出口治明の「死ぬまで勉強」 第13回 ゲスト:吉田直紀(宇宙物理学者)「宇宙の謎解きはやめられない!」(後編)
■かけ離れた既存知を組み合わせることで、アイデアは生まれる(出口)
■学生との会話から飛躍して、研究のテーマを得る(吉田)
出口 ところで、吉田先生は研究のアイデアをどうやって生み出されているのですか。
吉田 関連するもの、しないものを含めて、さまざまなことを知識として得ることが大切だと思います。天文学でも、まったく別々のものが結びつく瞬間があります。たとえば出口さんのおっしゃった脳の話と宇宙の構造が結びつくこともあるかもしれません。無駄になる知識はないので、なるべく広くさまざまなことを吸収することを心がけています。
出口 経済学者のヨーゼフ・シュンペーター(1883~1950年)が、「イノベーションは、既存の知と既存の知との新しい組み合わせから生まれる」といっています。加えて、経験則でいうと、既存知間の距離が近いものの組み合わせだと、たいしたイノベーションは生まれない。研究のアイデアもおそらく同じで、一見かけ離れていることをやったほうが、斬新なアイデアが出てくる可能性がありますね。
吉田 私の研究活動の中心は、学生との対話です。若い人は頭が柔らかくてフレッシュだから、私が考えもつかないようなアイデアが出てくる。もちろん、なかには荒唐無稽な話もありますが、そのほうがかえって刺激になります。これも、既存知と既存知の新しい掛け合わせに通じるところがあるのかもしれません。
脳をフル回転させて計算したり考えたりするのは、せいぜい2時間×2回が限度ですね。あとはいわゆる作業に充てたり、集中しないでぼんやり考えたり。
でも、ぼんやり考えるのも研究には大事なんです。先ほど出口さんに、「クノッソスの宮殿跡に排水溝がないのは、それが死者の宮殿だったから」という話を教えていただきました。そういう知識は、夕食後、宇宙のことをぼんやり考えているときにふと立ち上ってきて、「そういえば、あの宇宙理論は物質の出口についての言及がないな」と結びついたりする。
ふと思いついたものは、その日にうちに学生にメールを書いて知らせます。そうすると、次の日、そのアイデアを受けた学生との対話がまた始まっていく。普段はそういうプロセスで研究を進めていくことが多いですね。
出口 クノッソス宮殿と宇宙が結びつくわけですか。まさに既存知の組み合わせですね。
ところで、吉田先生は海外でも研究生活を送っておられますね。日本と海外の大学で、研究の仕方などで何か違いを感じることはありましたか。
吉田 私は大学院教育をスウェーデンのストックホルムとドイツのミュンヘンで受けて、若手研究者時代はアメリカのボストンにいました。その経験から日本の研究者と海外の研究者を比べてみると、日本人は良くも悪くも潔いところがありますね。
たとえばイタリア人とかアメリカ人の研究者は、白黒がつかないギリギリのところでうまく議論するのですが、日本人は少しでもグレイなところに入ると、サッと諦めて引いてしまう。そこは私も自覚があって、海外の研究者の姿勢を見習わなくてはいけないと考えているのですが……。
アインシュタインは、「結果を出す人は全て偏執狂だ」といっていますね。
出口 アインシュタインが「結果を出す人はすべて偏執狂である」というニュアンスのことを述べていますね。途中であきらめたら、やはり結果は出ない。
吉田 同感です。潔さは道徳的に褒められるべきことかもしれませんが、研究や開発では、粘りやしつこさが功を奏します。
出口 第二次世界大戦時のエピソードで、人から聞いて感心した話があります。英領だったシンガポールに日本軍が攻め入ったとき、英軍の司令官は「兵力が違いすぎて、勝てる見込みはない。よって全員投降する」と兵士たちに伝えました。おもしろいのはここからです。「君たちは日本軍の捕虜になるが、大英帝国のために『I’m hungry』と叫び続けて日本軍の糧食を食べ尽くせ。では諸君、太ってまた会おう!」と続けたそうです。
日本軍なら、同じ状況でも投降せずに玉砕するでしょう。それは潔いかもしれませんが、敵に本当にダメージを与えられるのは英軍のやり方です。教育を通じて合理的、科学的な思考が身に付いていれば、簡単にあきらめて、「破れかぶれで散ってやろう」などという発想にはならない。吉田先生のお話を聞いて、そんなことを思いました。
いま研究者としての性質の違いをうかがいましたが、大学そのものの違いはいかがですか。いま日本の大学ランキングはどんどん下がっていますが……。
