出口治明の「死ぬまで勉強」 第14回 ゲスト:加藤積一(ふじようちえん園長) 「人を育てる覚悟」(前編)

教育に携わるひとは、子どもを指導するのではなく、
子どもが自ら学び育つのをサポートする――。
教育の最前線でも、最近、意識されはじめたことを、
ふじようちえんでは20年前から実践している。
園舎をはじめとするユニークな取組の真意とは?

■園舎に壁がないのはなぜですか?(出口)
■雑音のなかで過ごすことこそが大事だと思ったのです(加藤)

出口治明 加藤さんが園長を務めておられる「ふじようちえん」のWebサイトを拝見しましたが、まず園舎のかたちが目を引きますね。普通の幼稚園なら四角形の部屋が並んでいるのですが、ふじようちえんは楕円形で、およそ幼稚園や学校のイメージからはほど遠い……。
加藤積一 園舎は中庭を中心にした楕円形で、屋根の上はウッドデッキになっており、自由にのぼれるようになっています。
 子どもには「走り回りたい」という本能があると思いうのですが、いくら屋根の上を走れるようにしても、スペースが四角やコの字だったら、いずれ行き止まりになってしまいますね。だけど楕円形ならいつまでもグルグル走り回ることができます。たとえば、追いかけっこも永遠に続くんです!
 また、ある大学院の研究員が調査したところ、ふじようちえんの園児たちは他の幼稚園の園児たちに比べて歩数が3倍以上だったそうです。
出口 ビデオを拝見したのですが、子どもたちが裸足で走り回っているのですね。ある本で読みましたが、二足歩行の人間にとって、重力はとても大事な情報であり、足の裏で地面を踏むことで、その存在を認識していくそうです。言い換えれば、歩きはじめたころに裸足で大地を踏みしめているかどうかで成長も変わっていく。
 踏みしめる地面はコンクリートでも畳でもいいのかもしれませんが、直感的には、幼いころに裸足で土や草を踏んで、足の裏から直に情報を得ることは脳の発達にもいいのだろうなと思いますね。
 もうひとつ、園舎のなかに壁がないという点に興味を引かれました。どうして壁をつくらなかったのですか。

子どもが育つところ_

楕円形の園舎の屋根の上を、どこまでも走る子どもたち

 

