【SM小説】美咲凌介の連載掌編「どことなくSM劇場」第16話 隠された遺産――どえむ探偵秋月涼子の首輪プレイ

真琴さんは、涼子とポチを連れて庭に出た。庭は芝生になっていて、テニスコートが二面くらいの広さがある。

「さあ、今から調教タイムだよ」

「お姉さまの口から調教って言葉が出ると、涼子、なんだかドキドキします。これからは、涼子とのお遊びのときにも、調教って言葉を使っていただきたいですわ」

「お望みならそうしてあげてもいいけど……どうだろう? 調教なんて言い出したら、わたし、本気になってしまいそう。そうしたら涼子は、耐えられるかな」

「涼子、お姉さまのご調教だったら……」と、小声になって

「どんな恥ずかしいことにだって、耐えますわ」

「本当に?」

そう言いながら、手に持っていたタッパーの蓋を少し開けると、匂いを嗅ぎつけたのか、ポチはさっそく真琴さんの側に寄ってきた。鼻面を下腹に押しつけて、フンフンと嗅ぎまわる。タッパーの中には、固形タイプの犬のエサが入っているのだ。

「この子、オス? メス?」

「朝倉さんは、女の子だっておっしゃってました」

「二歳のメスか。娘盛りだね」

「まあ、お姉さまったら。その言い方、なんだかいやらしいですわ。涼子、少しだけ嫉妬してしまいます」

「バカなこと言わないの」

真琴さんは、タッパーからエサを一粒だけ取り出すと、ひょいと地面に放り投げてやった。ポチは、あっという間にそれを食べてしまうと、ねだるような顔つきをして、真琴さんの前に戻ってきた。

真琴さんが素知らぬふりをして少し場所を移動すると、ポチは足元に絡みつくようにしてついてくる。涼子もトコトコとついてくる。

真琴さんは、また一粒エサを放り投げてやる。ポチはまた、あっという間にそれを平らげる。

そんなことを十回ほど繰り返すうちに、庭を一周してしまった。最後に真琴さんはしゃがみこむと、手をポチの前に差し出した。指にはエサの粉が付いている。ポチの舌がそれをペロペロ舐めた。そのまま、その手でポチの頭を撫でてやる。さらに背中を撫でてやっていると、ポチは仰向けになって、柔らかそうな腹を露わにした。

「まあ」と、涼子が声をあげた。

「あさましい恰好!」

「いつかの夜の、涼子みたい」

涼子の頬が赤くなった。

「お姉さまったら、とっても意地悪ですわ」

「ほら、涼子。お前も同じようにやってごらん」

そう言って、真琴さんはタッパーを涼子に手渡した。

「大丈夫でしょうか? 噛みつきません?」

「犬は、エサをくれる人には噛みつかないよ。この方法、テレビでやってたんだけど、かなり強面の犬にでも通用するみたい。まして、このポチはもともと人懐こいんだから、涼子にだってきっとできるよ」

「そうでしょうか」

「ぐずぐず言わずに、やりなさい。命令です!」

「はい、お姉さま」

十分後には、ポチは涼子の前で腹を見せて愛撫をねだっていた。多少おどおどした手つきながら、涼子もその願いに応えて、ポチの腹をそろそろと撫で始めた。

いきなり暴れ出したりしないように、ポチの首輪を掴んで押さえてやりながら、真琴さんはぼんやりとこんなことを考えた。

結局、犬も人も同じなのだ。おいしいエサと、やさしい愛撫。結局は、これに尽きるのではあるまいか。そして、そのおいしいエサとやさしい愛撫で調教されたのは、涼子と自分のどちらなのだろうか。涼子はわたしに、何やかやと贈り物を持ってくる。ベッドの上で戯れるときには、「ご奉仕」と称する巧みな愛撫――それも手だけではなく唇や舌まで使って――を施してくれる。

ということは、調教されているのは自分のほうではないのか?

同時に、こんなことも考えていた。

首輪というのは、いいものだ。赤い首輪、黒い首輪。涼子には、どちらが似合うだろう。

ポチは、艶のある赤い首輪をしていた。かなりがっちりとした作りの、丈夫そうな首輪だ。ところどころにガラス玉の飾りが付いていて、札が二つ下がっている。一枚は金属製の鑑札だった。もう一枚は、ラミネート加工された白い紙で、この家の住所と電話番号が記載してある。迷子札のようなものなのだろう。

もしや、と思って――というのは、もしや遺産の隠し場所ではないかという意味だが――裏を返してみると、「この犬を見つけた方は、裏面の住所・電話番号までご連絡ください」と、繊細なペン字で記してあった。汚れなどはなく、ごく最近書いた様子の筆跡なので、おそらく死んだ老人ではなく、朝倉さんの書いたものだろう。

涼子の声がした。

「こうしてみると、犬も可愛いですわねえ」

「涼子が犬が苦手っていうの、意外だったな」

「苦手っていうより、怖いんですの」

「実家では、犬は飼っていなかったの?」

「飼ってましたわ」

「実家の犬も怖かった?」

「まさか。自分の家の犬は平気です。野良犬やよその犬が怖いんですの」

「まあ、知らない犬には、むやみに近づかないほうがいいかもね。でも、犬と仲よくなりたいときには、この方法を使えばバッチリだよ」

加賀美蘭子さんと萩原和人くんが現れたのは、そんな話をしているときだった。

でかい白のベンツが門から入ってきたときに、どこかで見たようなクルマだなあと思っていたら、やはり蘭子さんのベンツだった。以前見たときは運転手付きだったが、今日は蘭子さん自ら運転してきたらしい。助手席には、和人くんが乗っていた。