吉田 研究のしやすさは施設や予算とも関係がありますが、私の実感でいえば、社会や国民から「その研究は価値あるものだから、しっかりやりなさい」と承認してもらえることが大きい。いまの日本の大学にそのような環境があるのかというと、少し疑問です。私は人を育てることが大学の使命だと考えていますが、「3年で研究成果を出せ」という短期決戦では厳しい。もう少し長期的な視点で考えてもらえたら、余裕を持って次の世代を育てていけるのに、と考えることはあります。
出口 宇宙物理学に限ると、進んでいる国はどこでしょうか。
吉田 日本、アメリカ、ドイツ、イギリスです。中国は、理論的なところはまだ発展段階ですね。理論は観測データの蓄積がものをいいます。中国も望遠鏡や衛星に積極的にお金を使っているので、すぐに追いついてくるとは思いますが。
出口 お金は大事ですね。研究設備はもちろん、プロフェッショナルな職員も雇える。そうすれば研究者が専門分野の研究や教育に集中できます。
世界の歴史を見ても、学問が花開くのは高度成長期以降です。経済的に充足して初めて長期的な投資ができるようになる。中国がこの分野でプレゼンスを増すのは、まさしくこれからなのでしょう。
■謎がひとつ解ければ、それ以上の疑問が湧いてくる(吉田)
■読みたい本、行きたいところが山ほどあって、人生、時間が足らへん(出口)
出口 では、大学でいえばトップランナーはどこでしょう。
吉田 海外だとアメリカのプリンストン大学、マサチューセッツ工科大学、連合王国のケンブリッジ大学。ドイツは、大学ではなくマックスプランク宇宙物理学研究所あたりですね。
出口 吉田先生はマックスプランク宇宙物理学研究所にも所属されていましたが、いまはライバルですか。
吉田 そうですね。一緒にやることもあれば、激しく競うこともあります。ただ、競うといっても、宇宙分野は命のやり取りが発生することもなければ、シビアなお金の話も少ない。いわゆる知的な争いです。
そもそも宇宙は誰でも見られるじゃないですか。「ここは見ちゃダメ」と隠すことはできないし、ましてや天体を捏造することもできません。その意味では、他の分野と比べてとても健全な競争環境になっているのではないかと思います。
出口 天文学はオープンなんですね。アメリカではほとんどのデータを一定期間後、すべて無料で公開しているようですが、オープンな姿勢は学問のためにはとてもいいことです。
アメリカの大統領は退任後、だいたい回顧録を書きます。それを見て、「金儲けだ」という感想を持つ日本人もいるようですが、あれは歴史の資料として書いている側面もある。一方で日本の政治家は秘密を墓場まで持っていこうとします。個人の美学としてはいいのかもしれませんが、後世の人々にとっては、過去の経験を活かすことができないので、無責任な考え方だといっていいでしょう。
『ケプラーとガリレイ:書簡が明かす天才たちの素顔』(トーマス・デ・パドヴァ著)という本を読んで初めて知ったのですが、ケプラーはとても人がよく、自分が発見した惑星の運行表を気前よくガリレオ・ガリレイ(1564~1642年)に貸したりしている。一方、ガリレイは嫌味な性格で、ケプラーをさんざん利用しておきながら、自分の望遠鏡はケプラーに使わせなかった。もうケプラーが不憫でしかたがないのですが、科学者としてはケプラー型とガリレオ型、どちらがいいと思われますか。
吉田 アイザック・ニュートン(1642~1727年)も人間的にはどうかといわれていましたね。そう考えると、他人を押しのけてでも「自分がやるんだ」という意欲がある科学者のほうが大きな成果を出しやすいのかもしれません。
私自身はどちらかというとケプラー型で、星や銀河の誕生のシミュレーションのために開発した計算プログラムをオープンにして誰でも使えるようにしています。宇宙の謎を解明することが目的なので、それが達成されて新しい情報が得られるなら、他の人の功績になってもいいのです。でも、もちろん自分でやるんだと我を出したときのほうが、研究に推進力がつくことも多い。そのバランスは難しいですね。
出口 では、研究者に必要な資質はなんだと思われますか。
経営者に必要な要素はある程度わかっていて、それらをどうやって身に付ければいいのかという学問的な体系もある程度はできています。立派な経営者のかばん持ちをしてシャドウイング(対象に張り付いて、仕事のやり方を学ぶこと)をすることでセンスも学ぶことができますが、研究者にはそもそもどんなセンスが必要でしょうか?