加藤 私たちには、静かな環境でこそ集中力が培われるという思い込みがありますが、日常生活は図書館のような静かな場所ばかりではありません。むしろ雑音のなかで集中力を発揮しなくてはいけないことのほうが多いはずです。
 日常で発揮できる集中力を培うには、園舎のなかも日常と同じように雑音があったほうがいい。そこで壁をつくらず、ピアノの音と歌声がする部屋の隣では、先生が絵本を読み聞かせているという環境にしました。これらは、ほんの一例ですが、全体にわたって、建物は子どもが育つための道具になっているんです。
出口 それは素晴らしいですね。子どものころからこういうお仕事をされたかったのですか。
加藤 いいえ、子どものころは牧場をやりたかったんですよ。当時はテレビで放映されていた「ララミー牧場」や「ローハイド」に憧れてしまって……。
出口 同じですね。僕も「ローハイド」で育ちました。クリント・イーストウッドですね。
加藤 私は1957年生まれなので、出口先生とは10歳違うのですが、幼心に強烈な印象が残っていて、いまでも馬に乗るとワクワクします。
出口 牧場経営を夢見ていた加藤さんが、どうして教育の道に進まれたのですか?
加藤 高度成長期に立川がベッドタウン化し、市から相談を受けて、1971年に父がふじようちえんを開園したのですが、私はその跡を継いだわけです。
 でも、最初から跡を継ぐつもりがあったわけではありません。本当に生意気なんですが、私は大学を出てそれなりに勉強をしてきたつもりだったので、「この才能をここで埋もれさせてなるものか」と思い、ほかのことをいろいろとやっていました。
出口 大学では何を勉強されたのですか。
加藤 社会学です。テーマはツーリズムというか、人が集まる核は何かという分析をしていました。
出口 それはおもしろそうですね。人が集まるための核って、何でしょう?
加藤 簡単にいうと、珍しいもの、おもしろいものに人は集まります。いまは多様なものに触れられる時代ですが、30年前は行動範囲も限られていたので、「これが珍しい、おもしろい」と評判になれば、あちらにもこちらにも、同じものができました。
出口 僕はかつて東京財団から援助していただいて、地域おこしを1年間、勉強したことがあるのですが、加藤さんがおっしゃるとおりで、おもしろければ人は集まるんですよね。
 大分県別府市の山の上にあるAPUでは、世界90ヵ国・地域からの約3000人の外国人留学生と、日本全国から集まったおよそ3000人の学生が学んでいます。じつは、日本人の学生のうち、九州出身者は3分の1で、多くは東京などの首都圏や大阪、京都から来ています。関東や関西には山ほど大学があるのにどうしてAPUに来るのか。それは、やはりおもしろいからでしょう。
 APUはオープンキャンパスに力を入れていますが、体験した高校生たちが、何かおもしろいと感じ、受験してくれているようです。
加藤 それは幼児も同じです。子どもたちは何か見て、触れて、ときには口の中に入れたりしながら、大人にはわからないおもしろさを発見して、興奮して何度もやる。そういう意味では、オープンキャンパスのように、自分で体験しておもしろさを見つける機会をもつことは重要でしょうね。
出口 ええ、そう思います。ところで大学卒業後は何をしておられたのですか。
加藤 最初は海外に行くつもりでした。ところが、ひょんなことから地元出身だった当時の鈴木俊一東京都知事の選挙をお手伝いすることになり、その延長線上で、ある衆議院議員の私設秘書を1年半ほどやっていました。
 政治家の秘書は、政治家が落選すると無職です。その先生が大企業の職を紹介してくださったのですが、私には似合わないと思い、結局、知人のツテで東証第二部上場の食品会社に就職しました。
出口 ではサラリーマンをされていたのですね。
加藤 はい。企業で働くのはおもしろかったです。社長がベンツを買ったというから、さぞかし高い新車だろうと思って社員みんなで見に行くと、なんと中古車だった。それを見て社員たちは、なんだかホッとして拍手をしていました。
 専務は専務で、工場に視察に行ったとき、土のなかに埋もれている軍手を見つけて、パンパンとはたいて、「なんだ、まだ4本使えるじゃないか」とポケットに入れてしまったんです。周囲の社員たちは、ハッと気付かされますよね。
 こういうトップを見て、人の上に立つ人の立ち居振る舞い方を教わったような気がします。
出口 まさにシャドウイングですね。
加藤 そうこうしているうちに、立川の駅ビルに会社がアンテナショップを出店することになり、私が店長を任されたのですが、やがて会社からその店を「買わないか?」と打診され、思い切って買うことにしたのです。借金までして。
 でもその店は順調で、大学の生協や立川にあった競輪場にもケーキや乳製品を納入したりして、けっこう忙しくしていました。

■子どもがもつ育つ力を、デザインとして具現化してくれた(加藤)
■まさに経営者のビジョンをかたちにする「デザイン経営」ですね(出口)


出口 自ら出資して会社を設立されたのですね。では、その当時は幼稚園を継ぐつもりはなかったのですか?
加藤 ええ、まったくなかったです。いずれ幼稚園にかかわることになるだろうなと、うっすら考えていましたが、それは私が50代、60代になってからのことだろうと。当時はまだ30代前半でしたから……。
 ところが、社員が10人になって会社の未来に手応えを感じはじめたころ、突然、父から一本の電話がかかってきました。「幼稚園バスの運転手がインフルエンザに罹ってしまったので、1週間だけでいいから運転してくれ」というのです。
 幼稚園バスの運転手がいなければ、子どもたちも親も困ってしまいます。仕方がないので、急遽手伝いをしたのですが、これが運の尽きというか、転機となりました。だんだん子どもたちがなじんできて、1週間経ったころには「ねえ、遊ぼうよ」と私の足に絡みついてくるんです。それがなんとも言えない感覚で……。
「自分は金勘定ばかりしてたけど、足元にすごいものがあったじゃないか」と気付いて、そのまま会社を整理して、本格的に幼稚園を手伝うことに決めました。
出口 「幸せの青い鳥」は、意外にも身近なところにいたんですね。しかし、幼稚園と一般企業の経営では、違いが大きかったんじゃないですか。
加藤 そうですね。一般企業の視点から見ると、当時のふじようちえんはムダが多くて非効率でしたね。教職員のみなさんも情報化とか効率化にはまだまだ関心が薄かったので、少しずつ意識付けをしていくのが私の役割だと思っていました。
出口 そんななかで、お父さまが「モンテッソーリ教育」を導入されたとか。