「お二人も、宝探しに来たんですか」

そう尋ねた真琴さんに、蘭子さんは――

「涼子ちゃんがきちんと仕事をしているかどうか、確認に来たのよ。こんなところでポチと遊んでいちゃダメじゃありませんか」

ということは、犬の名を知っている程度には、蘭子さんはこの家の事情に通じているらしい。

「紹介したわたしの立場も、考えていただきたいわ」

「いや、これもその仕事とやらの準備なんです」

「どういうこと?」

「涼子が犬が苦手だと言うので、まずはポチと親睦を深めるところから始めたわけです。そうでないと、宝探しも落ち着いてできませんから」

「それなら、もう十分に親睦は深まったようだから、わたしたちといっしょに家の中に入ってくださらない? さあ、若さま、参りましょう」

そう言うと、蘭子さんはスタスタと歩き出した。あとを追いながら、和人くんが小声で――

「蘭子先輩、なんだか妙に張り切ってるんです」

「依頼されたのは涼子なんですから、涼子に任せてくださればいいのに」と、涼子は少し口を尖らせるようにして、それでもやはり小声で答えた。

一同は、客間に勢ぞろいした。蘭子さん主導で、方針会議のようなものが始まったのである。

「それで……どこを探せばいいのか、皆さんのお考えをうかがいたいの」

その蘭子さんの問いに、一人一人が答えていく。

「涼子はやっぱり、書斎が怪しいと思います。さっきお姉さまにもお話ししたんですけれど、クリスティの小説に、今回と似た話がありますわ。その話では、偽の手紙に貼ってあった切手が遺産でしたの。きっとそんなふうに、書斎の中にさりげなく置いてある物の中に、遺産が紛れ込ませてあると思いますわ」

推理小説――それも古典的なものが好きな、涼子らしい発想だ。

「ぼくも書斎が怪しいと思う」と、和人くん。

「ひょっとしたら、あの机になにか細工がしてあるんじゃないかな。秘密の小さな引き出しとか……」

絵を描くのが大好きで、工作などの手先を使った細工物が得意な和人くんは、そう主張した。

「新宮さんは?」

蘭子さんにそう問いかけられて、真琴さんは――

「わたしは、あの膨大な本が怪しいと思いますね。あの中に一冊で一財産になるような貴重な本が隠れているかもしれませんし……ああ、それから本の並びが暗号になっているかも……」

「暗号! 慧眼ですわ、お姉さま!」

涼子は、真琴さんが何を言っても一応は誉めてくれる。だが、蘭子さんには通じない。

「どれもあまり有望な感じはしないようね」

「そう言う加賀美先輩は、何かいい考えはあるんですか」

真琴さんが尋ねると、蘭子さんは――

「ちょっと突飛かもいれないけれど」

「聞かせてください」

「ご老人がわざわざ遺言で、家と犬と書いたのが気にかかるわね。ふつうは家のことしか書かないでしょう。だから、わたしはあのポチが怪しいと思うの。もしかすると、とても高価な種類の犬で、あのポチ自体が遺産なんじゃないかしら」

「でも、あの犬は三年前に迷い込んできた野良犬なんでしょう? たしかそう聞きましたよ」

「ええ。でも、どこかのブリーダーから逃げ出してきた子犬だったかも。それで、ポチが本当はとても高価な犬であることを、ご老人だけは見抜いていたけれど、それを黙っていた。そういうことだって、あり得るじゃない?」

蘭子さんがわざわざここまでやってきたのは、この推理を披露するためではないか――真琴さんは、ふとそんなことを思った。なるほど、悪くはない。だが、現実味は薄い気がする。

「この犬がですか?」と、真琴さんはポチの頭を乱暴に撫でながら、懐疑的な口調で言った。

部屋の中にいる全員に、誰彼となく愛想を振りまいていたポチだが、そのときちょうど真琴さんの足元までやってきていたのである。

「お話としてはおもしろいですけれど、その可能性はあまりなさそうですよ」と、朝倉さんが落ち着いた声で言った。

「なぜです?」と蘭子さん。

「それだと、遺産としての意味がありませんもの。わたしはこのポチを売ることはありませんし、そのことはおじいさんもよくわかっていて――。もしもポチがそんなに高価な犬だったとしても、売らなければお金にはならないでしょう? おじいさんは、遺産を見つけたならお前が一人で使うといい、と言っていました。ということは、なんらかの形でお金に換えられるものとして、何かを遺したはずです」

「そう言われたら、たしかにそうですね」

形勢不利と見たか、蘭子さんは素早く自説を引っ込めた。

「でも、今の蘭子さんの話は、推理としてはおもしろいよね」と和人くん。

流石だなあ――と、真琴さんは少しばかり感心した。真琴さんの見るところ、和人くんと蘭子さんのペアの関係は、年上の蘭子さんがリードしているようで、実のところは和人くんが手綱を握っている。SとMで言えば、たぶん和人くんがSなのだ。だから、今の和人くんの誉め言葉は、主人が飼い犬の頭を撫でてやった――とでもいう感じか。

それでも蘭子さんは嬉しそうに微笑んで――

「とにかく涼子ちゃん。しっかり探してね。あなたを紹介したのはわたしなんですから、あなたの成功をわたしも強く願っているの」

「任せてください、先輩」

涼子は、蘭子先輩に敬礼して見せた。

「この秋月涼子、必ずや先輩のご期待に応えて見せますわ」

真琴さんは、こっそりと小さな吐息をついた。かなりバカっぽい風景になってきている。例の「ドM探偵」という言葉を封印したのは誉めてやりたいが、初めのころの「よそ行きモード」はすっかりメッキが剥がれて、涼子はいつもの涼子に戻ってしまったようである。

◇自著を語る◇ 角幡唯介『エベレストには登らない』
本の妖精 夫久山徳三郎 Book.67