人間がいくら賢いといっても、自然ほどは賢くないんです。
吉田 センスといっていいのかわかりませんが、優れた研究者は、無駄なこと、余計なことをたくさんしています。人間がいくら賢いといっても、自然ほどは賢くないんです。だから、頭で考えるだけでなく、とにかくありとあらゆる可能性を考えて、手を動かして試してみるしかありません。
実際、宇宙に関する新しい発見も、「これを観測するぞ」と目標を定めて見つけたケースより、とりあえず観測したら想像していなかったものが見つかったケースのほうが多い。ですから、余計だと思われることも、まずやってみようと考えるフットワークの軽さ――それが研究者に求められる資質のひとつだと思います。
出口 それは素晴らしいメッセージですね。最後に、いま先生が解き明かしたいと思っていることを教えてください。
吉田 ひと言でいえば、壮大な宇宙絵巻を完成させることです。宇宙の最初の5億年はまだよくわかっていないし、観測事実と観測事実のあいだをつなごうとしても、まだわからないことが多すぎます。その足りない部分を自分の研究で埋めていき、いつかは「宇宙の歴史書」をつくりたい。そういう気持ちで研究しています。
出口 宇宙絵巻が138億年の物語だとしたら、現段階では何%できあがっているイメージですか。
吉田 17%といっておきましょうか。宇宙の大枠はわかってきて、物語でいうと登場人物も、少しずつですがわかってきています。ただ、物語の肝になる重要なところはまだまだです。
出口 では、これから残りの83%を解き明かしていくわけですね。それはやりがいがありそうだ。
吉田 はい。ただ、次にお会いしたときにも17%といっているかもしれません。宇宙の研究って、ひとつ何かわかると新たな謎を生むのです。だから1%わかったら、謎の総量が5%くらい増えて、結局は17%のままかもしれない。それがまた私にとっては楽しいのですが(笑)。
出口 その気持ちはよくわかります。僕も何か知りたいことがあったら本を読むのですが、ひとつわかったらまた別の疑問が湧いてくる。もう古希を超えたのですが、読みたい本、行きたいところが山ほどあって、人生、時間が足らへんでと。でも、吉田先生のおっしゃるように、謎を追いかけ続けること自体が楽しいからやめられません。
吉田 まさしく「死ぬまで勉強」ですね(笑)。
プロフィール
出口治明 (でぐち・はるあき)
1948年、三重県美杉村(現・津市)生まれ。 京都大学法学部を卒業後、1972年日本生命保険相互会社に入社。企画部などで経営企画を担当。生命保険協会の初代財務企画専門委員長として、金融制度改革・保険業法の改正に従事する。ロンドン現地法人社長、国際業務部長などを歴任したのち、同社を退職。 2008年ライフネット生命保険株式会社を開業、代表取締役社長に就任。2012年に上場。2013年に同社代表取締役会長となったのち退任(2017年)。 この間、東京大学総長室アドバイザー(2005年)、早稲田大学大学院講師(2007年)、慶應義塾大学講師(2010年)を務める。 2018年1月、日本初の国際公慕により立命館アジア太平洋大学(APU)学長に就任。 著書に、『生命保険入門(新版)』(岩波書店)、『直球勝負の会社』(ダイヤモンド社)、『仕事に効く 教養としての「世界史」Ⅰ、Ⅱ』(祥伝社)、『人生を面白くする 本物の教養』(幻冬舎)、『本物の思考力』(小学館)、『働き方の教科書』『全世界史 上・下』(新潮社)、『人類5000年史 Ⅰ、Ⅱ』(筑摩書房)、『世界史の10人』、『0から学ぶ「日本史」講義 古代篇』(文藝春秋)などがある。
吉田直紀(よしだ・なおき)
宇宙物理学者。
1973年、千葉県生まれ。東京大学大学院理学系研究科教授 兼 カブリ数物連携宇宙研究機構主任研究員。宇宙論と理論天体物理学の研究に従事し、スーパーコンピュータを駆使してダークマターやダークエネルギーの謎に挑んでいる。著書に『宇宙137億年解読』(東京大学出版会)、『ムラムラする宇宙』(学研)、『地球一やさしい宇宙の話』(小学館)などがある。
https://www.shogakukan.co.jp/books/09388636
<『APU学長 出口治明の「死ぬまで勉強」』連載記事一覧はこちらから>
初出:P+D MAGAZINE(2019/05/22)
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