文学的「今日は何の日?」【6/22~6/28】

あの名作が世に出た日。
憧れのヒロインの誕生日。
かの大作家の失恋記念日。
……そう、毎日が何かの記念日です。さて、今日は何の日でしょうか。
6月22日から始まる1週間を見てみましょう。

6月22日

エドガー・アラン・ポー『マリー・ロジェの謎』で、マリー・ロジェが家を出る

史上初の推理小説といわれる、エドガー・アラン・ポー『モルグ街の殺人』。この事件を鮮やかに解決して名を挙げた素人探偵C・オーギュスト・デュパンが、その2年後に遭遇するのが『マリー・ロジェの謎』事件です。18**年6月22日、日曜日の朝9時頃、若く美しいマリー・ロジェは、叔母の家に行くといって家を出ました。しかしマリーは叔母の家には現れず、家を出たあとの足取りも杳としてしれません。そして行方がわからなくなってから4日目に、他殺体となってセーヌ河に浮かんでいるのを発見されます。目撃者も、手がかりも乏しいこの事件、デュパンの推理はいかに?


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6月23日

1959年、自作の映画化作品の試写中にボリス・ヴィアンが亡くなる

アメリカ人作家ヴァーノン・サリヴァンの作品を翻訳した、という触れ込みで1946年に発表されたボリス・ヴィアンのデビュー作『お前らの墓につばを吐いてやる』。暴力的な内容がスキャンダラスな話題となり、10万部を売り上げます。映画化の話も舞い込みますが、暴力的な描写を排し、人種ゆえに結ばれない男女の悲劇をロマンティックに描くというものでした。納得しないヴィアンを排除する形で制作は進み、1959年6月23日午前10時、パリのプティ・マルブーフ・ホールで完成披露試写が行われます。しかし、上映が始まって間もなく、ヴィアンは心臓発作に襲われ、そのまま絶命。心臓に持病を抱え、「自分は40歳になる前に死ぬだろう」と語っていた通り、39歳の早すぎる死でした。


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6月24日

歌野晶午『さらわれたい女』で、小宮山隆幸の妻・佐緒里が誘拐される

愛すればこそ、相手からも愛されていることを確かめたい。それは、誰しも願うことかもしれません。首都圏を中心に50店舗余を展開する「カフェ・ラシーヌ」社長の妻・小宮山佐緒里は、そのために思い切った手段に出ました。「私を誘拐して、主人に脅迫電話をかけてほしいんです」――佐緒里の依頼を受け、完璧なシナリオを練り上げた便利屋の「俺」は、6月24日の午後6時半頃、彼女の夫・隆幸に電話を入れます。隆幸を脅迫し、警察を出し抜いて、まんまと身代金をせしめた「俺」でしたが、それは次なる事件の序章にすぎなかったのでした。迫りくる罠から、「俺」は逃れることができるのでしょうか?


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6月25日

わたしと伯父が『忌み嫌われる家』の調査を開始する――クトゥルフ神話

著者H・P・ラヴクラフトの出身地で、1840年代末にエドガー・アラン・ポーも滞在したという、ロードアイランド州の街プロヴィデンス。『忌み嫌われる家』は、この街に1763年に建てられた、古風で陰気な1軒の家を描いています。最初の住人ウィリアム・ハリス一家は、わずか5年で7人が死亡し、ハリス夫人は発狂して自宅の2階に軟禁されてしまいます。1919年、「わたし」は伯父にあたる医師で古物研究家のエラヒュー・ウィップルと共に、この家の調査に乗り出しました。6月25日にキャンプ用の椅子2脚と簡易ベッド1台を持ち込んで寝ずの番を始めますが、伯父に異変が……。


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6月26日

松枝清顕の心にしみ入った1枚の写真が撮影された日――三島由紀夫『春の雪』

三島由紀夫最後の長編小説『豊饒の海』の第1巻『春の雪』は、新華族の子息である主人公・松枝清顕が、11歳のときに終結した日露戦争について、自分がほとんど何も覚えていないことに驚く場面から始まります。叔父2人がこの戦争で戦死している彼にとって、戦争のさなかである明治37年6月26日に撮られた、「とく利寺りじ附近の戦死者の弔祭」と題する1枚の写真は、とりわけ心にしみ入るものでした。得利寺は同年6月14日に日露が激突し、1000人以上の死者を出しながらも日本が勝利した場所。この写真は『日露戰役寫眞帖』(小川一真出版部刊)第2巻に収められ、国会図書館でインターネット公開されており、三島が描写したままの光景を今も確認することができます。


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6月27日

妻と知人への嫉妬に苦しむ二葉亭四迷、家を出て下宿に行くと宣言

写実主義、言文一致体で日本近代文学の祖と呼ばれる二葉亭四迷。彼の『嫉妬する夫の手記』によると、4月2日に知人のOが泊まりに来ました。はじめは客を嫌がっていた妻が、日がたつにつれてOに親しみを抱き、進んで世話さえするように。おもしろくない著者は仕事を口実に田舎へ出かけ、日を置いて帰宅しますが、「友人の家へ移る」と言っていたOは、そのまま家に居座っていました。同居の母も不審がっており、6月27日、ついに著者は「明日はどんなことがあっても下宿へ行く」と宣言。それから妻の様子が変わり……。創作か実際の出来事なのかが判然としない作品ですが、他人から読まれにくいロシア語で綴られていることから、似たような出来事があったとみられています。


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6月28日

近江国姉川河原で織田信長・徳川家康軍が、朝倉義景・浅井長政軍と激突!

駿河、美濃を奪取し、永禄11年に足利義昭を奉じて上洛を果たした織田信長は、元亀元年、上洛参集を拒む越前の朝倉義景討伐に向かいました。義弟・浅井長政の離反を受け、織田軍はいったん撤退しますが、6月28日、近江国姉川河原(現在の滋賀県長浜市)で合戦が始まります。姉川の戦いです。勝者となる信長や、悲劇的な最期を遂げる長政が注目されがちですが、この合戦の一方の大将である朝倉義景にスポットを当てたのが、吉川永青の歴史小説『奪うは我なり 朝倉義景』。幕府と将軍の世に望みを託し、戦国最強の男・信長の敵となる道を選んだ義景の生きざまを鮮烈に描いた、異色の作品です。


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