・まんげつ)

1955年、東京生まれ。1989年、『ゴッド・ブレイス物語』で第2回小説すばる新人賞を受賞し、デビュー。98年、『皆月』で第19回吉川栄治文学新人賞、『ゲルマニウムの夜』で第119回芥川賞、2017年、『日蝕えつきる』で第30回柴田錬三郎賞を受賞。『ブルース』『笑う山崎』『セラフィムの夜』『私の庭』『王国記』『ワルツ』『武蔵』『信長私記』『弾正星』など著書多数。

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初出:P+D MAGAZINE(2020/02/27)

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