ヤマ王とドヤ王 東京山谷をつくった男たち 第十三回 「福祉宿」の女将が見た山谷

 

「金貸し業」も日常茶飯事

 それは死亡時の対応だけではなかった。
「あれ見てよ」
 と菊地さんが指さす帳場の小さな黒板には、白いチョークで数字がこう書き込まれていた。

⑰ 9
⑮ 1.6+1.2+0.5+0.2+0.2
⑥ 3

 記されているのは部屋番号と菊地さんが貸している金額だ。つまり宿泊客3人に対し、9万円+3.7万円+3万円=15万7000円を貸していることになる。
「まあみんな金遣い荒い。去年コロナで給付金10万円もらったでしょ? あれだってパーッと無くなったんだよ」
「パーッ」という言葉を強調して菊地さんが続けた。
「だってその後に借りにきたから。ないって言われればしょうがないよ。おまけに悪びれもしないんだよ」

 菊地さんは1通の封筒を取り出した。一番上に赤い字で名前、合計金額が、そして日付ごとに渡した金額が書き込まれていた。現金の管理ができない生活保護受給者のために、菊地さんが毎日、少額ずつ渡しているのだという。
「だって持っていると使っちゃうんだもん。飲みに。あれはスーパードライ500っつうのかな。それを1日に4〜5本飲むんだよ。近くのコンビニには自分の好きな子がいるからとかなんとかで、何か買ってやるんだってね。それであと1000円下さいとか。ほらここみて!」
 と指さされた日には「6000円」と書き込まれていた。1日2000円ずつと決めているが、ねだられて余分に渡してしまったのだ。
「私はね、こんなお金の管理までしてるんだよ、ハハハハ」
 この男性も元々は、菊地さんに借金をしていたが、金銭管理に問題があったため、少額ずつ渡す方法に切り替えたのだ。ただ、宿泊者たちから宿泊費の滞納はなぜかないという。
 菊地さんは自分のことを「お節介」と言う。話を聞いているとつくづく面倒見の良い人だと感じる。だが、宿主のみんながみんな、彼女のような人ばかりではない。登喜和に暮らして11年になるという、生活保護受給者の男性(64)は昨年11月、体調を崩し、菊地さんに救急車を呼んでもらった。
「困った時は面倒みてくれる。おばさんは良い人だから皆、ここに長くいるんだよね。他のところに行くと、宿主の口がうるさくて。ちょっと遅れて帰ってくるだけでぐちぐち言われる。ほんで、肝心な時に帳場にいないもん。おばさんは、ずっといてくれるから、手紙や大事な物が届いてもきちんと渡してくれる。よそへの引っ越しは考えていません」
 確かに生活保護受給者たちにとっては、菊地さんのような女将の存在はありがたいはずだ。でも逆に言えば面倒をみてくれるから、居心地が好くなり、生活保護から抜け出せなくなってしまうのではないだろうか。
 一方の菊地さんは、彼らに対し、本音ではこう感じている。
「みんな図々しいというか、よく生活保護の担当のところに行けるなって思う。本人たちも受けられると思って行っているわけでしょ? 見てくれは普通だから、働けばいいのにと思う人だっているもん」
 かなりストレートな物言いだが、生活保護受給者からも、同じような声が聞こえてくるのだから、菊地さんの認識はあながち間違ってはいないのだろう。登喜和に暮らして10年になる別の男性(64)は言う。
「俺なんかでも生活保護をもらっている人に対して納得いかない部分はあるんだよ。見ていると、意外と健常者が多い。でも1回もらっちゃうと、それに慣れちゃって動きたくないんだよね。30代ぐらいの若い人で元気よく動けているのに、どうして仕事見つけないのかなって思います」
 男性はこれまで、都内の運送会社でトラック運転手などの職を転々としてきた。妻とは20代の頃に離婚し、その後に出会った女性と再婚するもまた離婚。子供はいるが、50代前半で失業して所持金が底を尽き、路上生活を始めた。そこに支援団体の手が入り、生活保護を受けて登喜和へ移った。両親はすでに他界し、弟とも長年音信不通だ。男性はやがて肺がんを発症し、現在は登喜和で療養中という。
「癌になったものはしょうがない。治らないものは、考えようが何をしようがもうしょうがない。意外と頭の切り替えは早いよ」
 そうさらりと言った男性は、たばこをすぱすぱ吸っていた。

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