モンテッソーリ教育――イタリア人の医師、マリア・モンテッソーリによって20世紀初頭に考案された教育法。子どもの自主性、独立心、知的好奇心などを育み、社会に貢献する人物となることを目的とする。教具を使った感覚教育や自由な環境の提供が特徴。オバマ元大統領やビル・ゲイツ、アマゾンの創設者ジェフ・ベゾス、将棋の藤井聡太7段らもモッテンソーリ教育の経験者だといわれる。

 
加藤 モッテンソーリ教育をひとことでいうと、子どもたち一人ひとりのなかにある、自ら育とうとする力を、十分に発揮させてあげる教育です。「教育」というと、大人が何か教え込むイメージを持たれるかもしれませんが、そうではありません。子どもたちは生まれながらにして、さまざまなことを自分で吸収する力をもっている。大人はそのお手伝いをすればいいのです。
 たとえばモンテッソーリ教育にはさまざまな教具・用具があります。それぞれに子どもたちが夢中になるような工夫がありますが、何を選ぶのかは本人の判断。大人は使い方を提示するだけです。
 トイレのスリッパも、先生が「ちゃんと揃えなさい」と指導することはありません。トイレの入口にはスリッパと同じ形をしたシールが貼ってあるのですが、とくに何も言わなくても、「自ら育つ力」のなかにある秩序感の芽生えによって、子どもたちは足枠があるとピタッと合わせるようになります。端からは、「スリッパは足枠に揃える」というルールに従っているだけのように見えるかもしれませんが、そうではありません。他人から強制されたルールではなく、自ら考えてスリッパを足枠にぴったり合わせることで、子どもたちは満足感、達成感を味わっているのです。
 こうしたモンテッソーリ教育について、父がアメリカに留学していた小学校の先生から聞き、「これだ!」と思ったそうです。私にもよく「学校の点数より、勝負は社会に出てからだ」と言っていたので、もともとの教育哲学に合うところがあったんでしょうね。もっとも、園で実践したのは、理事長だった父ではなく、小学校で校長を務めた経験をもつ当時の園長先生ですが。
出口 お父さまが「学校の点数より、勝負は社会に出てからだ」とおっしゃったのは、最近よくいわれる「非認知能力」に通じるところがありますね。その点では、先見の明をおもちだった。
加藤 父は映画『男はつらいよ』の寅さんが好きで、「あの強さ、自分の意思の通し方、そして臨機応変さが、社会に出てから役に立つんだ」と言っていました。たしかにそれは、テストの点数とは関係のない「非認知能力」かもしれません。
出口 その後、加藤さんもモッテンソーリ教育を勉強されて、やがて経営を任されるようになったわけですね。引き継いだあとで変えられたところはありますか?
加藤 子どもたちに教えるのではなく、子どもたちが自ら考えることが大事だという考えは、さらに深くなったのではないでしょうか。仲間の先生たちにも「ここは子どもが育つ場所で、先生たちが仕事をする場所ではない。ただ子どもたちを見て、遠くで『うん』とうなずいてあげるだけで、子どもたちは自信がつくんだよ」と繰り返し言っています。
出口 いやあ、すごい。いま教育の最前線では、詰め込み式教育への反省もあって、「本人にやる気がなければ、何を教えても忘れてしまう」「自己肯定感が大事だ」などといわれています。そこでAPUでも、「教員はすごいことを教える人ではなく、学生の学びをバックアップする人」という位置づけで運営していますが、加藤さんはそれを20年前からやられている。

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出口「GAFAやその予備群たちは、最適な働く環境を研究してユニークなオフィスを建てています」
加藤「私には『学びをデザインしたい』という思いがあり、それをみなさんが具現化してくれました」

 

加藤 もともと父の代から骨格はありましたかが、私の代で何かしたといえば、やはり園舎でしょうか。
 もともと、私は「学びをテザインしたい」と思っていました。園舎を新しくすることになり、どういう建物にしようかとブレーンストーミングする過程で、私は「子どもには走り回れる環境がいい」「雑音があるほうがかえって集中力が磨かれる」など“子どもの育ち方”についての話をたくさんしていました。
 すると、アートディレクターの佐藤可士和さんが、「では、“子どもが育つ状況”をデザインしましょう」と言ってくださり、建築家の手塚貴晴・由比さん夫妻が、それを具現化してくれたのです。
「学びをデザインしたい」という思いが、「状況をデザインする」というコンセプトになり、建築としてのデザインに結実したわけです。
出口 じつはGoogleやApple、さらにその予備軍と目されるユニコーンなどの新興企業は、一見、奇妙なオフィスを持っているところが多いのです。ものすごくカラフルだったり、ユニークなデザインだったり。ところが日本の経営者たちは、斬新なオフィスを見ると、「やっぱり若者がつくる会社はどこか変だ」などとピント外れな感想を漏らします。あれを「変だ」と評するのは不勉強を公言しているようなもので、実際には脳科学や心理学を勉強して、人間はどういう環境にすればやる気が出るか、ということを計算し尽くしたうえでやっているのに、それがわからないのです。
加藤 私も建築やデザインのことはわかりません(笑)。ただ、「人間って誰にも教わらなくても、話して歩くようになる。そうやって自然に出てくるものを尊重していきたいんです」とお話ししたら、みなさんが形にしてくださいました。
出口 最近、ビシネスの分野では「デザイン経営」が注目されています。経営者がやりたいことやビジョンを明らかにして、アーティストがそれをデザインして形にしていく。加藤さんがやられたのは、まさにデザイン経営ですね。
 

佐藤可士和――クリエイティブディレクター、アートディレクター、グラフィックデザイナー。慶應義塾大学環境情報学部特別招聘教授、多摩美術大学美術学部グラフィックデザイン学科客員教授。楽天グループ、ファーストリテイリングのCI、セブン-イレブンのブランディングなど、数多くのプロジェクトを手がける。
 
毛塚貴晴・由比――一般住宅からリゾート施設、子どものための空間設計などを多く手がける。近年ではUNESCOより世界環境建築賞(Global Award for Sustainable Architecture)を受ける。手塚貴晴氏が行ったTEDトークの再生回数は2015年の世界7位を記録。手塚由比氏は文部科学省国立教育政策研究所において幼稚園の設計基準の制定に関わった。

 

プロフィール

死ぬまで勉強プロフィール画像
出口治明 (でぐち・はるあき)
1948年、三重県美杉村(現・津市)生まれ。 京都大学法学部を卒業後、1972年日本生命保険相互会社に入社。企画部などで経営企画を担当。生命保険協会の初代財務企画専門委員長として、金融制度改革・保険業法の改正に従事する。ロンドン現地法人社長、国際業務部長などを歴任したのち、同社を退職。 2008年ライフネット生命保険株式会社を開業、代表取締役社長に就任。2012年に上場。2013年に同社代表取締役会長となったのち退任(2017年)。 この間、東京大学総長室アドバイザー(2005年)、早稲田大学大学院講師(2007年)、慶應義塾大学講師(2010年)を務める。 2018年1月、日本初の国際公慕により立命館アジア太平洋大学(APU)学長に就任。 著書に、『生命保険入門(新版)』(岩波書店)、『直球勝負の会社』(ダイヤモンド社)、『仕事に効く 教養としての「世界史」Ⅰ、Ⅱ』(祥伝社)、『人生を面白くする 本物の教養』(幻冬舎)、『本物の思考力』(小学館)、『働き方の教科書』『全世界史 上・下』(新潮社)、『人類5000年史 Ⅰ、Ⅱ』(筑摩書房)、『世界史の10人』、『0から学ぶ「日本史」講義 古代篇』(文藝春秋)などがある。

加藤積一(かとう・せきいち)
1957年東京生まれ。1980年法政大学社会学部社会学科卒業。商社勤務、会社経営などを経て、1991年ふじようちえんに入社。2000年に園長、2011年に学校法人みんなのひろば理事長に就任。
他に複数の保育園や託児所を経営。東京都私立幼稚園連合会振興対策委員会副委員長、立川市私立幼稚園協会副会長も務める。
著書に『ふじようちえんのひみつ』(小学館)がある。
9784093884952
https://www.shogakukan.co.jp/books/09388495
 
 
<『APU学長 出口治明の「死ぬまで勉強」』連載記事一覧はこちらから>

初出:P+D MAGAZINE(2019/06/05)

川上未映子 “女であること”から逃げない強さと瑞々しさ
ニクラス・ナット・オ・ダーグ 著、ヘレンハルメ美穂 訳『1793』